〜エスプガルーダ〜 機種:アーケード、プレイステーション2 |
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●や、しばらくぶり 2004年初の文面ですな。こないだ今の勤め先で新年会がありまして、それでちょっと出かけていったんですが、途中で時間調整のためにゲーセン入ったんですね。そこで見つけたこのゲーム、名前と「エスプレイドの姉妹作らしい」ということだけ聞いていたんですが、いやようやくお目にかかることができました。面白いですねー、音楽いいですねー。
●エスプレイドも音楽よかったなあエスプレイドってのは、発売されたのがずいぶん前になるんですけど人間が空飛んで超能力で戦う縦スクロールシューティングです。普通戦闘機が当てられるところに人間当て込んでしかも超能力、すごいコンセプトですね。んでこれすごい人気があったらしくて、今でもときどきゲーセンで見かけたりします。実際とても面白いゲームですしね。確か高校生くらいんときだから、……もうおよそ10年選手ですか。え、発売が1998年? おかしいな、高校んとき行きつけてたゲーセンの親父に「お前がシューティングなんて珍しいな」って言われたような覚えがあるんだけど。そんなに後の話だったっけかな。 それで、一時エスプレイドは身の周りから消えたこともあってしばらくご無沙汰だったんですが。筆者、勤め始めてから「ジャイアントロボ THE アニメーション」を観覧する機会に恵まれたんです。そして惚れました、ビッグファイア団十傑集、衝撃のアルベルト(※1)。あの筆舌に尽くしがたい漢振り、想像を絶する戦闘力。そりゃあね、あんなすげえならエヴァンゲリオンのロボットなんか敵じゃないよ(Byスーパーロボット大戦α ※2)。 そうなると、ぜひゲームなどであの強さを真似してみたい、超強い人間が戦うアクション系のゲームはないか、敵も強いんじゃだめだ、敵はこちらの攻撃で即死するようなもので、面白いものは何か……。けっこう汲々としたもんですが、すると友人であるところのワダ氏が答えてくれました。「エスプレイド、どうよ」 それだ!!
●「ごっこ遊び」ここに極まれり当時、つうかすごい最近なんですけど冒頭のゲーセンにエスプレイドがちょうどあったんですわ、それもかなり長い期間。もうその時からエスプレイドは筆者の中でエスプレイドではなくビッグファイア団と悪組織(ビッグファイア団も悪ですが)のバトル、使用キャラクターは左端の兄ちゃんでしたが彼のビジュアルは黒いスーツをビシッと着こなした隻眼の紳士に脳内で変換です。共通点は発射方向の調整できる赤い衝撃波。さあ、こうなるともうノリノリ。 「能力者か。孔明めがこの小僧を欲しがった理由、試させてもらおう!」 内心大絶叫です。もちろん声:秋元羊介で。実際被弾すると「ぬぅっ! わしとしたことが!」とか小声でやっちゃってるんで、これも立派なロールプレイングですな。ああ、実際の腕前は概ね3面半ばから4面ボス、気合が入ると5面まで行きますがどうしてもそこで我がアルベルトは死亡。くそ、これでは名を語れぬ! むしろC級エージェントか!?
●立ち塞がるなら、総て敵! 覚悟せよ!!長くなりましたがそろそろ本題。そんなこんなで「どんなもんかな」とちょっと期待していたエスプガルーダ、早速金を入れてスタートすると、キャラクターセレクトに出てきたのは緑の髪のひょろい兄ちゃんと可愛い姉ちゃん。どっちも線が細すぎます。そのうえ攻撃はレーザーときていますので、残念ながらアルベルトごっこは今回は無理ですね。まあしょうがない、せっかくだから見た目に可愛いのを選ぼう、とてお姉ちゃんでゲーム始め。ステージ1面ボス、また人間で今度は女か(エスプレイドの時は男)。死に声の「お父様ぁ!!」がちょいと気の毒感を誘うものの、まあこちらに挑んでくるトンチキが悪いんだし。 結局、そのときは3面辺りで壊滅しました。まあ最初から先に進めるなんて思っていません、自分の腕前くらいは正確に把握しているつもりです。しかしながら、非常に遊びやすくて感触がいいのも確かですね。「覚聖」という空間スロー効果(発動させると軽い破裂音とともに空間が『ドン!』という具合に一瞬歪む。カッコいい)を使うことでプレイヤーの任意に敵の弾を消せる、というのが素敵です。うん、好印象だ。キャラクターセレクトの音楽が非常に印象に残りました。それから家に帰り、なんか面白い話でもないかと思ってインターネットで名前を入れてみたんですが、早速ヒットの公式サイト。なんだ、キャラプロフィールがあるじゃん。では拝見……1面ボス、12歳ですか。あの「お父様ぁ!!」女だよな。声からして二十歳そこそこ、親父のために戦う金持ちの令嬢というイメージを持ってたから、12歳ってのはすごく意外。 もう一つ、主人公2人に付いているそれぞれ反対の性別のキャラクターは、いつ登場するんですか? と本気で思っていたら、なんですか自分が変身していたそうで。気付きませんでした。ほんとに。そんな私は間抜けでしょうか。 ちょっと変更。メーカーサイトのリニューアルに伴いなんかリンク出すのに許可が云々とか明記されたので、URLだけ書いておきます。リンク出すのにいちいち許可取らなきゃならないなんて、俺は面倒は嫌いなの。 ■ケイブ社ホームページ・アミューズメント アーケード:http://www.cave.co.jp/amvisual/arclist.html 上記ジャンプ先の「エスプガルーダ」の項目でいろいろ見られます。あと、下のほうにエスプレイドの項目もありますので、興味ある人や漫画「おとぎ奉り」が好きな人は見ておくといいと思います。ま、おとぎ奉りが好きな人はいろいろ知ってて当たり前、という気もしますが。
●この日を、待っていた……。長かったぞ……!(声:檜山修之)ところでこのゲーム、シューティングってこともあって、田舎な筆者の地元にはほとんどないんですよね。それに、いざ見つけても音楽あんまり聞こえなくて残念、といった感じだったんですが、なんとプレステ2に移植されました。こ、これで家で好き放題にこのゲームを遊べる。嬉しくて朝っぱら(現在午前10時30分)からホッピーです。乾杯。あとはせめて、このゲームをコンティニューなしでクリアできるようになれば、いつ死んでも問題なしになります。がんばろっと。(一時間後)……駄目だ、解ける気しねえ。5面ボスまで行き着けないって、こいつぁ……。とりあえず、まだ死ねないみたいですね。なんとか少しずつでも積んでいくしかないか……。でも考えてみたら、こんないいおもちゃ手に入ったんだから、別段死に急ぐこともないか。のんびり行こう。 あと、ホッピーは前日に5杯程度ジョッキでビールを空けた後だとさすがにおいしくないですね。結局飲み干せなかったので、夕飯代わりに居酒屋でビールの大ジョッキふたつ空けました。やっぱ、ビールが一番いいよ。 ん、ああこちらにおける筆者の腕前は、今のところゲーセンでは5面ボスの辺り、おうちでは5面道中。これでも割とまめに遊んでいます。つうか今ゲーセンに行く理由は完全にこのゲームのためだけですしね。ときどきラストボスまで行き着き、ゲージを一本二本削りきったりしますけれども、どう進めても最後のゲージで力尽きてしまいます。ひどいときには5面ボスに行き着く前に壊滅したりしますし……。ああ、成長せぬ我が腕前、なんとかならぬものか……。うあっ、さ、3面で壊滅!? 馬鹿な!! ……とか言いつつ遊んでいたら、2004.06.30にゲーセンにてコンティニューなしでのクリアに成功しました! やったぁぁ!! 使用キャラはタテハ、最終スコアが二千二百万とちょっと。いや、点数はどうでもいいんだ、少ないのは私自身が一番よく知っています。とにかくおよそ五ヶ月の苦節が少しずつ報われてきているという事実が嬉しい! しかしあの最後の地獄二方面攻撃、ほんと嫌だねえ。左右からのときが一番苦々しいものです、左と正面に絞り込まれれば少しは対応できるのですが……。終わったときなんか、手がじーんと痺れていましたよ集中しすぎで。 これであとはおうちで遊べるほうでのクリアも達成できれば、当面の目標は達したことになりますね。でもまだまだ、こちらはとてもガードが固くて「その程度の腕前では最後までたどり着かせるわけにはいかないね」と冷たく突っぱねられ続ける日々。過去に別のところで使った牧神と葦の例えになぞらえれば、「葦で笛を作ることはひとまず許されました、あとは自在に奏でるだけの腕前を持つことが要求されています」といった具合でしょうか。やはりそうそう簡単には死ねないようです。
●ほんと、このゲームには「救われ」ました……それと、このゲームについて実に印象に残ることがあったんで書いときます。先日、会社関係で呑みに出る機会があったんです。まあいいもん食ってビールさんざか呑んで、実に楽しませてもらったんですが、終了後になんだか「どっか遊び行こう」みたいな話が出たもんでのこのこくっついて行ったんですね。そしたらなんと行き先が風俗系の飲み屋。もともと私はそういうところには行きたくないとずっと思ってきている人間なので、よくわからないうちにそんなところに居たというのはものすごいショックでした。 結果、すさまじい恐慌状態に陥りまして、入って5分くらいで店から逃亡。記憶も、河岸変える辺りから電車に乗り込むまでものすごく混濁していまして、どういういきさつでそんな店に入っていったのか、また逃げ出してからどういう道をたどって、池袋の何口から電車に乗り込んだのか、完全に覚えていません。逃げる途中ずっと走っていたというのと何度か転んだということ、ついでに最初の河岸に傘忘れてきたことだけは覚えています。まあ一応連れて来てくれた人には「すんません、俺だめなんで帰ります」とは断ったんですけどね、やはり「な、何があったんだ!?」となったそうです。なんか傍目にもすごい表情してたみたいで、明らかにおかしかったそうですが。 んで、私は電車に乗り込んでからどこを目指したかと言えばゲーセンでした。自分の置かれている状況から何から混乱してしまってまったく把握できない、そんな状態で強く頭に浮かんでいたのは「エスプガルーダやりたい!」という気持ち。どこまで進めるかなんてのは完全に二の次。例えステージ1で全滅してもかまわない、とにかくこのゲームで遊んでいるという感覚がほしい。そうしないと発狂する。根拠はなかったですが、なぜかそういう強い確信がありました。実際、あのままゲーセン行かずに済ませていた場合どんなことになっていたか、まったく想像つきません。 まあ、その後は特に何事もなく、無事にエスプガルーダを数回繰り返して遊んでどうにか精神の平衡を取り戻し、派手に転んで痛む足を文字通り引きずりつつ家路に就いたというお粗末な話です。良かったですよ、うまい人とかやってなくて。しかし、まさか製作者の人々も自分たちの作品が精神安定剤のように使われるとはまったく思ってなかったでしょうね、ふふふ。逆に、そんなメンタルバランスを派手に崩した状態で真っ先に名前が浮かんできたということは、それだけ自分がこのゲームに入れ込んでいるということかも知れません。下手ですけどね。 蛇足ですが、その後結局最初の河岸で飲み食いした分、ビール3リッター弱と白飯二杯、相当量の焼肉はすべて路傍の露と消えました。ギガダッシュしたせいですね、間違いなく。おかげさんで二日酔いはなかったですけどね、そういう問題でもねえかなと。状況把握を怠ったツケの清算に、両足首打ち身と捻挫、およそ3,000円分の食事代(これは結果として全部パー)とゲーム代1,000円に発狂寸前の恐怖ではちょいと高くつきすぎました。この脚、まだ治り切らないんですよね。冷えるとときどき疼きます。あと、このとき一緒に壊した右手の小指も治る気配がありません。 なお、このとき行き着けたのはステージ4のボスまで。当時の状態にしては上出来です。ついでに言やあ、あんな類の店には二度と行きたくありません。
●なぜそんなに妙な店に行きたがるのか上の話なんですが、なんか続きができてしまいました。 発売日前日、勤め先の仲間とビアガーデンに呑みに行ったんです。ここでもいい感じに飲み食いしまして、中サイズのジョッキに5杯くらいとあとは唐揚げに揚げじゃがですか。ビール好きなんですよ私。で、時間もそろそろ迫ってきたなというところで仲間が移動する支度を始めたんですね。そしたら「お前早くそれ呑めよ、キャバクラ行くんだから」と言われまして。……キャバクラ、ですか? 「当然お前も行くんだ」 冗談ではない!!(声:池田秀一) 明日が待ち望んだ嬉しい日だというのに、またあんなところに連れて行かれてはかないません。幸いそこは会計が先払いでしたので、迅速に脱出してそのまま直帰です。他の人のことなぞ知りません、自衛が先です。まあ今度は加減が利く程度の酔い方でしたし「……もしかして……」という気構えもしていましたので食事代3,000円を無駄にすることはありませんでしたが。しかし帰りしなにゲーセン寄ってみたところ、エスプガルーダはなんと3面で全滅、他の格闘ものも必殺技の出し方すら分からなくなっているというやはり混濁状態になっていまして、これではもうすでにトラウマと言えるレベルです。 ……あー、この格闘もの遊んでるときに乱入してきた馬鹿がいましてね。また弱いんですよこれが。酔っ払ったおっさんに、素面で負けますか普通? 思い切り鼻で笑ったら(相手にも聞こえたはずです)なんか今度はハメ技に出てきてもうなんというか、お前存在自体が弱ぇよ、と呆れてしまったのですが。剣質「極」選んでそれかよ。あのゲーセン、こんなのばっかか? ワールドヒーローズでもクソみてえなのに11回連続で乱入されて、しかも戦い方が「こちらが苦手とみたことを延々繰り返す」という単純かつ腹立たしいものでして(それでも10回も勝てているので、結局戦闘経験が浅すぎる)、最終的には最強キャラで返せない飛び蹴りの繰り返しです。なんか、自分の腕前がよくないのを棚に上げて勝ちたいってのはどういう了見なんでしょうね。いい加減10回もやられたらよほどの変わり者でもない限り挑もうという気持ちにはならないと思うのですが。勝ちたかったらまず腕を上げろ、腕を。なんだといってエスプガルーダ遊んだ後の気分転換のつもりで延々40分も戦わされなくてはならないのでしょうか。 それで今日になって「結局変な店には行ったのか」と聞いてみたところ、「なんかポン引きと交渉したら、前と同じ店に連れて行かれたよ」とのこと。……なんなんだいったい、あのキャバクラと俺のメンタルバランス崩壊の危機とエスプガルーダと、なんか不気味な相関関係でもあるのか? もう一回言いましょうか、あんな類の店には二度と行きたくありません、ほんと。勘弁してよね、もう。
●初期印象いろいろ(2004.06.24)さて、発売から一週間経ちました。当然こまめに遊んでいますが、なかなか上手にはならないですね。どうしてもゲーセンに比べて画面は小さくなってしまいますから、弾の隙間を抜けるのが難しくなってどうにも頓死率が上がっているという。しかしそれは自分の腕前の問題、逆におうちで余裕で弾を抜けられるようになればきっとゲーセンでは相当楽に思えることでしょう。そう信じて、がんばって行こう! ……あ、また死んだ……。 それで面白いのは、点数の話。私の場合はおうちで遊ぶほうがゲーセンで遊ぶよりも到達率が悪くなっているんですけど、点数自体はおうちで遊んだほうが高いんですな。覚聖死界の使いよう、というやつなんでしょうかね。確かに、以前に比べて少し覚聖死界の展開のさせどころは変わったように思いますが、それでそんなに点数変わるものなんだろうか。変なの。 それと、アレンジ版ですか。エスプレイドのルールを取り混ぜて再構成しました、という具合でして、なんかさっぱり別のゲームみたいになってますね。へええ、少しルール変えるだけでこんなに違うゲームになるんだ。レイピアの代わりのパワーショットとかも破壊力が大きくて気持ちいいですし、なんとも遊んでいて楽しいですね。弾多すぎて先には絶対進めないんでしょうけど、逆にその事実が気楽に遊ばせてくれるという。しかしこのアレンジキャラクター二人は何者なんですかね。看護婦さん? あと、通常モードとキー配列が違う、てのはどういう了見なのでしょうか。 まあとりあえず、このゲームはまだまだ楽しむ先がある、という気がします。一度のプレイにかなりの集中を要求されますから連続して遊ぶのはちょっと難しくて、某所で申し上げた「指が折れるまで」とはなかなか行きそうにないですが、でも天地ともう一つにかけた「いっぱい遊ぶぞー」という宣誓は確実に遂行できることでしょう。バリアだけはもう少し確実に張れるようにしないとなー。 そういえば、ギャラリー。ステージクリア時の画像が、子供たちの絵が被さってない状態で見られるというのはとてもいいですね。けっこう隠れてしまっている部分が多いものだな、と思いました。果たしてセセリ殿下は、指揮官としては優秀であったのかどうか。各ステージのイメージイラストのタッチがなんだか「ワルキューレの伝説」を手がけた冨士宏氏のイラストのような感じがしていいなあ、と思っています。渓谷がすごくきれい。 そうそう、おうちで好き放題に遊べるということで、一つチャレンジしてみましたよ、「覚聖しっぱなし」と「覚聖使用せず」という条件でそれぞれどこまで進めるか。前者はどんどん敵の弾が早くなっていくということで最初から難航しそうな予感だったんですが、後者も「弾をスローにしないときついところとかあるから、苦しいかな」と思っていたんですね。で、結果。前者は案の定、といいつつなんだかんだ言って4面ボスまで進め、後者は意外なことにラストボスまで行き着いてしまいました。勝てませんでしたけど。なんですかね、後者は敵の弾速がかなり後半になるまで普通に遊ぶよりも遅かったんですよね。点数稼ぎを意識して覚聖を変な風に使うと難しくなるのかな。ああ、全滅時のスコアがですね、「覚聖しっぱなし」は一千万点程度、「覚聖使用せず」は六百万点程度でした。アレですね、覚聖未使用だと点数による二度目のエクステンドは事実上ありえないという。ちょっと、つらいかな……。 でもきっと、この両方の条件で軽々解けるようになったら相当なものですよね。時間は死ぬまであるんですから、いっぱい遊んでできるようになってみたいなぁ。
●哀れな魂に救いのあることを最後に、少しまじめな話をさせてもらいます。1面ボス「セセリ」の設定、きちっと読み込んでいくと、自分と同じ「痛み」が見えるのですね。まあ簡単に言うと…… 悪党国家の王のもとに生まれたものの、「男じゃない」という理由で父親に冷たく当たられ、それでも父に愛して欲しいこの娘は「戦場で役に立てばお父さんいつかきっと褒めてくれる、こっちを向いてくれる」とか細い希望を胸に抱いて常に前線で指揮を執る。主人公たちが自分の兄・姉であり、その2人を父が必要としていると知ったセセリは嫉妬に狂い、彼らを抹殺せんと牙を剥く。 こんなプロフィールの持ち主。この嫉妬があるために、戦闘開始直後に「貴様らの存在を消してやる!」と来るのです。要するに、育った環境さえ普通と呼べるものであったなら、齢相応の無邪気な表情を見せる普通の女の子であっただろう、という子供です。ところが生まれた場所が少しおかしかった、ただそれだけの理由で彼女は最期の瞬間まで苦しみ抜くことになってしまいました。
●その魂に、行き場はなかった公式サイトには「父親の愛情が得られなかったその寂しさから、心を冷たく傲慢に固めた」というように書かれていますが、特に「父親の」と断り書きがあるというのは簡単に考えて母親はいなかった、またはそれとほぼ同義の位置づけであった(まるで会えなかった、など)と取れます。個人的な経験から言わせてもらえば、たとえ父親からの愛情がかけらほどもなかったとしても、何人かでも温かく接してくれる人物がいれば、ここまで歪みはしません。その辺りから考えて、この娘には親しく接してくれ、また心を許して接することのできる人物もまるでいなかったのではないでしょうか。およそまともな「愛情」、親しい人の優しさや温かさに触れる機会もなかった少女は完全に「愛情」に飢え、渇き、そしてそれを求めるも得られない。得られないからまた求める。そしてまた。そんな悪循環に放り込まれてしまいました。 そうしてセセリは愛情のないままに育ち、プレイヤーである兄・姉に挑んで倒されることとなります。プレイヤーとは二度ほど戦う機会がありますが、一度目の戦いにおいて上空から重傷を負いつつ放り出され(『これは助かるまい』と思っていたのですが……)、二度目は両腕両脚を機械化して出現します。 これはゲーム画面では気づかず、後日購入したサウンドトラックの設定イラストを見て衝撃を受けた事柄でした。機能をなくした右眼、年齢に似ぬ気合の入った表情、細い両脚に打ち込まれた義足固定用のボルト。「……まさか、お前は……そこまで……!」
●この世ではお前は救われぬ。ならば、死んで来世へと望みを託せ残念ながら、彼女のこの人生総てを投げうった行為も兄・姉の戦闘力には及ばず、少女はまたも墜落。石畳に激突し、二度と立ち上がることはありませんでした。享年わずか12歳。何も、ただ一つ望んだものさえ手に入れられず、ただ無駄に苦しんで生きた12年は、彼女にとって満足の行くものだったのでしょうか。 この娘の痛恨事は、寄りかかれる、そして愛情をよせてくれる(その希望を持てる)相手が父親1人しかいないというところにありました。せめて仲のいい友達でも、優しい母親でも、そういう「愛情」を与えてくれる人物が1人だっていれば、少なくともあんな最期は迎えないで済んだ。私はそう思います。 そんな彼女に、私は「君はこの世界には生まれてこないほうが幸せだった」という言葉しか贈れません。人間の運命をとやかく言うことは私にはできません、下手すればもっともっとつらい世界に生まれてしまったかも知れない。でも、それを考えてもなおそう言ってやるしかできません。「生まれる前」に送り返すしか救う道がないのなら、せめて、来世では幸せになるように、なれるように。
●妄執に身を焦がしたその果てに二度目の出現に関しては、メーカーサイトにて「量産型の強化人間に救助された」という設定が公開されていましたが、これに関して感じた疑問を二つメールで質問として投げてみたところ、2004.05.07更新分にて返答がいただけました。メーカーサイトのリニューアルと同時にこの項目は消えてしまったのでもう見られませんが、救助の指示は誰あろう父親、身体の改造および二度目の出撃はセセリ自身の意志によるもの、とのことでした。改筆前、私はここで「九死に一生で父親のもとへ戻りついたセセリはそこで何を見たのか」という疑問と「妄執を募らせての出撃ではこの娘は救われない」ということを書いていましたが、……考えていたうちでもっとも酷いパターンだったようです。 結局父親は父親なりにセセリを愛していたようではありますが、強く言っておきます。伝わらない愛情になど、価値も意味もまったくありません。娘が瀕死の重傷を負って帰ってきた、そこで義手義足を用意するのもまあよいことでしょうが、ならばなぜ一緒にメッセージを送ってやらなかったのですか。彼女が本当に欲しがっていたものは、「物」ではなく「気持ち」です。結局セセリが父親の愛情をなくすことを恐れて再出撃してしまった、それは瀕死という状況においてもなお父親の愛情を感じられなかったからに外なりません。せめて治療の場に顔を出し、一言でもいたわってあげれば、「よく生きててくれた」とでも言ってあげればあんな暴走はしなかったかも知れないのに。もっとも欲しがっていたもの、父親からの愛情。それを、「もう求める必要はないんだ」と実感させることさえできれば、「お父様に嫌われたくないから」と言って飛び出していくこともたぶんなかったのに。……私はそう思えてなりません。
●次の世を、幸せな自分を夢見て眠れ。お前のことは忘れぬ この「セセリ」というキャラクターは、所詮ゲームの、しかも殺されて当然の運命にあるシューティングの敵役にすぎません。しかし、設定を見るにつけあまりにもかわいそうに思えたため、墓標を立てる気持ちで感じたことを書き出してみました。一人くらい墓を立ててやる人間がいてもいい、そう思います。「若くて様子のいい人間が死に急ぐのは、見ていて辛い」 一夢庵風流記、前田慶次郎の言葉です。まして、それが自分と同じ痛みを持つ者ならなおのこと。
●誰にも理解はできないでしょうが……なぜここまで入れ込むのか、これは自分でも不思議なくらいなのですが。正直な話をしましょう、私もこのキャラクターと同じ事を思って生きてきたからです。 私の父親は、家族に対してまともな愛情を向けてくれない人物でした。奴に言わせれば「愛していた」などと言うかもしれません、ですが我々にはそんなものはほんの少しだって伝わってきませんでした。一言だってほめてもらったことはありませんし、ただの一度だってこちらを気遣ってくれたことはありません。なにか成果を見せても「そんな程度か」としか言わない。ひどいときには「そんな下らんことより」と前置きがついて、まったく関係ないことで殴られたりもしています。私たちに与えられたのは、暴力による恐怖と理不尽だけでした。どれほどさびしかったことか。姉も、まったく同じことを感じていたと言います。ほんの一度だっていい、ほんとにほめてさえくれれば。それだけ望んで、何度も何度も裏切られて傷つけられて。……奴がこの文面を見たら、鼻で笑うことでしょうね。何一つ汲み取ろうとせず、ただ根拠のない独善の中に生きる。あれはそういう人間です。
●俺は、貴様を一生許さない。よく覚えておけ それでもね、私や姉には少なくとも父親以外のところにいい「仲間」がいました。あれに見切りをつける分別を備えられる(備えさせられる)出来事も数々ありました。おかげでそれぞれ歪みもせず、まともな人間としてやっています。でもこの「セセリ」はその前に、一番つらい時期に何もかもが終わってしまった。私などよりもはるかに哀しい人間だ、私はそう感じます。「お前は虫けらだ」と実の親に切り捨てられるその痛み、常人が味わっていいものではありません。逆に言えば、親が子に味わわせていいものではありません。
もう少し言いたいこともあるけど、それは一般の人の目にあまり触れさすべきでないので隠します。なぜ筆者が人間嫌いかの片鱗は見えるはずですので、その辺興味ある人はどうぞ。コメントアウトしてあります。 似たような話であれば、指輪物語のデネソールとファラミアもこんな感じですね。ここまでの話題からすればファラミアも同志ですが、彼は兄貴がすごく優しかったのでそこは私と同じく救われていると言えます。 ……しかし、久しぶりです、ゲーム遊んでここまでキャラクターに哀しさ感じたのって。ライブ・ア・ライブのオルステッドのとき以来です。まあ、本当はこういう想いはしたくないんですけどね。すごく寂しくなるんです。誰だって、「痛い」のはいやでしょう? それとね、もう一つ。このゲームってうまい人になると敵が大量に弾を出す瞬間を待ったりして点数を上げていくんですけど、この「セセリ」も当然例外ではありません。すでにパターンが解析されて、いい点数上げのカモにされています。本人の意気込みとは裏腹に「さあ、いっぱい弾出してちょうだい」とばかりに待たれる光景を見ていると、「難儀な人生だな、お前も俺も」とつい苦笑してしまうのです。 最後に、サイトに取り上げて返答を下さったケイブ社スタッフの方々に、届かぬながらも御礼申し上げます。
※1 衝撃のアルベルト 「ジャイアントロボ THE アニメーション」に登場する、世界征服を画策する敵組織「ビッグファイア団」のエージェント。彼は豪傑ぞろいの「ビッグファイア団」の中でも最強と称される「十傑集」の一員であり、その戦闘力たるや生身単身無手で軍事基地の一つ二つ、軽々壊滅せしめる。ダンディズムと武人の誇りにあふれる硬骨漢で、戦闘に際し主に使用する能力は赤色のつむじ風「衝撃波」、特殊能力は「エネルギー吸収」。……あまりにかっこいいので、興味を持った人はとにかく原作を見られたし。
シリーズそのものは有名だから特に説明は無用と思われる。このゲームに登場するアルベルトは原作関連イベントでモビルスーツをいとも簡単にひねり潰し、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」において強敵であった「使徒」に襲いかかって一歩も引かないという大活躍を見せる。ドリームキャストにおいてリメイクされた方では暴走状態にあるエヴァンゲリオン初号機を衝撃波一発で爆砕させるという快挙を達成。誰でもわかる注意として、使徒と戦うときは防御攻撃は選択厳禁(珍しい死にボイスが聞けるが)、なんたらドグマでは激励をバリバリ掛けて気力を最高まで上げること。あと、量産型と戦うときは集中があったほうがより安心。 しかし、その実この作品では彼の扱いには少々愛が欠けている(部下の言葉を咎めて怒る人物ではない。原作でイワンの言葉を遮ったのは、村雨に対する牽制として)と感じる。どちらかというと、声のない同シリーズのニンテンドー64版のほうがより愛が強いかなー、と。こちらはシリーズ屈指の名ストーリーなので、シリーズファンで未プレイの方はぜひ。
指輪物語の中盤から後半にかけて登場する人物たちで、序盤に登場したボロミアのそれぞれ父親と弟。デネソールは妻を早くに亡くし、残った2人の息子を1人で育ててきたわけだが、武芸に秀でていてまた誇り高かった(この誇り高さは倣岸とも呼べるほどだった)ボロミアを深く愛し、逆に武よりも伝承知識を求めまた非常に優しい人物だったファラミアにはあまり愛情を与えていない。ただ、ボロミアは幼い頃からそんなファラミアの面倒をよく見、またファラミアもよくボロミアを慕ったため兄弟仲は非常によかったという。 作中、とある出来事によりデネソールのファラミアに対する愛情が歪んでこそあれ強く発露するが、筆者に言わせればあんなものは愚の骨頂、愛情とも呼べぬ唾棄すべき身勝手。なくしてから大事さに気付くなど愚者のすること、なくさねば発露せぬ愛情など完全に無価値。子供にとっては却っていい迷惑である。 実の親に謂われなく愛してもらえずに育った人々の物語、というのは世に割と見出すことができ(物語の上ならば他に『デスゲイトサイクル』のベイン王子や『ベルセルク』のロシーヌ、実在の人物ならば結城秀康や伊達政宗などがいる)、そういう話を聞くたびに筆者は「貴様らの勝手で作った子らだろうに」と憤激するのである。ロシーヌが最期の瞬間に想った光景は、涙なくして見られない。
※ ただし、ベインは初めから「道具として使うために」作られた子であるため、すでに「勝手で作った」などという次元からも程遠い域に達してしまっている。このキャラクターについては、本人のキャラクター性や人生総ての顛末などを考えると安易にコメントを出せず、実に複雑な気分になる。生まれたことの哀しさ、という意味では彼を上回る存在は稀有かも知れない。 |