〜抜粋:「暴力描写について」〜
=公式DOOMサバイバルガイド(インプレス刊)より=
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●次の面接は通るといいなあ

 どうも時間をもてあまし気味な最近。なので、すごい久しぶりにDOOMの攻略本なんか読んでみてます。やっぱりすごいね、いやゲームの内容もこの攻略本の完成度も。

 私はFPS、ファーストパーソンシューティングというものがけっこう好きでして、だからこそThiefにも興味を持ったりした部分があったんですけれども、まず最初にあったのはこのDOOMでした。どういういきさつがあったかといいますと、当時メガドライブでモータルコンバット2が出ていたもののやはりこれではゲーセンで見かけた本物には程遠く、ぜぇんぜん満足しきれないでいました。さらにスーパーファミコン版も出たものの、こちらもやはり本物にはまだまだ遠く。

 何がそんなに遠いのかといえば、これはもうボイスの一言に尽きますね。もとよりゲーセンでモータルコンバット2を見かけたときの衝撃はすさまじいものがあったわけで、もう当時は口を開けばモータルコンバット2の話ばかりという具合でありました。もともと私は惚れたゲームに徹底して狂う(飽きたら捨てる)タイプの人間でして、周囲の人間には迷惑もいいところだったのでしょうが、そんな私をしてそこまで惚れさせたのは、怪しい設定やアホくさい残虐描写(あんなのはギャグでしかないと私は思っていますが、なんでみんなあんなに嫌がるのでしょうか)だけではなく、やたらとシャープに聞こえる攻撃時のボイスでした。

 もうね、日本の格闘ゲームなんかはかっこよく必殺技の名前を叫んだりしてるわけですよ。右も左も、それはもう何かしらは必ず。しかし、このモータルコンバットにそんな日本的「かっこいいヒーロー」テイストはいりません。だいたいがところ彼らは負けたらおおよそ死ぬ運命ですしね、それはそれは必死なわけです。そんな連中が、観客に媚びてなどいられるはずがないんですよねー。必死すぎて笑えるボイスがあるのもまたナイス。あーまあこういう話はたぶん誰にも実感できないと思うんですけどね、私自身の「感覚」の話ですから。とりあえず、ゲーセン版2のいろんなボイスは、ご家庭でなんとしても聞きたかった要素の一つでした。あよばだべー(裏返って)。


●結局32Xのゲームは3本しか買わなかったわけですけども(あと一つはサイバーブロール)

 それでですね、そんなふうに思っていたある日、スーパー32Xにおいてまたもモータルコンバット2が出るという話が出ました。メガドラ版で不満の残っていた部分を強化し、スーファミ版以上のものに仕上げているだかなんだか、そんな言葉が踊っていたように思います。ということは、ボイスも期待できるわけで

 だいたいねえ、神拳でとどめをくれたときのあの「ぉわあぁぁぁぉぉ」というボイス。あれがなければモータル2ではないでしょう? メガドラ版にはもちろんそんなものが入っているはずもなく、スーファミ版だってアッパーカットで飛ばしたときの「ぼぉぉぉぉ」「あぅぉぉぉお」という悲鳴をそのまま使いまわしているだけ。なんなんだそのやる気のない有様は!!

 だいぶ血迷っています。まあとにかく、そのために私はスーパー32Xを買うことを決めたわけなんですが、ハードは手に入ってもゲームがない。それじゃあつまらないから、何か一つ買っておこうか、ということで私が手に取ったもの、それが雑誌で見かけて評判がよさそうだったDOOMだったのです。ここまで話すのに、ずいぶん長かったな。


●吐いては戦い吐いては戦い、まさに戦場

 最初はこんな感じで時間つぶしみたいに買ったDOOMでしたが、実際に遊んでみて気づきました、これものすごく面白いゲームです。大いにのめりこみ、そしてお約束、伝説の3D酔いにも徹底してやられ、最終的にはゲームを中断しては便所に駆け込み、一通り処理してから再びゲームに戻るとか、そういう無茶も平気でやってました。

 しかし、面白いから先に進みたいんだけれど、どうしても道が分からなかったりして先に進めない。うーむむむ、そうして悩んでいるときに攻略本を見かけたわけです。これは本来パソコン用に執筆されたものですから、精度が非常に高くてですね。32X版を一通り解きおおせ、後にスーファミ版DOOMを終了させるそのときまでずっと愛用してました。

 ちょうどいいから32X版DOOMのことをちょっとお話ししておきましょう。私はオリジナル、パソコン版は遊んだことがないのでなんとも言えないのですが、とりあえずスーファミ版と比較してみて動きがスムーズなのは32X版です。ただし、どうしても容量不足だったのか、こちらはステージ数においてかなりの削減が行われており、またステージ中の雰囲気出しオブジェクトの数も大幅に削られてしまっています。具体的には、エピソード3全てとエピソード2のステージ8、サイバーデーモンとの決戦ステージがなくなっていますね。だから遊べるのはエピソード1とエピソード2のステージ7、そしてシークレットまでです。BFG9000ももちろん登場しません。


●今はガキがそのまま子供作ってるからなぁ

 このまま放っておくとどこまでも本題が始まらないので、そろそろざくっと行きましょう。それで、その攻略本に表題の記述が項を特別に分けて行われていたのです。なんせDOOMといえば、敵をショットガンで撃ち倒し、チェーンガンで鉛弾の詰まったずだ袋に変え、プラズマガンで蒸発させ、チェーンソーでサイコロステーキに加工する、そんなゲームです。おそらくは四方八方からクレームが製作元に届けられたのでしょう。それに対する反論として、この項があったわけですね。

 私は、ヒットマンの項目やほか一部でも書いていますが、ゲーム上でのこういった暴力描写というものは大いに容認するクチです。というのは、繰り返してますけれども「空想(この場合はゲーム)と現実の境目」をさえしっかり教えてあれば「ゲームでやってたから真似したくなった」というような寝言は絶対にほざかないと確信しているからです。それができてない子供が今いい歳して問題起こしまくってるのは親の問題でしょう? 教育が行き届いてないんですよ。ちゃんと今私が言ったみたいなこと教えてきてますか? それもしないで物のせいにするというのは、世間では八つ当たりというんです。義務を果たさないくせして権利を主張するというのと同じ。みっともないったらありゃしない。


●この辺のことは、最低限分かってないとならんと思うのですが

 この攻略本を読んだから私もこういう考え方になったのか、それとも初めから私はこういう考え方を抱いていたのか、それは覚えがありませんけれども。ただ、いずれにしても私は今言ったみたいな考え方は正しいと思っていますし、金輪際変えるつもりもありません。どうにしても、この記述はせめて少しの人間にでも見ておいてもらいたいなと思うので、いろいろ問題あるんでしょうけどその辺全部おしてここに抜粋しておこうと思ったんですわ。

 それに、けっこう暴力描写云々のみならず、いいこと言ってる気もしますしね。すべては「自分の頭で考えて、取捨選択していけ」、そう言っているようにも思えます。では、どうぞ。

 DOOMはバイオレンスゲームである。それを認めた上で読者に理解してもらいたいのは、DOOMはすべての人を対象として作られたゲームではないということだ。特に、罪のない単純な娯楽性だけがゲームの要素であると信じている人々は対象からはずしている。

 ここ数年間、評論家、政治家、宗教家など、道徳の規範であると自称する人々は、米国のモラルが急速に低下しているが、その主な原因がメディアとエンターテインメントビジネスにあるとさかんに攻撃をしかけてくる。彼らの主張によると、マスメディアは、暴力や過激なアクションを、まるで賞賛に値する行為のように取り上げているという。


 DOOMの製作者たちはバイオレンスが好きだ。「我々は、アクションゲームが好きなだけだ。そして世間には、実際に生きた小動物を撃つのが好きな人々もいる」。DOOMの脚本家のKevin Cloudの意見である。彼は、id SoftwareのWolfenstein 3Dが大ヒットしたときの批判を思い出す。

「このゲームでは主人公が残酷なナチスと死闘を繰り広げる。途中、ジャーマンシェパードが主人公の喉めがけて襲いかかってくる場面がある。プレイヤーはもちろん犬を撃ち殺さなければならない。ところが驚いたことに、犬を撃つという行為に対して、大勢の人が激しい非難の手紙を送ってきたのだ。彼らの非難をいいかえると、人間を撃つのはかまわないが犬を撃つのはモラルに反するということらしい。

 私は、ペットを愛する人々の気持ちを理解しているつもりだ。しかし、このような過剰反応は、極端なキャンペーンによって洗脳された結果というほかにない。これらの人々は、メディアが悪であると思い込まされているのだ」。


 DOOMを批判する人々にとってもう1つの争点は、グラフィックに悪魔的なクリーチャーや象徴を使っているということだ。ある投書を紹介しよう。「DOOMのすばらしい画像には大変驚いた。これまで見たゲームの中で最も優れたグラフィックだと思う。しかし、技術的に優れているからこそ、このような超自然的な象徴を軽々しく扱うべきではない」。


 我々はこの投書者の意見を尊重する。彼または彼女は、不快に感じるゲームをあえてプレイする必要はないのだ。DOOMは彼らのために作られたゲームではない。「エクソシスト」、「オーメン」、「ドラキュラ」など悪霊が登場する映画や、極端にいうと「ハローウィン」や「お化けのキャスパー」のような映画でさえ彼らにはふさわしくないのだ。

 現実に目を向けてみよう。サタンは聖書の時代から誰もが知っている地獄の魔王だ。何も目新しいものはないはずだ。サタンの話を聴くのがいやなら、教会に行くときはどうするのだろう。特にDOOMが、現実の世界では許されないことをコンピュータゲームの世界に取り入れているわけではない。果てしなく続く善と悪との戦いは、エンターテインメントビジネス(映画、コンピュータゲーム、ブロードウェイのショーなど)を成功へと導く永遠のテーマなのだ。id Softwareのシナリオライター兼デザイナーであるSandy Petersenは、「本当に恐ろしい悪魔は、DOOMに登場するような悪魔ではない」と明言した。


 DOOMの基本は悪を退治することにある。エピソード3では、地獄へテレポートしたプレイヤーはさらに敵と戦い続けていく。地獄へ落ちた者達を崇めたり仲間に加わったりするわけではない。


 暴力的な描写についての論争は、これからも続いていくことだろう。肝心なのは、我々は選択権を持っているということだ。id Softwareはエンターテインメントビジネスに携わる企業であり、最先端のテクノロジーを使ったコンピュータゲームを製作している。我々は現実の世界で暴力を礼賛するつもりはない。プレイヤー1人1人が真の暴力とは何かを理解し、ゲームをゲームとして楽しむことができると信じている。

=インプレス社刊『公式DOOMサバイバルガイド』p6〜p7より抜粋。一部改行や強調は筆者の判断により付加=


 どうでしょうかね。途中、なんか詭弁っぽいなと思える部分もちょっとありますけれど、おおよそ私はこれに賛同します。現実において、自分の身を守るために暴力が必要になる場合もないわけではないと思います。ただし、だからといってどこでも暴力を振るっていてはただの犯罪者になってしまいますよね。

 その分、というわけではありませんが、少なくともゲームの中では好き放題やっていいわけです。そういうふうに用意されてるんですから。だからアレですかね、今はこれが逆転してるのかな。「ゲームでやってるから現実でもやってみたい、ゲームでできるから現実でもやっていい」。そう思うようになってしまっているのでしょうか。


●割と最近の話なんで、たぶん今も変わらないはず

 そうそう、聞いた話なんですけどね。今の小学生くらいで、かなりの人数が「人間は死んでも生き返る」と思ってるらしいですね。戦闘が終了すればHPが1で立ち上がりますか? 教会に行って金を払えば効果音が鳴って蘇生しますか? つまりはそういうことなんじゃないんですかね。基本ができてねえんだと。

 ガキの面倒見るのがかったるくててめえが遊んでいてえから、ガキにゲーム買って与えて放置してるんじゃねえのかよ。そういうガキが「これ欲しい〜」っていうのを、ほいほい買って与えてるんじゃねえのかよ。それで出来上がったのはまともな判断もできない失敗作、でそれを作った親は自分のしでかしたことなんか欠片も省みないでゲーム制作会社に投書と。そういうことじゃねえのかい? ちょっと極端でしょうけれど、私自身はこれが今現在の子供が育つ環境の一側面なんじゃないのかな、と思っています。


●本当のモータル2が遊びたくなるこのごろ

 これを見てどう思われるかは、それぞれの勝手です。気に食わないと思うのならば、そんなゲームはやらなければいいしこの文面だって見なければいい、それだけの話のはずですよね。でも、上の話でもありましたけどわざわざ投書とかで否定の意見をぶつけたがる奴ってのはどういう考えしてるのかな、と思うんですけれどね。意見をぶつけ合って歩み寄る、ならともかくも、こういう場合っておおよそ「僕らが間違ってました」と詫び入れさせるのが目的でしょ? 自分の考え方が絶対的に正しいとでも思ってるんでしょうか。そういうものの考え方が私は嫌いです。

 ちょっと長くなりましたが、まあそんなことです。読み飛ばすなり何か自分なりに考えるなり、それはそれぞれの自由。ちなみに、32X版のモータルコンバット2もかなり改善はされていたものの、結局ゲーセン版には遠い出来であり、その後に発売された「完全版」という名目のサターン版は神拳が出ないなどのバグを抱えた欠陥品だったそうで、結局のところご家庭で「本物の」モータルコンバット2を遊ぶということは、基盤を買うかゲーセンエミュレータでも持ってないことには不可能という悲しい話になるのでした。おかげで三種類もモータル2を買っちまったじゃねえか!!