〜ゲームって〜
=筆者の場合=
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●皆さんにとってのゲームってのはどうですか?

 せっかく番外編というものを作ったので、ちょっと今日は毛色を変えて固めのお話を。


●これはいいことを言っているなと

 先日、キングスフィールドのところでいろいろ書きましたが、その中に「みんな見る目がない」という一文も入れましたよね。あ、見てない? 入れたんです。まあそんなことはさておいて。今日(2002.09.06)、でけえ掲示板サイトでちょっといい意見を見かけたもので、自戒も兼ねてちょっと引用しておきますね。

「今のユーザは質が低い」って考えは、「俺の好きなゲームが人気無いのはユーザがカスだからだ=俺は真の面白さを分かってる高尚な人間なんだ」っていう選民意識にたやすくすり替わってしまう。

 ……ぶん殴られたような衝撃を受けました。丸っきり今の自分がそうじゃねえかと。いやね、この意見の載っていたスレッドっていうのが、往年の名作と名高いウィザードリィ、あれを「全滅した後の立て直しが極めて困難」という理由でクソゲーと声高に呼ばわった奴がいた、というところから始まったってやつなんですよ。以降、いろんな人々のやりとりが続く中の一つに上記意見が出ていたわけなんです。

 読み始めてからしばらくは、最初に「クソゲー」と言った人のことを「チーム立て直す根性もないくせしてクソゲーだなんて、典型的なキッズだなあ」と思っていたんですね。でも、上の意見を見て「あ」と気付きました。そういう部分、自分にも確かにあります。その表れが「みんな見る目がない」という一言なのは間違いないでしょう。


●私はこう思うのです

 しかし、だからといって、正面から挑めば本当に面白いであろうゲームに対し、それもしないでちょっと齧ったくらいで「つまんねー。攻略本なきゃ遊べねえよ」などとのたまうのはかなりろくでもない接し方ではないかと。「ゲームの楽しみ方なんてのも人それぞれってことで、どんな遊び方だろうが誰かに文句言われる筋合いなんかないんだよ」というのを承知したうえで、敢えてそう言わせてもらいましょう。

 ってことで、本題。「んじゃあお前どうなんだよ」ということで、筆者個人の「ゲームについて」、簡単にお話ししておきたいと思います。


●ゲームとのなれ初め(用法違うか?)

 私、初めてゲームを触ったのは小学校の1年生程度でした。んでまあ、どうしたものか激烈にハマり、以降ゲームを何者よりも優先させていたもので、よく親父にぶん殴られたものです。

 どういうんでしょうかねえ、私の場合は最初の衝撃の後もずーっとゲームに依存して生きてきました。本もいろいろ読みましたし、いろんな経験もしましたが、それに劣らずゲームからはいろいろなものを得ました。大小の挫折、我慢すること、覚えること、試すこと。最近では物語性も強くなって来てますから、そういう部分から「人間との付き合いの結果にあるもの」の数々や「人として目指すべきところ」など、疑似体験からとはいえ貴重なものをいっぱいもらってきました。


●ゲームなくなったら廃人になりそうだ

 そんなことを繰り返すうち、何を求めるでもない、ただゲームをやっていると何か落ち着く気がする。やることがない、でもやるゲームもない。そんな状況でも、何か引っ張り出して迷わずゲームをやっている。そんな人間になっていました。もうね、ゲームが「趣味」なんじゃなくて、既に人格形成の一部分、それもかなりの大部分を占めちゃってるんですよ。だから、今更ゲームのない人生なんて想像つきません。よって、他人ごときがいかな圧力をかけてこようともゲームを遊ぶことは絶対に捨てません。

 自分の人生は、少なくとも筆者にとっては「自分が楽しく過ごすためのもの」であり、それ以外の目的なんてありません。その「楽しく過ごす」ための大きな手段として「ゲーム」があるわけですよ。なので、よく巷で「アレは『ゲーム』じゃない、ゲームだと思って遊んでるやつは馬鹿だ」というような話を聞きますが、正直筆者はそんなことにはこだわりません。表現方法やら何やらを細かく分類して「アレはゲーム、これは違う」なんていうのはどうでもいいです。自分で遊んでみて、「これはイイ!」と思ったらそれが自分にとってのナイスゲームなんですから。


●「自分で選んで」買った、その事実がありますしね

 そんなわけですから、ゲームに対しては「誠実」に行きたいんですよね私は。どんなゲームでも、手元にあるってことは一応は自分の意思で購入したものなわけです。なのに、ちょっといじってみただけで「クソゲーだー!!」と叫び出してしまう、それはちょっと早計に過ぎるでしょう。最初に「こッ、これはクソというやつかッ!?」と思っても、そこからもう一歩踏み込んでみたらめちゃくちゃハマッた、そういうことだってあるかも知れません。だから、まず「クソ、クソ」と連呼する前にそのクソをもう少し味わってみるのがよい、筆者はそう思います。ていうか、そうでもなきゃどれがクソでどれが傑作なんて判断つきませんて。

 別にね、「買ったゲーム全部遊び倒せ」とは言いません。中には起動した瞬間、ニュータイプが敵意を感知するよりも早く「こいつはクソという奴だ!!」と分かってしまう代物もあります。また、個々人々の好みもあるでしょう。しかし、よほどクソと閃いた、あるいはよほど気に入らないのでもなければもうちょっと遊んでみちゃあどうかね、筆者はそう言いたいのです。


●ゲーセンのエグゼドエグゼスはいいゲームでした

 先日、友人であるところのワダ氏と喋っていて「俺たちガキん頃は、『クソゲー』なんていう言葉自体がなかったよな。『ゲームは難しいのが当たり前』、そう自然に思ってたもんな」ということで合意に達し、しばし昔のゲームなどについて話題を盛り上げたりしたものです。言われてみればまったくその通り、ルールもよく理解できないポケットザウルスで、よく分からないまま無為にエジプトステージで延々さまよったりしましたし、エグゼドエグゼス(ファミコン版)を3時間もぶっちぎりで疑問も感じずに遊んでいたというのはそういうことなんでしょう。今思えばさっさと投げ出していてもおかしくない状況だろうとか思うんですけどね、当時はそんなこと微塵も思いませんでした。なんでなのかはちょっと分かりませんが、たぶん「ゲームは貴重品」という当時の環境がすごい底のほうにありそうな気はします。

 しかし、今はもうゲームなんて子供が小遣いで買うものですし(筆者が子供の頃は、小遣いなんてありませんでした。現在、小学生の従兄弟は月に4桁単位でもらっているそうです。世の中変わったなあ)、またちょっと古いゲームなら投げ売られたりしている状況ですからね。我々の時代より、明らかにゲームは入手しやすくなってます。とすれば、遊ぶ側の目も肥えていくのは必定と。そういういきさつで「あれもクソ、これもクソ」というような今の状況が出来た、というのは簡単に決め付けすぎですかね。ま、こればっかりが原因ではないんでしょうけど、要素の一つくらいとしてはありそうな感じですねえ。それに、ネット上での安易なクソゲー話とかも。……話がずれた。


●人を叩くのなら、自分の埃をよく払ってからにするのがいいね

 とにかく、簡単にクソとは言わないようにするのが一つ。次に、簡単に攻略本は参照しない、というのを「誠実に」ということの表現の一つとしています。

 この話題はいつか別の機会にやりますが、最近のゲームってそんなに難しくないですよね。普通に遊んでいても、特に行き詰まったりしないでスイスイ進んで行けるという。そんなだったら、少なくとも初回のプレイで攻略本を買う必要なんかはないわけで。また仮に攻略本の非所持で大変な思いをしたとしても、それも楽しみの一つとなるわけですからまずは考えられるだけ考えてみようじゃないかというのが筆者の最近の基本スタンスです。まあ、極限まで行き詰まった状態でずっといるのも精神衛生上良くない気がするので、よっぽど困ったときはネットで情報探したりはしますけどね。とりあえず、本格的に攻略本買うのは、一度クリアした後とかですかねえ。

 なお、ファミコン時代のロールプレイングとかは攻略本ないとかなりつらいのが多いもんで、こればっかりは膝を屈して攻略本ご愛用です。そこで「なんだ、クチだけか」と笑う貴方、それはそれで結構ですが、その前にファミコンのマイトアンドマジックか女神転生、これを一切のヒントなし、完全独力でどこまで進められるかやってみて下さいな。最近のゲームしか遊んでいない「ゲーマー」な方には特にチャレンジしてもらいたいところです。あ、もちろん実機でね。そのうえでもう一度同じ台詞を言えるかどうか、よーく鑑みて欲しいものですが。(※ 正直、これで解けたら勲章ものでしょう)


●ゲーマー。……どういう訳になる?

 もう一つ。よく「ゲーマー」という言葉を見かけますが、筆者はこれ嫌いです。なんか、ただ解くことだけに汲々とする奴のようなイメージがあるんですよね。楽しむんじゃなくて、ただ早く解いて次のゲームに手をつける、ただそれだけっていう。まるでゲームに振り回されているようではないですか。それはちょっと勘弁願いたいところなんで、筆者は「ゲームプレイヤー」というものを定義しました。ゲームで遊ぶ人、うむ、素晴らしい

 攻略ということはもちろんゲームに不可欠な要素ですが、しかしそれだけにこだわらず、とにかくゲームを楽しむことのできる、そういう人を指します。自分がそう呼べる存在かといえば恐らくはNOでしょうが、少なくともそうありたいとは願うこの頃です。遊んでいて引っかかり「あーもー、なんじゃこのゲームは!!」とか怒りつつ、結局そのゲームで遊んでしまう。そんで、そこを抜けたら大喜び。そんな光景は「楽しんでいる」ということなんじゃないか、とは思いますが。


●そういうことで

 ……とまあ、こんな具合なのが筆者にとってのゲームです。はっきり言えばゲームに人生侵食された、そんな感じでもありますが今更そんなこと言ってもなんだし。そして、そんな人間がゲームに関してあれこれ考えたり感じたりしたこと、はたまた実際に起こった出来事なんかからガチャガチャと作っているのがこのサイトというわけ。なので、そんな筆者なのだということを念頭に置きつつろくでもない文面を楽しんでみて下さい。以上、締めです。


●最後に

 そうだ、せっかくこんな話題を出したんですから、「こりゃあイカンだろ」、あるいは「こいつァマジでクソゲーってやつだっ!!」と筆者が思ったものを書き出しますね。人生をゲームに乗っ取られた人間がこれはイカンと思ったゲーム、遊んだことのある人は苦笑するなり怒るなり、どうとなとお楽しみ下さい。



●プレステ版「超人学園ゴウカイザー」

 ゲーセン版の移植という振れ込みですがそんなことはまったくなく、むしろ超縮小再生産という言葉のほうが似合いますねコレには。画像とか音声とかはたぶん本来のメーカーからもらってると思うんで、むしろオーサリング技術のなさが問題ですか。アニメーションのつなぎ、キャラクターの挙動(ジャンプや攻撃のタイミング、当たり判定の作り方とか)がまずもって不気味かつ致命的なレベルでまとまってます。コレの終わっている点は「移植」という前提があるところで、オリジナルから大幅に劣化してしまっているためにオリジナルを期待して買った人から大いに怒りを買うという仕組みができてしまってること。まあどのみちクソゲーの謗りを免れることはない出来だ、と言い切っておきましょう。これで対戦やるくらいなら、そうですねえ、闘神伝2ででも対戦しますか?


●スターイクシオン

 別にゲーム面ではそんなに問題ないんですが、一部恐ろしく出来の悪い部分がありまして、ために印象最悪の称号をゲッツ。このゲームってスターラスターの続編で、要するに基地から戦闘機に乗って出撃し、攻めてくる敵を倒すってやつなんですが、補給のため基地に立ち寄るとなぜかファイナルファンタジー8の街の中のような様子にゲームが様変わりします。コレが会話の内容は極めて薄い、操作性はよくない、何より必然性がない(ショートカットマップの存在がそれに拍車をかける)などと実にいただけない内容となっておりまして。あんなだったら、基地に接触した時点でアーマードコアのようなシステム画面でも出してしまうほうがよほどいいと思いますが?

 なお、ゲームのほうはだいぶバランス厳しめで、戦闘中に後ろから体当たりを受けて戦闘システムの9割がダウン、修理のために基地に戻るとこちらも襲撃を受けていてバリア展開中、帰還できずに結局御陀仏というシチュエーションが多く発生いたします。これはこちらの腕前にも問題があるとはいえ、だいぶ気力をなくす仕儀ではありますね。