〜ファイナルファンタジー10〜 機種:プレイステーション2 |
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●面白かったぜ、マジで いやあ、ようやく終わりました、ファイナルファンタジー10。同シリーズの6などに比べて物語や演出に嫌味もなく、難易度的にもちょうどいいバランスで、「楽しむ」という面では非常に良質な一品でした。「ゲームとして云々」ということはさておいて、とりあえず機会があったらどなたも遊んでおくといいと思います。
●いやーな思い出私も以前はファイナルファンタジーが大好きだったんですが、5の辺りからちょっと疎遠になっていまして、「6発売!!」とかいうニュースも冷めた目で見ていました。「買ってまで遊ぼうとは思わないや」とか、そんな感じです。 そんなとき、ある友人に6の最終決戦(エンディングでないことに注意)を見せてもらう機会があったんですが、これが興醒めすること甚だしい展開で、そのあまりのわざとらしさに強烈な嫌悪感を催すことしきり。そこにきてその友人がラストボスのところで全滅してくれまして、その前にまた長い戦闘があったもので総計しておよそ1時間、ただ不快度指数をハネ上げただけに終わり、「このシリーズ終わったな」と本気で思ったものです。その節はお世話になりました、コージ君。 まあ、これは6作ずっと同じ見せ方(ドットによる描き絵と、そのアニメーションによる状況の演出)ということに起因するところもあると思うんですが、それにしたって最終決戦前のあの芝居はあまりに酷いと思います。なんでああいうコンテになるかなあ。オペラとかの演劇を変に意識しすぎじゃないですか?
●なんでも見てみるもんですねそんな感じだったもので、とりあえず7は解いたものの8、9は取り組む気さえ起こらずに見過ごし(8は最初の4時間くらいで『もういいや』になったもんで……)、今回の10も「どんなもんか」と思っていたんです。そしたらちょうど友人が(6の人物とは別ね)10の一部を見せてくれまして、それで「これはすごいかも」と思いまして。もうすぐアレも発売になるし、どうせハードは買わなきゃいけないんだから、いいやそんじゃあ買っちゃえ買っちゃえと購入することに決めました。 ああそうそう、7もいろいろ評判よくないですがそんなに悪くはないんで、「俺まだだ」って人はこれも遊んでみるとよいかもです。
●声優さんがいい仕事してますで、内容についてですが、簡単に言えば「面白かった」です。今回から物語に登場するキャラクターに声当てがされていて、どうでもいい一般市民以外はフルボイスで喋ります。この演技がかなりいい感じに仕上がってまして、これによりこれまでのキャラクターの身ぶり手ぶりによる演技だけでは伝えきれない部分までがっちり見えてきます。テキストだけだとやっぱりイントネーションまでは伝えられませんものね。 今回のこの「声当て」については「無いほうがいい」という意見もあるそうですが、私は「声無しであのシナリオが表現できるんですか?」と思います。だって、テキストだけで「お前 なんなんだよ!!」って書かれて、それでなんつーかピンときますか? いくら表情が付いたといっても文字だけではやっぱり細かい感情の揺らぎとかは表現し難いでしょ。
●すでに固められてるキャラに想像もクソもないんじゃないか?あと。「キャラクターに対する想像の余地を狭める」故に「声は無いほうがいい」、って言う人もいるだろうなあと思うんですが、それもなんか違うかなあと思います。つうかどうせそこまで考えながら遊んでないでしょ。考えながら遊んでますか、「ああこのキャラの声は檜山の声だなあ」とか「こいつの声は速水でキマリ!!」とか。んなこたないでしょう。 ちょっと極端な言い方になりますが、私は「ロールプレイング」という言葉を意識した場合、主人公の名前決まっててプレイヤーの思惑とは違うことを勝手に喋る時点ですでにプレイヤーの想像の入る余地はないと考えます。なぜかというと、主人公はプレイヤーの意思の代弁者、プレイヤーがゲームの世界に干渉する際の代理人となってくれるからです。それなのに、「プレイヤーの意思の代弁者」がプレイヤーの考えていないことを勝手に喋ったら、意思を代弁してくれてないことになるじゃないですか。けえ、お前の意見なぞ聞いておらんのじゃ!! って思っちゃいますよね。
●一番いいのはテーブルトークでしょうなとりあえず、私的ロールプレイングの基準てのはこんな感じ。
物語があって主人公がいて、んで以上の基準を満たしてる。それが私にとってのロールプレイングで、満たしてないものはインタラクティブムービーと、そんなふうに考えるようになりました。だからアーマードコアとかワールドネバーランド、女神異聞録ペルソナ、THIEF2作はロールプレイングでスーパーロボット大戦とかその他巷のロールプレイングと言われるゲームはインタラクティブムービーね。
●親父、いい奴じゃん!!おおっと、派手に話が逸れた。 発売直後によく見かけた街角のポスターとかだと「世界で一番ピュアなキス」とか書いてあって、「ああ、ラブストーリーを見て欲しいのね」と思っていたんですが、物語を進めていくにつれ私にはそんなことよりも主人公とその親父の感情のすれ違いのほうが堪えるようになりました。ひどく不器用な親父、その不器用さがまだ分からなかった息子。お互いのわだかまりをまったく解消しないまま離れ離れになり、無為に長い時間が過ぎて。で、父子両方をよく知る人物にいろいろ話を聞いたり見せてもらったりして考え方も少しずつ変わって。そういうことをあれこれ考えていたもんで、親父にようやく会えたときの主人公の態度、説明できませんがよくわかったような気がします。 あー、まあなんつうかこれも物語の核心にある部分なんであんまり細かくは言えません。興味のある人、誰かに聞くか実際に遊んでみてください。
●ファイナルファンタジーは音楽いいよね今作で特に印象に残ったのは、ゲーム中の音楽です。もともと私はゲーム音楽というものが割と好きで、遊んでいて気に入った音楽なんかは大概覚えてしまうものなんですが、今回は特にキましたね。 序盤では「やっぱり音楽はいいよなあ」って感じで別段気にすることもなかったんですが、終盤、「御山」に登りはじめた辺りから音楽とシチュエーションの絡み合いがツボに刺さりはじめまして、さらに「みんな、もっと何かないのかよ!!」から始まるイベント、その直後のハイウェイ跡の音楽にはバッチリやられてしまい、半分泣きながらそこでレベルを稼ぐという、傍目には馬鹿以外の何者でもない状況に陥っていました。 いや、実際そこに行き着いた直後の主人公の心境とかを考えると、あそこのあの音楽は犯罪的にヒットするんですよ。「現実」に対する絶望や哀しみ、焦り、悔しさ。それでも「現実」を覆せる要素が存在しているかも、という一縷の希望。こういう感情があのシーンには凝縮されているように私は感じます。するとねー、なんか泣けてくるんですよねー……。今でも自然に曲を思い出したりしますが、するとその後一時間くらいはだいぶ沈みます。 ここで話題にしている音楽はルカシアターの音楽スフィア、25番に収録されてます。ただ、やっぱり実際にそのシーンに行き着いて聞くのが一番でしょうか。ちなみに、曲名は「いつか終わる夢」だとのこと。
●あれだけ頑張ったんだから、「これで終わり」では酷いよなこういうところでこういうことまで言ってしまうのもどうかな、と思わないでもないですが、エンディングについて。いやあ、なんとも悲しいですね。そんな中でも一番後にくるあのシーン、皆さんはどうお考えでしょうか? ゲーム中において、全て終わった後のことが少しだけ語られますね。「お前が泳ぐ海を創るよ」「夢の終わりを超えて走れ」 さて、彼の泳ぐ海はどこに創られたんでしょうかね? まあ、ゲーム中では明確には語られませんが、たまにはこんなのもいいなあ、と思います。「遊んだ人それぞれの想像にお任せ」ということですね。駄目だよ、説明ばっかり求めてちゃ。
●サボテンも雷も大嫌いだ!!ちょっと今回気になった点。 なんですかあのふざけたミニゲームの数々は? このゲーム、最強の武器を取るためになんやかやと妙てけれんなミニゲームをやらされます。ダチョウみたいなチョコボという鳥に乗って走ってみたり、雷を200回避けてみたり、ピカピカなところでピカピカな蝶を集めてみたり、サボテンと「だるまさんが転んだ」をやってみたり。どれもきっちりやり込んでいけばできるんでしょうが、すでに老化の始まった私にはそんなことをしでかす能力は残っていませんがな。 まあ入手に苦労する分性能も飛びぬけていて、そういう武器を携えて行けば最後の戦いがわずか数合の打ち合いで終わるというすごい代物なんですけどね。だからってめちゃくちゃ広大な砂漠をさまよった挙句にサボテンとの「だるまさんが転んだ」に負けてまた砂漠をさまよい直し、てのは拷問だと思います。
●つまんないのをこき下ろすのはいいけど、いいものもこき下ろしちゃ何にも残らんだろとまあ、今回のこれは非常に好感度の高いもので、終わったと思っていたファイナルファンタジーもまだいけるなあと思わせてくれました。つうかもうロールプレイングじゃなくてほんとにインタラクティブムービーを謳っちゃっていいと思います。 ともあれ、これは非常に良質な「楽しみ」でした。もうアレだ、「ゲームじゃない」とか「ロールプレイングじゃない」とかそういうことを言うのはやめて、素直に遊んでみようじゃあないか。楽しみを求めるのに、そんな小さくて曖昧な垣根なんているものか。面白いものは面白い、つまらんものはつまらん。でかいタイトルだろうが草の根タイトルだろうがそれは変わらないよ。それでいいじゃんか。
●追記(03.03.19)なんか先日、「ファイナルファンタジー10-2」という信じられないタイトルの作品が発表されました(せめて『ファイナルファンタジー』は副題にして、スピラ物語とかそんなタイトルにでもしてくれればよかったのにと思うことしきり)。まあ、直接の続編が出たということはスピラという世界のポテンシャルを見た気がして嬉しいといえなくもないんですが、正直筆者は今回見送りです。理由は簡単、先述の通りヒロインと主人公(主人公は次回作ではサブキャラ、ヒロインが主人公だそうで)のロマンスになんか微塵も興味がないからです。 実際のところ、筆者は自分の周りを取り巻いている環境などから身内を非常に大事にする傾向があります(もっとも、そのぶん裏切られたときの怒り、憎しみの桁もまた違いますが)。また、父親に対しては性格、性癖などの関係上一生和解できない部分があり、かつそれでも肉親の情はあるという状況ですので、ちょうどこのゲームの決戦直前のような光景は筆者にとっては実に「羨ましい」光景であるわけです(初めて見たとき、本気で筆者は泣きました)。そういう事情がありますために私はこのゲームにノックアウトされた、そういう部分もあると告白しておきましょう。
●てなことでさそんな具合ですから、もともとヒロインに対して「お前どうでもいいや」という感情しか抱いていなかった筆者は今回の続編発表に対してもあまり興味がわかないわけです。まあ、機会があればやりたいとは思いますが新品を購入してまでやりたいかといえば確実にノーですね。 でも、続編の物語についてはなんか感じ入るものがありますねえ。ある脅威があった故に成立していた(強いられていた、とも言うが民はそれに疑問を抱くことはなかった)素朴な暮らし、それがその脅威が取り除かれたために瓦解していく様。その結果、暮らしぶり同様に素朴だった人々は便利なことの旨みを知り、心を腐らせて行く。ちょうど今の日本みたいなもんですかね、戦争や窮乏の苦しみを知らない我々の世代から急速に人心が腐敗していっているという。永続的な脅威のもとでの素朴な暮らしと、脅威のない世の中での便利かつ澱んだ暮らしのどちらが良いものなのか、筆者には判断がつきかねます。 それも、実際にゲームを遊んでみれば結論の出ることなのかも知れません。が、筆者には今のところこれを遊ぼうという意欲はありません。どうにしろ、現在続編に対して言いたい事は一つ。「『似てるだけ?』って、顔どころか服装までそっくり同じじゃねえか! どう見ても他人の空似じゃねえよ!?」 せっかく作ってもらった「泳ぐ海」、今回の続編で無に帰さないことを祈ります。 |