〜影牢 刻命館真章〜
機種:プレイステーション
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●ゲームとしての評価は高かったんですよね

 一部で大いに話題になった、建物の中で侵入者を手持ちの罠にかけて殺すというイヤーンなゲーム「刻命館」の続きです。今回一度に3箇所(天井、壁、床)の罠を3種類まで携帯でき、設置室を排除していつでも罠を設置できるようになりました。ただし、一度に設置できる罠は3箇所に一つずつ。設置してすぐに使えるわけでもなく、それぞれの罠に定められた待機時間を経てはじめて使用が可能になるという制限があります。


●殺人サーカスにご招待

 で、この「影牢」は罠にかけた相手を規定の条件下で続けて別の罠にかけることで「コンボ」が成立します。例えば、トラバサミ(ベアトラップという)で相手を足止めし、続けて天井から高熱の蒸気を吹き付ける。蒸気が消えないうちに壁から爆弾が転がりだし、大爆発……とまあこんな感じですね。最大で10回まで連続ヒットがカウントされ、そのヒット数と与えたダメージ、当てた罠ごとに決められた掛け率に基づいて報酬金額が算出されます。ここでもらった金が新しい罠を作る資金になりますので、張り切っていきましょう。

 このコンボを自分で考え、実行し、それがうまくいくと結構うれしいものがありまして、それがこのゲームの大きな楽しみとなっております。


●それぞれにはそれぞれの都合ってもんがありますからねえ

 さて、哀れな犠牲者はというと、基本的に主人公の境遇とはなんの関係もない善良な市民たちです。そんな中に「結婚したばかりで幸せの絶頂」だとか「この冒険が終わったら結婚するつもり」だとかそういうハッピーな連中もいたりするわけなんですね。

 で、そいつらの解説をみて「ああ、かわいそうになぁ。こんなところに来ないでおとなしく畑でも耕していればよかったのに」と思うか「自分達だけ幸せ面しやがって! バラバラに叩き刻んで肥料にしてやるぜ!!」と思うかで、プレイヤーがどんな人間かある程度の想像はできましょうが、まあそんなことはこの際あまり関係ないですね。どっちみち先に進めるために始末しなけりゃならないんですし。ときどき逃げていく奴もいますが、逃がすかどうかで確実にエンディングに変化が出るので、まあいろいろ試してみるのがよいかと思います。


●人の業(カルマ)

 物語は、なんせ一人の人間のエゴ(主人公の境遇などを考慮して、敢えてこう言います)によって人が殺されていくゲームなもんで全体的に暗め。結末は4種類ほどあって、先刻述べたように特定の人物をどうしたかによって変わっていきます。どれも基本的には悲惨なものなんですが、主人公のその後に絡めた人間の在り方的なものが語られていて、なかなかに興味深いものがあります。

 ところで、実の兄貴と再会を果たし、二人で国を出ていくという結末があるんですけど、その最後に赤子を抱く主人公(女。美少女という奴だが、個人的に髪形が嫌)と、その肩を抱く謎の男(男の顔は見えない)のイメージが出てくるんですね。あれは一体どういうことなんでしょうか。ゲーム中の兄貴の台詞などから単純に考えると……。

 ということで、あれを初めて見た人間の9割9分が「兄貴、何してやがる!!」または「それは誰の子だ!!」と思ったことでしょう。まあ好意的に考えれば、あの男が誰であるとも語られていないわけだし、主人公の衣装も変わっていたのでたぶん買い出しにでも行った際に誰かに見初められたんだろう、とも解釈できますけどね。嫌な考え方をすれば、どこまでだって転がっていきます。ていうか、それでちゃんとした子供ってできるの(※1)


●現実の拷問も、ものすごいものだったといいますが

 下らないことを考えるのはよして、話を変えましょう。罠がキーワードになっているこのゲームですが、何も手持ちの罠だけしか使えないというわけではありません。戦場になる建物の中には、いろいろなものがあるわけです。暖炉、建て付けの悪い柱、油を詰めた樽。宮殿には池や罪人の拷問室があるし、遺跡には侵入者撃退用の罠もあるでしょう。こういうものをコンボに組み込んでやれば、視覚的にも効果そのものも非常にいいものが出来上がると思いませんか?

 この「施設トラップ」にもいろいろ種類がありまして、「そりゃ助からんだろ」的なものから冗談にしか見えないようなものまで様々です。そんな中からどれを好んで使うかで、またしてもプレイヤーの人間性に察しをつけられてしまうわけなんですね。個人的にはアイアンメイデンと斬殺換気扇がお気に入り。

 しかし、ペンデュラム(でっかい三日月状の振り子斧)ってありますけど、あれって拷問用具なんですかね。個人的には完全に処刑用具にしか見えないんですが。


●ちょっとまじめなお話

 ところで、最近巷にはこのゲームに限らず「このゲームには残酷なシーンが云々」といったマークの付いているものが多々あります。子供に与える影響というものを考慮してのことなんでしょうけど、それを言ったら漫画にも映画にもそのマークを付けなければならなくなると思うんですがどうでしょうか。漫画にも残酷な描写はかなり多いことですしね。

 私としては、そういう類のメディア媒体から子供が受ける影響を恐れて隔離するばかりでなく、「反面教師」的な感じで見せてやるのも薬になると思うんです。さすがに小さい子供に残酷マークのついたゲームばかりを買い与えるのは問題ですが、あまり極端にそういうものに子供を浸け込まないのであればそれもいいのではないかと。「現実と虚構の区別」、「いいことと悪いことの区別」さえしっかりと教えてあれば、ね。

 例えば、巷で人気の格闘ゲームに剣を使ったものがあります。普通、剣などでなくともナイフ一本を腹にぶっすり刺してやれば人間はおだぶつですね。しかし、そのゲームでは、ゲームであるがために人の身長程もある巨大な剣で叩き斬られても一撃では倒れない。それどころか、体力が尽きて倒れてももう100円ほど入れてスタートボタンを押せば復活してしまうんです。

 ですが、当然ながら人生にはコンティニューもリセットもありません。ナイフを人間に突き立てれば絶命し、その人間が復活することもないのです。この「現実」と「虚構」の区別がしっかりできていなければ、そして人を傷つけること、殺すことは悪いことだと分かっていなければ、人間はゲーム感覚で人を殺してしまえるんです。自分の罪を認識することなしに。まあこれは極論ですが、程度の違いこそあれ実際も大して変わることはないでしょう。


●熱いぜ、カズ!!

 以前私が読んだ漫画に、こういう台詞がありました。

「悪書が与える影響を恐れてなにも与えないより、悪書と昔てめえが読んで感動した本とを並べて渡すほうがいい。もしてめえが感動した本が本当にいいものなら、子供は自然にそっちを選ぶ。もしそれでも悪書を選ぶようなら、それはその程度の人間に育てたてめえの責任だ。違うか」

 これは、本に限らず親が子に与えるありとあらゆるものに言えることだと思います。結局、子供の最大の師匠となるのは親ということですから。だから、子供が悪くなるのを何でもかでも漫画やゲームのせいにするのは筋違いで、その程度のものしか選べない子供を育てた親のせいであろうと私は思うわけです。……これが分かっている親は、極めて少ないんでしょうねぇ。でなければ、乳飲み子を放って不倫に精を出す母親など現れるはずがないですもの。

 長くなりましたけど、何でこんなことを急に言い出したかというと、このゲームの評価で「こんなものが世に出回るから世の中が悪くなる」的なものを見かけたから。全然はずれとは言わないけれど、だいぶ違うんじゃないですか? これでは「ナイフがあるから人を刺すんだ」と言うのと同じです。世の中が悪くなるのは、凶悪なゲームのせいでなく心の弱い人間のせい。ゲームごときに影響されて現実と虚構の区別を見失い、人生を狂わせるような人間はゲームなんかあろうがなかろうがどのみち人生に失敗します。「こんなものが世に」出回っても、悪くならない人間を作りたいもんですね。


●このままだと日本は人災で沈没しますね

 この文章を書いたのって実はだいぶ前なんですけど、最近になって随分と若い世代の壊れぶりが明るみに出てまいりました。なんか、どんどん悪い方向に進んで行ってる気がします。3代くらい前から叩き直さないと、もう良い方向には向かないんでしょうねぇ。



※1 ちゃんとした子供

 嫌な話になりますけど、私、小さいころ週刊誌でそういう関係になった姉弟の間にできた子供の写真てのを見たんです。うそっぱちなのかどうかは知りませんが、まるで半魚人のような不気味な容貌(一切の誇張なし)でした。それがちょっと心に今でも残ってまして、私の中では「血族婚=異形」というふうになっちまってます。あながち嘘でもないらしいんですけどね、こういうことが起こりうるから法律とかで血族婚が禁止されてるっていうし。ちなみに、従兄弟同士ってのはぎりぎりでオーケーらしいんですけど、これもなんかやばそうですよね。