〜ヒットマン コントラクト〜
機種:プレイステーション2
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●とても寂しい話ですが

 この世はすべて、始まりと終わりでできてます。本を読み始めれば必ず読み終えますし、人に会えば必ずお別れのときが来ます。この世に生まれ出でた人間は死に、幸せな結婚生活も、死? 破局? いずれにしろ、やがて何かしらの形で終わるのです。もちろんゲームだって同じ。でも、それがわずか二週間足らずで訪れてしまうと、やはり寂しいものです。

 今日は、ヒットマンの新作「コントラクト」の話。


●重要ポイントじゃなかったってことは、要はどうでもよかったってことか

 このシリーズのどういうところが好きかとか、どこをかっこいいと思ったとか、それは別の項目に書いていますのでそちらを見てください。すでに見てくれてると仮定して言うならば、今作はそういうところに関しては期待を超える形で見せてくれたと言って差し支えないでしょう。

 そんな中で特に今回強く実感できたのは、「自分で頭を使って解法を探す」ということは本当に楽しいことなのだ、ということ。ほかのところにも書いていますが、今回は初めからサイレントアサッシンを目指し、そしてルート探索とそこからのアプローチ構築も基本的に独力でのチャレンジとしています。同梱されていた「完全暗殺マニュアル」なる小冊子も目を通したのは後半、記載されていない部分に入ってからですし、以前大変お世話になった攻略サイトも「これは完全に無理だ」と判断できるまでウォークスルーの閲覧を禁じています。ええ、「取引のルール」ではベルボーイの格好をしてターゲットの部屋に入り、10秒で叩き出されたというのも経験しています。自分でルートを探った人なら、アレは通過儀礼だと思うのですがどうですかね。


●視線の向きを変える……よく気づいたな、アレ

 最終的な結果として、全12ステージのうち3ステージはそういった「人様のお知恵」を借りてのサイレントアサッシン達成となってしまっているのは残念の一言ですが、それでも一つ二つ「本当にうまいことやれた」と感じられるアプローチも構築できていますので、相応に満足はできています。気づかれないように、安全に侵入できるポイントはどこか? あそこの重要ポイントはどんな役割を果たす? 標的を安全かつ確実に消せる方法は? こういうことを探しながら、いつでも非常のときに抜けるよう懐のツインボーラーに手をやっておく。時にはマシンガンを片手に大量殺人鬼の汚名を被りながら、ステージごとの仕掛けを読み解いていく。この過程とそこで得られた数々の気持ちは、まさしく「今俺はゲームで遊んでるんだな」という実感をくれました。自分の頭で、手で製作者の思惑を解きほぐしていく、その手ごたえこそがゲームの楽しさ。いったいどれだけの人が、このことを覚えているのでしょうか

 ……ただ、やはり人様のお知恵を借りた部分、特にラストステージは実に単純なことであるだけに、気づかなかった自分の間抜け振りに歯噛みする思いです。本当に残念。


●楽しければ楽しいほど、お別れはつらくなるから

 発売は2004.10.14でしたか。それから今日でちょうど二週間、私は昨日の時点でおおよそのプレイを終えました。難易度ノーマルにおける全ステージサイレントアサッシンの達成と武器の全収集を一通り終わらせたのが10/21の話、そしてそこまでで得られたデータをもとに難易度プロフェッショナルで果たしてどこまでできるのか、その結果がすべて出たのが昨晩ということですね。独力攻略9ステージのうち、ノーマルから多少のルート変更を余儀なくされつつも無事攻略しおおせたのが2、3ステージありましたが、後はすべて初期アプローチでほとんど問題ありませんでした。「鉄砲玉」は卒業、ということでいいですかね?

 ここで最初に言ったことに戻ります。完全とは言えないにせよ、すべてのステージにおいて100点に極めて近い答えを得てしまった。これで極まったなどというつもりはありませんが、それでももう「終わってしまった」、そんな気がするのです。別のルートを探すにしろ、ルールを設けて腕を上げるにしろ、最初のルート探索のときに感じていた楽しさはもう感じられない。感じられても、すでに薄まってしまっているのではないだろうか。そう、思えてしまいます。

 もちろんこれはゲームであり、遊びたいときにはいつでもゲーム収蔵棚から取り出して起動できる。でも、もうルートをドキドキしながら探す、あの楽しさはほとんど残ってないだろうな、と思う。とても寂しく思います。たぶんこの感情は、お祭りが終わったあとの撤収している光景の寂しさや、仲のいい友人と会ってゲームやって酒を飲んで笑って、そして帰っていく友人を見送るときの寂しさ、その辺の感情と同じものなんでしょうね。……やっぱり、12ステージじゃちょっと少ないよね。


●もう、歳ですしね

 たぶん、「オールサイレントアサッシンだけだなんて、そんなんじゃまだ終わりじゃない。ほかにやれることはいっぱいある」という向きもあるんでしょうけど。私もそう思うのですが、いかんせん物の見方が固い人間ですので、一度固まってしまうと新しいルート探索などは難しいんですね、以前のルートに固執してしまって。ルールを設けるにせよ、面白いルールはなかなか思いつかないものなのです。いざやってみてあっさり死んだら涙ものですし。

 でも、いろいろな遊び方を受け入れてくれるゲームが手元にあるってのはいいものです。今は熱が冷えてしまったようなものですが、エスプガルーダと同じく一生ものだな、とは思っていますので、いつかまた何かしらの遊び方で挑むときがくるでしょう。そのときまで、このゲームはしばらくお休み。とても、楽しかったです。


●あれれ、走るボタンがないぞ?

 そういえば今回、前作「サイレントアサシン」から操作性が大きく変わっています。具体的には「歩く・走る」の切り替えがボタンからアナログレバーの倒し込み角度によるものになったこと、また同様に「忍び足・しゃがみ」の切り替えも別々の操作だったのが一つのボタンにまとめられ、しゃがみ歩きと忍び足の関係が歩く・走ると同じようになったことですね。前作で忍び足モードに切り替えるスイッチだったボタンは「地図を開く」に変更になっています。小さなことのようで実は大変大きな変更でして、これは両方遊んだ人なら頷いてくれるものと思います。

 最初私もこの変更にはずいぶん戸惑い、また困らされもしたものですが、案の定というかやはり評判悪いようですね。前作の操作性はパソコンから移植するにあたり、よくぞここまでプレステパッドに最適化したものぞというくらいの完成度でしたから。それなのに、この微妙な改変は何? という具合なのでしょう。私もよくやりました、なんか歩くつもりでいきなり走り始めて警戒されまくったり(レバーの倒し込み角度の問題)、忍び足から歩行に切り替えようとしてボタンを離したらいきなり走り始めて銃撃戦とか(これもレバーの倒し込み角度の問題)。というか未だによくやります。あー馬鹿、走ったからばれちゃった!

 ただね、この改変については異を唱えるつもりもないのです。要は自分がその操作性に慣れればよいだけの話なんですから。別に無理な話じゃありません、ほかの操作は完全に一緒なんですからちょっと頭を切り替えるだけでいくらだって最適化はできます。個人的に好きな漫画に、こんな台詞もあることですしね。

「ソフト(神経)にハード(機体)を完全に合わせるのは無理だよ、ある程度はソフトをハードに合わせねば」

 私この台詞大好きです。ソフトを自分、ハードをゲームに置き換えて読み替えれば、言いたいことは分かってもらえると思います。それにね、現に発売されてしまったものに対してああだこうだ言ってみたところで、少なくとも手元にあるこのゲームについては何一つ変わりません。だったら、言っても始まりませんよ。四の五の言う前に、何とか楽しむ方法を模索するほうが建設的じゃありません?


●真正面から挑んで勝利する、これこそが本当の勝利と思えるから

 それと、これは前作からありましたが、断続的にダッシュの入力を行うことでほとんど無音でダッシュと同じ移動速度を得るというやり方があるんです。正面へのダッシュをやめると勢いあまって前に少し滑るんですが、このときの無音状態を連続で発生させることで結果としてほとんど無音(ときどき走り始めの最初の一歩の足音が入ってしまうため、完全な無音にはならない)のダッシュを実現させるというからくりです。うまい人になると、これをサイレントアサッシン取得のアプローチに組み込んで恐るべき高効率ヒットライフを満喫しているようなのですが、実のところ、私はコレあまり好きじゃありません。なぜかって、これは一種仕様の穴をついた操作方法でしょ? 製作者はこれを使用することは念頭に置いてない、まあ要するに普通に操作してサイレントアサッシンが取得できるように作っているはずなんです。だから、これに頼ったサイレントアサッシン取得のアプローチは嘘、私にはそう思えるのです。

 実際は「この操作方法を使ったからといって圧倒的に有利になるわけではない」ということですし、何より誰かと競うゲームでもないので使おうと使うまいとまったく問題ないんですけどね。それでも便利とは思いますし、だから敢えて私はこの操作法は使いません。でもこのゲーム、今メーカーとゲーム雑誌社との共同企画でタイムアタックとおもしろ映像のコンテストやってるんですよね。果たしてこの操作法、使用が認められるのか否か。ちょっと興味ありますね。


●なんだこの惨状は!?

 もう一つ。今作も相変わらず「18歳以上推奨」なのですが、まあ倫理的なというか私自身の考えの持ちようについては以前もお話しした通りです。ただ今作は描画の仕組みの変更からより強烈な描写が多くてですね、ちょっとアレは小さな子供には見せられないなとさすがに思いました。アレばっかりは、意識の持ちようとかは関係ないでしょう。血溜まりに映り込む周囲の景色、どういう理由でか上のフロアから首をくくって飛び降りた死体、そのすぐ横を奇声を上げつつ落ちていく人間。うわごとをつぶやきながら、うろうろと血の海、死体の山の中を歩く患者。ある患者などは、死体に嬉しそうに包丁を突き立てている。何を言っているのか聞き取ることができたなら、さぞかし恐ろしいことをつぶやいているのでしょうね。たぶんアレ、英語じゃないですよ。誰かルーマニアの言葉分かる人いません?

 それに、ある意味期待の星だったステージ2「狂乱と暗殺と」。以前もお話しした、肉屋のミッションです。なんと完全に修正無しのようでした。なんせ屠殺屋の工場が舞台ですからそりゃあもう、精肉に加工される寸前の牛とか馬とか豚とかがフックに吊られてぶら下がってるわけですし、下手すりゃそこに人間も仲間入りしてしまうわけです。人間もぶら下げられるとかいう噂もありますし。もちろん床には血溜まりがザブザブ。救いは血溜まりの上を歩いたり物を引っ張ったりしても血が引っ張られないことでしょうか。まあ、こんなデンジャラスなビジュアルは最初の2ステージでお別れです。……あー、ステージ7の殺人事件現場辺りはこんな感じか。幽霊歩いてるしな。あの部屋で何があったのか、ものすごく興味を引かれるんですが、ステージのどこかにあの事件の概要はないものですかね? 警官も「見世物じゃない」とか言って説明してくれんし。


●ちょっと考えさせられました

 この辺の「18歳以上推奨」の話題に関連するんですが、ゲーム屋でこのゲームの宣伝映像見た人からあれこれ聞かれまして、それで最後にその人が言った言葉ってのが「反社会的なゲームですね」だったんですけども。ふーむ、考えさせられてしまいますね。反社会的、か。そう言われれば、こういう強烈なゲームは最近になってよく見かけるようになりましたね。私が覚えてる限り、殺戮を主体にした血の吹き出すゲーム(対象が人間、非人間に関わらない)というのは10年と少し前の「ドゥーム」とか「モータルコンバット」辺りが初めでしょうか。それに次いで「グランドセフトオート」やら「ポスタル」やらが見かけられるようになったと。攻略本にはドゥームも当時相当つつかれたというようなことが書いてありますので、やっぱり騒ぎになったんでしょうね。

 まあ確かに、対象がなんであれ血を吹き出させながら死ぬまで銃弾を撃ち込むとかチェーンソーを押し当てるだとか、そういう強烈な映像をテキストなど「想像にお任せ」ではなく「具体的に映像化した」というのは単純に見て「残酷」、あるいはそれに類する言葉が当てられると思います。そこからストレートに連想されるのは、やはり「反社会的」やら「悪影響」やらそういう言葉なんじゃないかな。それに対しての「これは正義の戦いだからいいんだ」とか私の言うような「しっかりした意識を持った人間にこそ相応しい」なんて反論は後付のものに過ぎないというか、頭で考えた反論に過ぎないというか。ただ、スプラッター映画なんてものもあるんですからそういうビジュアルそのものやそれを好む方向性は昔からあったわけで、ではなぜそれをゲームに取り入れたことを「反社会的」と言って騒ぎ立てるのか? 「ゲームは子供も遊ぶものだから」なんでしょうねえ、やっぱり……。


●私がもし検挙されたなら、大喜びで世俗は言い立てるでしょうね、「あんなゲームばかりやっていたから」と

 それでもね、私は言います。「子供の認識さえしっかりしていれば、極端なものに漬け込んだとしても物事に良識を持って接せるのだ」と。小学校低学年のときにエロ本などを大量に眺めたこともありますし、聖飢魔IIの歌をずっと聴いてた子供でしたから「チェーンソーでめった斬り」とかそういう言葉もその意味もがっちり知っていました。教員の朗読を聞いて印象に残ったシーンを絵にせよという課題で、朗読されたのは「100万回死んだ猫」、私が選んだのは「サーカスの胴体両断の演し物において、間違って本当に猫を両断してしまった」というシーン。中学時分には漫画「北斗の拳」やら「力王」を愛読し、高校時代には漫画「ベルセルク」やモータルコンバットを心から愛するようなそんな猟奇的な嗜好を持った人間でしたが、私ゃ今まで別段問題起こしてませんよ? 私1人をサンプルにするのも問題あるような気がしますが、つまりはそういうことです。

 だからさ、要は与えるもののさじ加減ってことと、あとは最初に「いいことはいい、悪いことは悪い」ってしっかり教えることですよ。私の父親は歪んだ人間で、少しでも気に入らないことがあると暴力を持ち出す超絶クソ野郎ですが、少なくとも今現在の「暴力は絶対だめ、言葉で諭せば分かってくれる」なんて寝言よりはマシな位置にあったと思っています。悪いことをすれば(私の場合は悪いことをしなくても、でしたが)ぶん殴られる、何をしたら痛い思いをすることになるのか。痛い思いをすることになったのは、なんでなのか。動物のしつけのようですが、小さな子供なんて言葉で理解なんかしっこありません。本当に悪いことをしたなら躊躇なく怒り、なお分からなければ殴る。このくらいでないとまともな子供なんか育たないと思います。

 これは事実だと思うので、言っておきます。「力なき正義は無力、正義なき力は暴力」。なんの漫画だったですかね、この台詞は。私に言わせれば、子供に言葉だけで当たろうなんていうのはそれこそ「力なき正義」ですし、我がクソありがたい父親のような場合は「正義なき力」です。でもね、自分に完全に正しさがあり、相手が完全に間違っている、そしてそれを諭しても分からないような存在が相手ならば、遠慮なく殴って構わない。正義の伴った力の行使、これは暴力とは言いません。これをも暴力と呼んでしまったがために、今の学校教育は歪み果てた。違うでしょうか。

 ……もっとも、今のご時世は後進を導かなければならないはずの世代すらすでに歪み果てたような状況ですからして、もはや行く末は見えているようなものだと思いますがね。歪んだものから正しいものだけを取り出す、これは初めから歪んだ世界に漬け込まれてしまった子供には難しいことでしょうから。あー、本いっぱい読ませ、本! いい本いっぱい読ませりゃ自動的にいいもの、悪いものをより分けていくから!


●子供が見るのは、良くも悪くも親の背中。ならば

 そうだ、全然ここには関係ないんだけど、これから子供できる可能性のある友人方に。直接言った顔もあると思うけど、これだけ死んでも守ってください

「言ってることとやってることを一致させた親になれ」

 完全に、というのは無理でしょうが、せめて可能な限り。それと、自分で言ったことに責任もって、ころころ自分の都合で変えないように。子供の目から見て、死ぬほど恥ずかしいから。つうか一般に見て、頭悪そうに見えますから。マジで気をつけてくださいね。あ、自分の心配? 俺は永遠に「子供」のままだから、いいの!!


●道具はね、使う者次第。よく覚えておくべきです

 「反社会的」なゲームの話でしたね。まあ今言ったようなふうに私は思いますんで、世の中の親って人々はせいぜいうまいことさじ加減取ってくださいな。ほんと、「ゲームのせいで……」とか、「そんな反社会的なゲームはないほうがいい」なんて寝言は聞き飽きてます。もう一度繰り返しますが、刃物とて存在自体は悪ではありません。それを操る人間次第で、人を殺める道具にも、人を救う道具にもなるんです。すべては操る人間次第、そしてその人間を育てる者次第なのです。



●今回は会話そのものが少なかったから、あまり気に入った台詞も多くなかったですが。

  • 「教えられることは二つ。私はもう二度とボルシチを見たくないということと、奴らは潜水艦をラボとして使っている、ということだ」
    「ボルシチなんてどうでもいい」

     ステージ3「極寒の中で」での、ユリシュカと47の会話です。ユリシュカは現地に潜入してから長いのでしょうか、よっぽど嫌だったんでしょうね。47じゃありませんが、ほんとに「どうでもいい」ってことなのがより現実味を増します。でもほんとにどうでもいいな。ボルシチはいいから、ほら任務任務。

  • ビジネスは面と向かってするのが好きでね。まずはウォッカで。

     同じくステージ3「極寒の中で」、標的のビャーコフ司令官の台詞ですね。ビジネスに限らず、何事も面と向かって、がいいと思います。だから私は顔の見えないネット上での対話は好きじゃありません。そしてそうそう、ビジネスに限らず友情は酒で。このビャーコフ司令官、このあと変装した47に酒を断られて「は? あ、そうですか、そうですか……」とちょっと残念そう。つうかこの後怒り出すらしいんですけど、普通は怒り出す前にワイヤーであの世逝きにしてしまうでしょうね。しっかし、ロシアっつうとボルシチとウォッカくらいしか名物は思いつかんのか?

  • 47、ホテルの花屋にあなた宛のものが届いてるわ。息をのむほどキレイなバラよ……では

     ステージ7「取引のルール」にて、ダイアナから現地に届けてあるメモです。ではさっそく、そのきれいなバラとやらを拝んでみましょう。「SPAS12ゲージか」 きれいすぎて卒倒しそうでした。入手するのにバーテンだましてから奥の部屋にピッキングして侵入(見られると大騒ぎ)、さらに金属探知機にはしっかり引っかかる(当たり前)のでうかつに持ち歩けないといろいろ確保するまでに面倒のかかるバラですが、宣伝映像でやってた標的の後ろでおもむろにこのフラワーボックスからショットガンを取り出してドカドカ標的に撃ち込むシーンはかっこよかったです。やると確実にサイレントアサッシンは取れませんが。





●各ステージで、特に印象に残った出来事。自力他力関係なしとさせてもらいます。

  • ステージ2「狂乱と暗殺と」

     救出対象のいるあの部屋の装飾は「狂ってる」の一言ですね。フェティッシュっていうんですか? あそこまで行くとクレイジーです。ついでに、男と女で腰合わせてなんかぐねぐね動くの、やめないか? ほんとよくこんなシーンまでプレステ2で出せたな。

  • ステージ4「殺しを愉しむ者に制裁を」

     カラフの解説がふるってます。「ベルディングフォード家に何代にも渡り受け継がれた家宝であり、非道な目的で使われたことも一度や二度ではない……」 こんな感じ。なんかカラフってのはコップというかボトルの友達みたいなもののようですが、最後の「非道な目的」ってのがまさかその当主を殺すためだったとはね。ブラックなジョークです。業は巡り巡ってわが身へ戻る、ははははは、世の中ってのはそんなもんでしょう。

     他にもこのステージ、除草剤や枕の解説がかなりイケテマス。「悪夢や忍び込む暗殺者に怯えることなくぐっすり眠れる」って、ぐっすり眠ってる間に殺られてたら意味ないじゃん。あとシャベルってどこにあるんだろう。

  • ステージ5「ロッテルダム、降るのは雨と血と」

     救出対象の横にあるスイッチがなんなのか最初わからなくて自分でスイッチを入れてしまい、救出対象を感電死させてしまったという間抜けなお話。それでも任務失敗にならず、むしろ目的達成になったという事実に軽く驚愕しました。タイムアタックには必須の行動になるんでしょうね。

  • ステージ6「核という名の緊張」

     最初に警官を殺してしまうとサイレントアサッシンは絶対取れない(一般人死亡になるため)ので眠らせる必要がありますが、私の選んだアプローチでは彼が目覚める頃にはこちらは既に悪漢に紛れ込んでいるか、もっと早ければ作業員の姿をしています。なので不審な警官の捜索には引っかからないのですが、目的を達して帰る途中で見かける、パンツ一丁で持ち場に戻っている彼の姿には哀愁仕事に対する強い熱意を感じます。もっとも、行き場もないから持ち場に戻っただけなのかも知れませんが。悪いね、衣装返してやれなくて。

  • ステージ7「取引のルール」

     このステージ幽霊が出ますね。廊下を歩いてたり、鏡に映ったり。47、好かれてるね。で、幽霊は直接は見えないんですが、銃を構えるとサイトが赤くなるときがあります。このときは鏡にも映ってるんですけどね、うまく撃つと血が出ます。でも死なないみたい。うまくするとワイヤーにもかかるって話なんだけど、どうやるんでしょうね。廊下で仕留めるのかな。

  • ステージ11「潜入と暗殺」

     私は別のところにも書いた通り、恐らくは製作者の想定したもっともスタンダードな方法を選択したんだろうと思います。で、どうにかサイレントアサッシンを取ってから答え合わせのつもりで攻略サイトのウォークスルーを拝見したところ、なんかバーカウンターのところで変なの取ってる。するうちスープになんか混ぜて、あれ、毒薬って娼婦宿にあって、混ぜるとろくなことにならないんじゃなかった? さて出されたスープを一気飲みする護衛のズン、やにわに腹を押さえて駆け出した。……下剤か!! あんなところに下剤があるなんて、ぜんっぜん気づきませんでした。私がうまくいって15分程度のアプローチなのに対し、あちらは全部で5分程度。そりゃあ足抜け手伝わないんだもの、早いわな。

     あと足抜け手伝うときに、見つかりまくってうっとうしいから女を注射で眠らせたら一発で騒ぎになりましてね。悪いことはできないもんだと思いました、ははは。

  • ラストステージ「狩る者、狩られる者」

     オープニングはかっこよくて好きなんですが、実際のステージは苦い思い出になったため嫌いです。部屋に催涙弾を撃ち込まれる中、グラスの水を飲み干してからツインボーラーを取り上げる姿は「かっこいい」の一言。しかし2階のあのおっさん、なんだって死んでるんだろう。誰何してる警官の台詞はきっとフランス語ですよね。荷物搬出を手伝ったんだから、台詞の聞き取りくらいやってもらいたいところですが。あんな長いこといたんだから、あのくらいなら分かるだろうし。