『富士見町史』下巻 より |
新型コロナウイルス感染拡大のため、歴史民俗資料館も臨時休館措置がとられました。
鳥インフルエンザやSARSとは比べ物にならないほど、大きな影響が広がっています。 私がまだ幼いころ、コレラが確認されたというニュースが記憶の片隅にはあるのですが、 なんとも恐ろしかったように覚えています。 地元では、赤痢やチフス流行の記憶をお持ちの方々から、話を聞くこともあります。 例えば『富士見町史』下巻 を開いてみると、明治期のコレラ流行の様子が細かく書かれていますし、 隔離病棟の建築や、外から村に入る通行人にはすべて消毒をするなど、医療が未発達な当時としては 徹底した防疫態勢が、田舎の村々で敷かれていたことがわかります。 すべての人が、身を守るため、大切な人を守るために“闘っていた”のです。 歴史をひも解けば、そこには人びとの生きざまがあります。 言い換えれば、先人たちが困難を乗り越え、生き抜いてきたから、私たちがいるのです。 私は、病気や政治・経済の専門家ではありません。 ただ歴史に学ぶ者として、これだけは言いたいと思っています。 あなたは、私は、今この世界に生きる私たちは、 皆、悠久の歴史の1ページを紡いでいるのです。 だからその歩みを未来に遺し、伝えなくてはいけないのです。 どうか他人事にせず、我が事と思い続けてください。 決して雑に、毎日を生きないでください。 遙か未来を必死に生きる人たちが、私たちから学べるように。 20200409 |
博物館には大切な役割があります。それは
@資料の保存・管理 A研究活動 B普及・啓発 C公開 などです。 その中で、決して「臨時休業」できないものが一つ、あります。@の保存・管理です。 富士見町歴史民俗資料館では、貴重な文化遺産を多数保管しています。この未来への遺産を適切に保存し、 毀損することがないように、常に管理していなくてはならないのです。 がしかし今回、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、臨時休館の措置がとられることになりました。 お客様の来ない博物館の、なんと空虚で寂しいものか、痛感しています。 皆さんに見ていただく、知っていただく、好きになっていただく。 だから守ることができる。未来に伝えることができる。 一刻もはやくこの状況が解消されることを祈りつつ、資料を守りながら、再開の準備を進めます。 20200321 |
20191109
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縄文だ ジョーモンだ JOMONだ と あちこち騒がしかった 今年
井戸尻考古館も その筋では有名な 人気のフリーマガジンに特集されたり 世の中を にぎわせてきました そのフリーマガジンの中で 「これからの時代こそ 歴史民俗資料館は 本当に大切になる」という 館長の言葉を 掲載してくれて これは本当にうれしかった 縄文の雑誌 その特集の中で お気づきでしょうか 館の表看板が 美しく化粧直しされたことに もう文字も読めないほど 紫外線と汚れで黒くなっていたものを 今年 館の管理をしてくれる先輩が ボランティアの方と一緒に 綺麗にしてくれたのです 民俗を知らぬものは 縄文を語れない とは言いすぎでしょうが 先人の暮らしから学ぶことは 非常に多いのです 20181222
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酷暑に 豪雨に 台風に 地震に 自然の“猛威”にさらされ続ける 私たち
猛威とはいうけれど これは自然のある断面が ちらと姿を のぞかせただけ 長い年月 自然の営み 生命の循環 そのまばたきする一瞬に 私たちは立ち会っている この夏 ながいながい命脈に 別れを告げなくてはならない 場面があった 300年以上の長きにわたって 人びとを見守ってきた 大いなる命 それを守り伝えるのが私たち 文化財を守る仕事に就くものの務めだが そうやって変化していくこともまた 歴史の断章なのだろう 20180924 |
咲け より強く より美しく
泥の中から まっすぐ立ち上がった 蓮は 空に向かって 力強く 花開く 西日本豪雨で 命を落とされた方々に 心からの哀悼を 捧げます 被災された すべての方々に 一日も早い 安らぎの日が訪れるよう 祈っています そして被災地を救うべく 日夜 努力されている皆様に 心からの 感謝とエールを 送ります 20180711 |
歴史民俗資料館の一角に 紅蓮・織りの会(こうれん・おりのかい)の作品が飾られました
民俗資料館を拠点に活動しているグループで 伝統的な「ぼろ機織り」の伝承と普及に貢献しています あらためて 歴史民俗資料館には 大勢の方の力と思いが 集まっているのだなあ と 思います HPの更新を担当している学芸員ですが 4月1日より 館長に就任いたしました 立場は変われど 思いは変わらず どうぞこれからもよろしくお願いいたします 20180503
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この冬最初の 大雪警報が出た 翌朝 井戸尻もすっぽり 雪に包まれました
日差しも遠く 静謐な雪景色 なので そこに 檸檬をおいてみました 唐突に 真っ白な世界に 黄色 その対比が 見たくて 20180110 |
いまも 雲は流れていく あの雲の下には 八ヶ岳の井戸がある
井戸尻というのは 井戸の尻にあるという意味である 二月も終りとなれば もうあの暖かい川では 雪どころではなく芹がさかりである 手拭いをかぶり しまのタッツケをはいたおばさんたちが ざるを抱えこんで芹をつんでいるだろう 三月ともなれば ナズナやハコベやオオイヌノフグリ 四月にはもう冬眠から覚めた蛇がのぞく そうこうするとクリの花とクルミの強烈な匂い わたしはその頃 あなたを案内して あの泉のほとりに立ちたい 「縄文の八ヶ岳」藤森栄一
『縄文の八ヶ岳』1973学生社より 藤森栄一がこの文を書いたのは 亡くなるおよそ2年前の冬 入院中の病床でのこと 郷愁と 生への渇望が 鮮やかに感じられるこの文章をしたためたのち 藤森は退院する 泉のほとりには 立ったのだろうか 「俺は井戸尻で考古学を学んだ」と話していた先輩が この1月5日 藤森のもとへ旅立った 民俗資料館に顔を出しては 厳しく指導と励ましをいただいた 先輩に別れを告げた帰り この文章を思い出して 泉に立ち寄った この辺りで“井戸”と呼ぶ湧水 その一つである井戸尻の泉は 多くの人々の 喉を 生活を 心を 潤してきた 遙か縄文の昔より 涸れることなく 多くの人びとの生命を 潤し続けてきたのだ 20180110 |
先日 静岡県御殿場市から文化財審議会の皆様と 教育委員会事務局の方々が
視察にみえられました いつもここで触れているように 富士見町歴史民俗資料館としては 「“思い”や“記憶”を大切に伝えたい」 というお話をさせていただきました さて たびたび登場する古時計ですが 「私の気の向くまま 動かしているんです」とお話ししたところ 委員のお一人が「わたし子供のとき 毎日ねじを巻く当番でした!」と 懐かしそうにお話しされました しまった!そうだった!! 僕自身にも 当番をやっていた記憶があったのを いまさら思い出したのです 年配の方々から 道具や歴史の記憶を引き継いでいながら・・・ 自分はいまでも ねじを巻いているのに・・・ そんな自分の記憶と経験が 役に立っていないなんて! 時計のねじは 巻くんです 定期的に でないと時計は 時を刻まないし 時を告げてもくれないのです その方にとって“あたりまえ”のことを 記憶として引き出し 語り継ぐこと その難しさと それから ちょっとした“コツ”を 発見したような気がします 20171201 |
今年から 初めての試みとしてスタートした 連続講座「富士見の歴史と文化財」
これは 町の文化財専門審議委員の先生方に 専門の研究分野や 関心のある事柄について おおいに語っていただこうというものです 第1回として7月30日に 名取昇一先生を民俗資料館にお迎えして 農具と農業についてお話しいただきました お話できる方も少なくなりましたが こうして身振り手振り 生き生きとお話しいただくと とても分かりやすく 楽しくなります 質問などもつぎつぎと出され 充実した会になりました 万能鍬を手にして「ここのね、角度が命なんだよ」とか 「畦塗はな、こうして、こう。芸術的競争さなぇ。」とか 「田植えまかないの干し鰊(にしん)。鰊食うと疲れがとれる、とか言ってなぁ。」なんて 道具を見るだけではわからない話が てんこ盛り それそれ それが聴きたかったんですよ! 20170809 |
歴史民俗資料館では もちろん歴史を大切にしますが 時間の経過というものは 人それぞれ
だから どのくらいの時間がたてば “歴史” とよべるのか “過去” といえるのか などと議論しても 意味は全くないのでしょう 22年前の今日 休暇で朝寝坊して テレビをつけて愕然とした あの朝 私にとっての過去は あたかも歴史の一ページのように あちこちに記録されているけれど もちろんそれが 過去にはなっていないことを 歴史に埋没させてはいけないことを 歴史民俗資料館も 伝えていくべきなんだろうか 道具や歴史資料に残された “思い”も まったく同じように 20170117 |
年の瀬
歴史民俗資料館でも 新年を迎える準備です。 昨年も友人からいただいた レモン 今年はまた大きくて とびっきり艶々で あまりに嬉しかったので 鏡餅にのせました。 本当は 「代々大きく栄えるように」という祈りを込めて 橙(だいだい)をのせるものですが 蜜柑だったり プラスチックの橙だったりするので ならば いっそ このうつくしいレモンでいこう! と思ったのでした。 こんな句がありますよ。 「鏡餅に レモンを据ゑて 中年なり」 沢木欣一 ・・・なんでしょう? レモンはやはり 若さ 新鮮さの象徴でしょうから 中年である自分への抵抗なのでしょうか? 私もおおいに 納得です(笑) 20161228 |
神棚からぶらさがった 糸を通してつながった クリ
この辺りでは “ずず”とか“ずずグリ”などと よばれます。 “ずず”っていうのは たぶん“数珠(じゅず)”が なまったものでしょうね。 秋にたくさん拾って 乾燥させておいて 年明けに煮て食べるのだそうです。 クリを乾燥させて 保存しておく方法は すでに縄文時代にはありましたから ずっとずっと伝えられてきた 味なんですね。 収穫の祭が終わると 冬の声が聞こえてきます。 夏から 冬へ。それは厳しい季節のおとずれ。 冬に向けた備えのなかに その日を楽しみに 神棚にかけた 甘いクリ。 何だか少し 心が暖かくなるような 不安が和らぐような 気がしませんか? 20161026 |
すっかり秋ですね。夏の企画や催しが終わりました。
今年もいろいろ 楽しいこと 嬉しいことがありました。 おじいちゃんおばあちゃん学芸員のキャンペーンでは 大勢のご家族連れが 来館してくださいました。 ポスターにある「火打石と火打ち金」にチャレンジした家族。 一番上手だったのは おじいちゃんおばあちゃんではなく お母さんでした! もっとも今のおじいちゃんおばあちゃんは 火打石を使った世代ではないですから。 図書館とのコラボ 特別なおはなし会では 物語の進行に合わせて ボランティアの方が 風呂敷の使い方まで 実演して下さいました。 写真は“すいか包み”の実演です。 道具がいきいきと見えるように その使い方と知恵まで 伝えられるように 先日は友人の若狹さん(画家)からも 素敵なアイデアをいただきました。 新しい工夫ができれば そう思っています。 20160916 |
さて今回は 資料館内ではありません。「まちかど民俗資料館」とでも いいましょうか。
明日7月30日の午後 富士見町の町民夏祭り 「富士見OKKOH」(ふじみオッコー)が開催されます。 富士見駅前の商店街では 懐かしいあのころにタイムスリップ! として 各店のお宝や ちょっと昔の写真などを 展示することになりました。 そこに歴史民俗資料館が 少しだけお手伝いしたのです。 ここに貼られている 紹介文とコメント。 各店をまわり お話を聴いて書きました。 某鑑定番組のような うんちくは 一つもありません。 すべて 店主の思い出と 学芸員の思い込みで書いています(笑) どうかこれを機会に ご自分の店・家・町に 誇りをもってもらえますように。 参加する皆さんが あたたかい思いを 共有できますように。 そしてそれが 商店街の未来に つながってゆきますように。 20160729
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“鉢割り”とか“兜割り”と呼ばれる 武器があります。
いろいろな形と大きさがあるようで 当館に展示しているのは 十手に近いタイプですね。 近づいて 脇の方からよ〜く見ると・・・ 三箇所に刀傷が あるのです! ということは 「実戦経験済み」なのかも? 持ち主は どんな人だったのでしょう? それは いったいどんな状況で? そして何より・・・ 無事だったのでしょうか? 厳しくとも 難しい局面でも 戦わなくてはいけない時があります。 立ち向かわなければ ならない時が あります。 そんな勇気を 感じるのです。 そして思います。 その時 私が頼るべきは 何なのだろうか? と。 20160709
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「くわずみ」の話 「花だより」にもちょっと書きました。
「手が真っ黒になってね」 「寄り道してないって嘘言ってもさ 口が真っ黒でバレちゃうんだ」 「シャツのポケットに詰めたもんだから みんなポケットが真っ黒で」 「お互いの顔見て 大笑いしたな」 こいつの話になると 皆さんきまって笑いながら 懐かしそうに 話してくれます。 ああ こういう話 こういう雰囲気 民俗資料館に置きたいな。どうすればいいのかな。 苦しい時代 厳しい生活 そのなかで 「くわずみ」の事だけは 皆さん本当に 嬉しそうで 懐かしそうで。 で その夜 赤黒く色づいた私の手を見て 父がいきなり「くわずみ喰ったな?どこだ?」 そうです 食べました 仕事中に(笑) 今度 場所教えるから許して。 20160619
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2016年5月10日 日本地質学会から全国47都道府県の「県の石」が発表されました。
県の花や県の鳥 などはありましたが 石は初めてです。 @岩石 A鉱物 B化石 の三種類で 長野県は・・・@黒曜石 Aざくろ石 Bナウマンゾウの化石 でした。 さて富士見町では ナウマンゾウの化石が発見されているのです。 町の天然記念物に指定されています。 黒曜石やざくろ石の標本もありましたから 早速展示ケース一つ分だけ 展示することにしました。 和田峠や野尻湖に行かなくても ここで全部見られますよ! ・・・なんてね。 何だか今年は 石ばっかりだなぁ。 20160519 |
おおっと これはいったい何だ!? 地元の方が「ぜひ資料館に展示してください。」と 持ってきてくださいました。 “くいちがい石”と呼ばれています。 もとはひとつの石(礫)なのですが 強大な大地の力で このような姿になってしまいました。 中央構造線の断層破砕帯に産出したもので 長野―静岡県境の青崩峠に近い松原沢で 採集されたものです。 砂岩の円礫が割り裂かれるようになり そのまま再固着しています。 標本として二つに割れているものは多くみられますが 三分割されたものは 初めて見ました。 細かなヒビが入り 相当に強い力が加わったことがわかります。 (↑ここは多少 学術的に書けました) 近日 公開いたします。 しばらくお待ちください。 20160408
公開中です!
20160415
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初代館長の武藤雄六さんが ご自宅の桑の木から 桑棒(くわんぼう)を伐ってきてくれました。 さっそく桑紙漉のコーナーに展示しました。 何に使うのでしょう? 夏蚕(なつご)と秋蚕(しゅうこ)を育てた後 シュッとのびた枝を早春に伐って 大釜で煮て 皮を剥ぐのです。 棒はササギの棚を作ったり 燃料にしますが 桑皮で紙を漉くこともあったそうです。 富士見町内では 葛窪集落の三軒のお宅で 漉いていたとのこと。 あまりうまくいかず 短期間でやめてしまったそうですが その道具と実際に漉いた紙が 寄贈されています。 戦前から戦中にかけてのことで 昭和10年代には アカソとともに供出したこともあるそうです。 こちらは衣類の材料にしたんですね。 桑棒一本 全く無駄にはしません。 「大変な時代」というだけではなく 自然の恵みに感謝し 資源を無駄なく 有効に使う。 八ヶ岳の先輩たち 改めて尊敬します。 20160331 |
五年の歳月は
悲しみを癒すには 短すぎるが 他者の意識を 希薄にするには 十分だ だからこそ いつも いつの日も それを我が事と 胸に強く 思い続けよう あの悲しみは 私の悲しみ あの嘆きは 私の嘆き そうでなければ あの日 思いをのこして 去った彼らに 私たちの未来を 誓えないではないか この国を 託してもらえないではないか (井戸尻考古館TOPページより)20160311 |
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今日 訪ねてきてくれた友人と(誰でもすぐ友人にしてしまう私) デジタルとアナログの話をしました。 「ひとは デジタル生活のなかで デジタル化するのだろうか?」 という私の問いに 彼は 「YesかNoかの選択を繰り返して生活する中で ひとはデジタル化すると 言えるかもしれない」と。 時代や経済の 目に見えるような 生活が変わるような 大きな変化に気を取られているうちに 私たちの もっと根本的な 大切なものが 気づかないままに 変わってしまうのかもしれない。 それはデジタルが良いとか悪いとか そういう議論ではなく。 私の大好きなもののひとつに 谷川俊太郎さんの「かなしみ」という 詩があります。 「かなしみ」 谷川俊太郎 あの青い空の波の音が聞こえるあたりに 何かとんでもないおとし物を 僕はしてきてしまったらしい 透明な過去の駅で 遺失物係の前に立ったら 僕は余計に悲しくなってしまった 私はなにを 持っているのだろう。 私のこれからの仕事に とても大きな意味を与えてくれた そんなひとときになりました。 20160220 |
暖冬で雪も降らず こんなことでいいの? などと話していたら・・・大雪になりました。 連日の雪掻きで 体は悲鳴を上げているし。 寒さは厳しくなるし。 炬燵にもぐりこんで 熱燗でも舐めていられたらいいのに。(コラコラ) 以前に考古館のS学芸員が話していたのを思い出して 「輪かんじき」出動だ! 冬には冬の 雪には雪の 工夫あり。 なるほど こいつはいいや。 おかげで深い雪の中 史跡公園の竪穴住居に 一番乗り! 20160121
そしたら翌日 お世話になっている先輩が来て
「せっかく雪の住居の写真を撮りに行ったのに 誰かが入って 足跡つけてやがった!」 と。 あっはっは! それはオイラです。 もっとはやくに お越しください。 追記 20160122 |
レモンを もらいました。 友人から。 その方の 友人の家で育ったものだそうです。 ありがとう。 レモンと言えば “爆弾”です。 だから友人が帰ったあと あわてて展示室内を見回りました。 「彼ならやるかも。」 幸か不幸か “檸檬爆弾”はありませんでした。 だから 自分で置いてみました。 もう一つ思い出すのは 「がりりと噛んだ」智恵子さんのこと。 私はそのまま かぶりつくことはありませんが レモンには不思議な存在感があります。 ・・・このつづきは また別のところで。 20151204 |
朝 不思議なものを発見しました。 池のほとりの 岩の上。 ????????? 3色の小石と 赤い木の実。 縄文人の仕業か? 木の実は 鳥に食べられてしまうかもしれないけど このままとっておくことにしよう。 明日にはまた 増えているかもしれないし(笑) 20151107 |
小林豊さんの写真と詩の展示では 展示室内のあちこちに ことばが落ちています。 それを自由に 採集して持ち帰っていただこうと。 今朝 壁に留められたことばを 窓の格子をすり抜けた朝日が 読んでいました。 見つけた私が そのシーンを採集する・・・ 幸福な瞬間でした。 20151105 |
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僕は 蛇がキライです。足のないものが前に進むのが苦手なのです。 だけど そこには畏敬の念もあって やはりタダモノではない何かを 強く感じるのです。 だから惹かれるのです。 民俗資料館の裏に池があるのですが そこに蛇がいることは ずっと前から知っていました。 十年以上前には 大きなアオダイショウが2匹 絡み合って交尾しているのに出くわしました。 「これは民俗資料館の守り神だ!」 直感的にそう思ったのです。 昨日の朝 池のほとりに抜け殻を見つけました。 見つけた時はまだ少し しっとりと湿っていて、 「むむっ、まだ遠くへは行っておらぬな!?」状態の まさに「もぬけの殻」。 あの時の大きなアオダイショウに比べれば 随分小さなものですから 世代交代したのかも・・・ とか思いながら 頭の部分を探しました。 ほら、見て。 蛇には私たちのような 開閉できる“まぶた”はありません。 何と言ったらいいのでしょうか。 だ から眼球の皮も そっくり一枚脱ぐような感じなのです。 ナウシカが オームの抜け殻から 眼球?の部分を 切り抜くシーンを思い出します。 手が “ジ〜〜〜ン”となってしまう あれです。 これは大切にとっておくことにしました。 20151104 |
小林豊(こばやしゆたか)さんという 友人がいます。 また勝手に友人にして(笑)。 写真家であり 詩人であり 私にたくさんのインスピレーションを与えてくれる人です。 そんな小林さんと 企て?催し? をすることになり 写真と詩の展示をしています。 歴史民俗資料館の展示室内に 小林さんの写真と詩を “置いて”あるのです。 アーティストに対して なんと失礼な展示なのでしょう。 小林さんは 快諾してくれました。 民俗資料は道具。 その道具がまとう記憶や思いを感じてほしい。 そのために 道具と私の間(あわい)に 写真と詩を置いてみる。 こころが揺らぐ ざわつく。 そこできっと 道具が生きて見えるはず。 何か感じるはず。 楽しい展示になりました。 私自身の引き出しが増えた あるいは開かずの扉が開いた そんな企画です。 20151101 |
富士見町図書館の村松さやかさんをお招きして 特別なおはなし会を開催しました。 展示室の中で昔ばなしを読んでいただき そこに登場した道具に 実際に触れてみる そんな催しです。 保育園とのコラボでも ここが重要なポイントでしたが 昔ばなしに出てくる状景を イメージしてもらうため。 「つるのおんがえし」は知っているけど 機(はた)は知らない。 茶釜(ちゃがま)を知らないから 「ぶんぶくちゃがま」なんて 想像もつかない。 昔ばなしからは 学べることがたくさんあるし 日本の歴史も たくさん隠されている。 村松さんは巧みな話術で 子供たちを引き込んでいました。 個人的にはとても嬉しい よい企画だったと思います。 20151024 |
町内にある保育園に行ってきました。 園長先生に呼んでいただいたので 高機(たかばた)を軽トラックに積んで。 子どもたちには 本物の機を見てもらい ちょっと体験もしてもらえたら というアイデアです。 図書館のお姉さんもやってきて 「つるのおんがえし」を読んでくれました。 子どもたちは どんなことを感じてくれたんだろう? 民俗資料館は どんな役割が果たせるのだろう? こういうこと これまでになかったけど 大事だなあ。 良い機会を与えてくださった 園長先生に感謝です。 20151001 |
若狹宣子(わかさのりこ)さんという 友人がいます。 勝手に友人にしてしまいました(笑)。 山を 自然の中を歩き 素敵な水彩画をお描きになる 画家です。 霧の中から現れては 山のこと 自然のこと いろいろ教えてくれます。 こう見えて私も いろいろ悩むことはあるのですが(ホントだよ) 若狹さんと話していると 自分がどうあるべきなのか 気づくことが多いのです。 「どうあるべきか」などというと 堅苦しく考えがちですが そうではありません。 若狹さんをとおして 自分を見つけることができるのです。 しなやかで 凛として 清冽な若狹さんと 今日は人前で話しをしてきます。 まったくの ノープランだそうです(笑汗)。 どこまで話が広がるのか 楽しみです! 20150919 |
桑の葉をつむための 桑摘爪(くわつみづめ)です。 昔は 子供たちの大切な仕事であったとも聞きました。 これを両手の人差指にはめて 桑の葉を摘むのですが ヘタをすると 「うおわっ いててて!」と 手を切ってしまうのだそうです(なんてこったい!) そう話してくださったのは 初代館長の 武藤雄六(むとうゆうろく)さん。 民俗資料の「名前」と「使い方」はもちろんですが 私が伝えたいのは この「いててて!」の部分。 記憶です。 ってことは この桑摘爪も 大勢の子供の血を吸っているのかも・・・ いや そこじゃないでしょ(笑) 先日小学生に 「養蚕っていってね、お蚕飼って、繭から糸をとるんだよ。」って話したら・・・ 「カイコって何? なんで蛾の幼虫の糸なんかとるの? どうしてそんな面倒くさいことするの?」と。 そうだよね そうなんだよね。 事柄だけを伝えるのではなく 当時の暮らしや思いを こころの中に残したい そう思った瞬間でした。 今年も 「おしえて!おじいちゃん おばあちゃん学芸員」を開催しています。 もっともっと いろいろ聞いておかなくちゃ。 20150826 |
歴史民俗資料館には たくさんの「古時計」が掛けられています。 僕の好みで 動かす時計を決めては ネジを巻いているのです。 けれど もちろん動かないものもあって それはそれで 押し黙ったまま 掛かっています。 お気づきでしょうか? 資料館の玄関側の壁に掛けられた時計の文字盤。 すべてが ある時刻を指しています。 それは 私たちが忘れてはならない 祈りの時刻です。 わかるでしょうか? 覚えていますか? ただ 中にひとつ 1分わざとずらしている時計があるのです。 壁の真ん中の時計 22時17分が正しい時刻ですが 18分にしています。 17分に合わせると 時計が鳴り出すから。 これは余談ですが 私の実家を20年近く前に立て直しました。 古い家の取り壊しの直前 夜中にとつぜん 蔵の中に 30年余りも使われずにしまわれていた古時計が 鳴り出して止まらなくなったと。 モノには 魂が宿ります。記憶や思いをとどめています。 私は 富士見町歴史民俗資料館では それを遺し 伝えたい。 そう思っています。 20150627 |