追伸
クドイように何度もいいますが、私の言葉の「アイヌ」が指し示している人々は、
「アイヌネノアンアイヌ」をさす事は、極めて稀で、
どっちかというと、ウェンペ(悪い奴)も含めた「全てのアイヌ」であります。
また、自分をアイヌだと思っていない人、あるいは思うチャンスのなかった人々を
含めて話しをする場合は、意図的に「アイヌ民族」ではなく「アイヌ」という言葉を使います。
あと次ぎのご質問の、
「日本間の神様どう思うか」については、よくわからん、としかいいようがありません。
まぁ、葬式の時くらいしか坊主呼ばない人が多い和人に比べれば、
アイヌには、先祖を大切にしたりする人は(高齢な人には?)多いので、
そういう事に熱心な人は多いんじゃない? とは思いますが。
この質問においても「アイヌの人達は」が、
「アイヌは昔からいままでこういった考えがある」
という意味で聞いているのか、そういう人が今多いのか、と聞いているのか、
あるいは、俺個人がどう思うか聞いているのかが、よく判らないので、
どう答えていいものやら…
最近は、法事を仏式とアイヌ式両方でやる所も多いみたいですね。
この前無くなった葛野エカシの葬式でも、両方やったらしいですね。
でも、アイヌにはキリスト教の人も少なくないので、
別に「日本の神様(仏もカミじゃねぇぞ)」限定の話しではありませんね。
話しのついでですが、北海道に東本願寺が多いのは、国家政策に協力して、
キャンペーンまでうって、積極的に門徒衆を送りこんだからですね。
何故って?
明治維新の頃の大政奉還で、皇室寄りの西本願寺が幅を効かせはじめて、
幕府寄りの東本願寺が焦ったからですよ(ウソみたいですが、本当のことですよ)。
あと、「旧土人保護法」へのリンクは、下記アドレスでした。
前に張りつけていたのは、「文化振興法」の奴でした。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/kampisosi/dozinhogohou.html
俺には、アイヌの犯罪率は低くは見えませんし
(つまり「いいヒト」が多いようにも見えない)、平均年令は短く感じます。
それは、いままでの自身の経験と、知り合いのアイヌの境遇から得た
「印象」であって、証拠を出せといわれても、
それは俺の仕事ではない、としかいようがありませんが。
>朝日新聞の小説とか、コタンの口笛とか、松前藩の歴史とか、
コタンの口笛は、どうかわかりませんが、
松前藩の歴史を見る限り、アイヌってのは、記録されているだけでも、
和人を300人くらい殺してますが…
まぁ、あれは「犯罪」ではないでしょうけども。
(パレスチナのインティファーダがテロではないように)
あと、朝日新聞の記事って、どんな奴ですか?
ひょっとして、「コタンに生きる」?
まぁ、別にアイヌに限らずなんでもそうなんでしょうけど、
新聞に紹介されたり、取材を受けたり、顔を出して活躍している
人達ってのは、どっちかというと、そのグループ内の「めぐまれた」人々であって、
そういう人達の「英雄物語」から、全体像を想像するのは、
いかがなものか、と思います。
(そういう意味では、私も「先住民エリート」の一人であると言えます)
実際、アイヌだけではないですが、色々とあって、
にっちもさっちもいかなくなった人の話しって、出てきませんよね?
本当は、輝ける成功を掴んだ人より、無数にいるはずなのに。
>…では、oripakEsamanさんは昔のアイヌと和人はどちらが犯罪率が高いと思います?
「昔のアイヌ」を、「和人の侵入が始まる前(つまり「先住民族」となる前)」とするならば、
明らかに今のアイヌでしょうね、色々と貧しくなりましたから。
その「貧しくなった」主な理由は二つ。
コタン(村落)が破壊されて、相互扶助のシステム能力が激減し、
イウォロ(狩場=収入と信仰のエリア)が奪われて、経済的に破錠した事です。
コタンの破壊とは、政府による強制移住や信仰や言語の禁止もありますが、
「政府」以前の幕府体制の頃の、松前藩や商人による収奪の時期も含みます。
イウォロの破壊とは、具体的な狩猟の禁止や農業の強制もありますが、
善良なる(?)開拓民や屯田兵による、
「北海道開拓」も、大なり小なり破壊につながってますね。
「インディアンを滅ぼすには、騎兵隊を送るよりも、
鉄道を整備して周辺地域を開拓するのが効果的だ」
という言葉は、至言でありますな。
そして、貧しくなったところをみはからって、
医者とか人類学者の調査団を投入したり、奪った土地をほんのちょっと分け与えて、
「よーいドン」でレースをさせると(負けて当然やんか)
「滅び行く民族」観が定着する訳ですね。
…こんなもんで、ご質問のお答えになったでしょうか?
もちろん、具体的な資料とか証拠を出せといわれても、
私は研究者でないので大昔のことの証明を捻出する方法は知りませんし、
「アイヌの実態」については、前述の理由で、
カミにでもならないと把握は無理でしょう、としかいいようはないんですけどね。
コタンの口笛の話し、私も原典手に入れるのはちょっと先ですし、
ここを見ている他の人にもわかっていただきたいので、
よかったら、抜書きしてください。
でも、面倒くさい、あるいはスゲェ長くなるのでイヤ、
というのであれば、無理しなくていいですよ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/kampisosi/bunkashinkouhou.html
「アイヌの犯罪発生率が低く見える」ってのは蝦夷の和人と比べての話。時代は明治から江戸にかけての話。現在はわかんないです。根拠は自分の見聞。朝日新聞の小説とか、コタンの口笛とか、松前藩の歴史とか、ここのカキコとか、色々です。
でも所詮は自分の見聞ですので、「なるべく」とか「気がします」とか「見える」など断定的な表現は避けたつもりですが。ま、「ほぼ無い」ていうのは表現が行き過ぎたかもしれません。…では、oripakEsamanさんは昔のアイヌと和人はどちらが犯罪率が高いと思います?
え!その箇所を抜書き!?話が長いんで、面倒くさい。それにoripakEsamanさんも入手する当てがあるんでしょう?…まあ、どうしてもとおっしゃるのなら引用も考えますけどねぇ…。
ちょいと話しのスジからズレますが、
どうしても書いておかなきゃならない事なので…
なんでしたら、とりあえず「おいといて」下さい。
>なるべく客観的に比べてみると、和人の側では犯罪行為が多いのに対し、
>アイヌのほうでは犯罪行為はほぼ無いような気がします。
…「アイヌの犯罪発生率」が低く見える、とのことですが、
それって、何が根拠ですか?
まず最初に、この場合の「アイヌの」が、現代のアイヌなのか、
それとも昔のアイヌなのかが問題ですね。
昔のアイヌだとしたら、確かに昔のアイヌの村には乞食がいなかった、
といわれるので、富の分配がほどよくいっていて、結果として
現代社会のような大きな犯罪はなかったかもしれません。
ですが、伝説にはトパットミ(夜に襲ってくる強盗団)の話しなんかも
残っていますし、アイヌ同士の戦争も多くは無いですが、
それなりにあったようです。
でも、それいうなら、日本の昔の農村社会だって、
それなりに「乞食を生まないシステム」があったんでしょうし、
それと現代社会を比べるのは問題がありますね。
現代のアイヌだとしたら…そんなデータはないので無理ですよね。
まずもって、何処から何処までがアイヌなのか、
当のアイヌにだってわかっちゃいない訳ですから、マトモな統計は無理なんですよ。
実際、私も片親和人ですからねぇ。
私としては「アイヌの子」という立場の人間が、自身はアイヌである、
と自覚した瞬間から、何の条件も無くアイヌ民族である、と思っていますが…
でも、未だに差別とかもあって、それから逃れるために故郷を離れて、
子供が出来ても、自分がアイヌである事を黙っている人も少なくないんですね。
そういう境遇の人も、私は「アイヌ(この場合は意図的に民族はつけませんが)」
だとは思うんですが…でも、何もしないと「消えていって」しまいますよね。
なんでこんな事を書くかというと、私はこっちサイドの「アイヌの子」だからなんですね。
何かの手違いで(笑)、まだアイヌとしての意識を伝えてたりするんですが。
下に続きます。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/kampisosi/bunkashinkouhou.html
あと、これは現代アイヌ社会の深刻な問題なんですが、
「アイヌネノアンアイヌ(アイヌの中のアイヌ←つまり尊敬できる人間)」
以外は、場合によってはアイヌでないと切り捨てられる、という側面もあるんですよね。
実際にあった話しですが、前科のあるアイヌが、差別が元で発生した、
さる事件で捕まって、色々と問題になったことがありました。
個人的に会いに言ったアイヌの活動かも何人かいたんですが、
ウタリ協会は支援しませんでした。
まぁ、支援しない主な理由は、支援する事によって、
その人の家族に迷惑がかかりかねない、だったんですが(まぁ順当な理由ですね)、
でも「本当のその人間がアイヌネノアンアイヌなのか」という理屈も、
ちょっと入っていたのも確かなんですね。
ご家族の事を考えて、という判断は基本的に支持しますが、
その後に「アイヌネノアンアイヌなのか」なんてのがくっついてしまうところが、
極めて胡散臭いと思います。
アイヌってのは、アイヌネノアンアイヌじゃないといかんのでしょうか?
まぁ、ここの過去ログにも、俺をアイヌでない事にしたい人達が、
何人かで連れ立って暴れた事件なんてありましたが(笑)
そもそもが、アイヌってのは経済格差があるから教育の機会も少ないし、
(つまりスタートラインが既に違う)
同じような境遇の和人と比べても、アイヌだから雇ってもらえないとか、
結婚の時に色々あるとか、やっぱありますもんね。
で、行き付く先は日雇い労働だったりして、生活は食うや食わず、
それで日雇いの現場でも差別があったり…というか、事務職とかよりは、
そういうキツイ職場の方が、差別きついもんですからね。
それに日雇い業界は人の出入りか激しいので、北海道の人もいたりするし。
(大抵は普通の人だけど、中にはアイヌを差別している北海道の人もいる)
そうすると…まぁアイヌだってただの人ですから、ガマンしていても、
酒飲んで、喧嘩してみたり、色々したりして、前科もっちゃう人もいる訳ですよ。
当然、それがよくない事なのは確かなんですけども、
でも、現に格差と差別があるのに、ただガマンしてマジメに働けってのも、
惨い話しであるのも確かだと思うんですよね。
で、そういう
「本当に、差別されてどうにもならない領域に追いこまれた人々」の事は、
「ありゃ、アイヌネノアンアイヌでないから知らん」と、
「(活動とか文化とか)出来ているアイヌ」から切り捨てられると。
アイヌの内部にだって、差別ありますから。
そういう人々も含めた「アイヌの実態」を調査する事は、事実上無理でしょうね。
もし仮に、本当に仮にですが、それこそ神(カムイではなくて全能の神の方ね)
かなんかが、消えていった人、忘れられた人、隠している人も含めた
「全てのアイヌの子孫」の実態調査をしたら、実はアイヌの犯罪律は高く
なったりするんじゃないのか、と思う時もあるんですね。
何人であれ「恵まれない境遇」の人間の方が、犯罪を起す確立は高いでしょうから。
まぁ、アイヌの犯罪律が高いかどうかは別として、
「犯罪発生立の高い地域、あるいはグループ」は確かにあると思いますが、
それは、その地域やグループが「性質として野蛮、あるいは落伍者」
であるというよりは、社会からの圧迫を受けたり、
つまはじきにされることが多いので、結果として、
犯罪発生立が高くなっている、という事だと思います。
ですから「野蛮であるかどうか」の判断基準として引き合いに出すのは、
いかがなものかと思いますが。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/kampisosi/bunkashinkouhou.html
コタンの口笛、色々と探しましたが、全然在庫がありません。
近いうちに手に入れる予定ではありますが…
偽善者さんは、何処で入手されましたか?
こうなったら、面倒くさがらず、どっかの図書館でもいくかねぇ。
原文がわからないと、しばらくこの話題は進め様が無いので、
よかったら偽善者さん「アイヌはフケツなのか」とおなたが思う
きっかけとなった個所を、是非抜書きしてください。
これは「アイヌの悪いイメージの伝播」のモデルケースの可能性もあるので、
是非やっていただきたいと思います。
その際、あまりにもムチャで差別的な内容を引用したとしても、
原典が差別的である場合は、偽善者さんが「差別的だ」とは糾弾致しません。
ま、原典の内容ではなく、引用の仕方が意図的に差別的だったら、叩きますが(笑)。
野蛮の基準ですが、
@文化が開けていないこと。A無教育で粗暴なもの。
という事は…あ、俺おもいっきし野蛮だ(笑)
まぁ、そんな本当の話はさておき、
よくごちゃ混ぜになっている文化と文明の定義ですが、
仮に、文明を作る技術、文化を考え方、とするのであれば、
「文明が開ける」ならともかく(んな言葉あるか?)、
「文化が開ける」という発想が、
そもそも人をバカにしていて、大変「野蛮」であると考えます。
そもそも、文化(ものの考え方)には優劣はないのですから「開け」ようがありませんものね。
一体誰が誰に対して、何を基準に「開け具合」を判定しているのでしょうか?
まぁ、アイヌに対して和人がやったのは、
「文明的」に劣っているので、俺達が教化して開いてやろう、という行為ですよね。
まぁ、田んぼの作り方とか、鉄砲作る技術とか、戦争する技術では、
確かに和人の方が(とんでもなく)上ですが、
動物を捕まえて食べる方法とか、自然環境と末永く上手く付き合う技術や、
何でも自前のもので済まして生きる技術とかは、
(当然その中には哲学の他に「作る技術」もふんだんに含まれます、産業ではないですが)
アイヌのほうが勝っているので、「文明的」な文脈においても、
本当に和人が勝っていたかには、大きな疑問が残るんですけどね。
まぁ「殺し合いの技術や総合力」では、和人社会の方が上なのは確かでしょうが、
そんなもので人や民族を比較するのは、それこそ野蛮な話しですね。
でも、一昔前の日本(つうか近代国家の世界)は、
その総合力=文化文明・国力・民族のチカラで、
あると邁進していたのも確かなことだと思います。
こうした話しをしていると「野蛮」というのは、その人なり民族なり国家なりの、
ひとりよがりな基準から見た、勝手な相手の断定であり、
そもそもマトモな基準など無い、とも思えてきますね。
なら、アイヌも和人も、どっちも野蛮でどっちも文化的なんだから、
それでいいじゃん、という事になりそうですが、
実際には、その「おめぇのほうが野蛮ぢゃねぇか」の言い合いは平等ではなく、
アイヌの方が随分「割を食っている」んですね。
この部分こそが、注目すべき焦点であると思いますね。
色々と散々な事をやっておいて、挙句の果てには差別してほったらかし、
これは、多分どのような社会から見ても「野蛮な行為」でありましょう。
ですから、私は日本の政府(あるいは社会)は「野蛮」であると思います。
何かの一助になるかと思い、「旧土人保護法」にか関する資料を下記にまとめておきました。
これこそ「無知蒙昧なる土人に対して文化を開いてやる」という発想が、
キトピロ(アイヌネギあるいはギョウジャニンニク、もう食べました?)
の匂いのようにプンプンしてくる、
なんとも文明開化の音がするハイカラな資料であると思います。
名前だけは知っている人も多いでしょうけど、原文を一度ご覧あれ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/kampisosi/bunkashinkouhou.html
http://www.alles.or.jp/~tariq/
アイヌは日本の神様についてはどう思っているんでしょうか?@崇拝していた。A絶対崇拝しない。B崇拝してもしなくてもいい。Cその他。私個人はBだと思いますが。
広辞苑(昭和58年)から引用すると、「野蛮」@文化が開けていないこと。A無教育で粗暴なもの。だ、そうです。
野蛮@ですが、じゃあ文化って何だと思って引いてみると、長い説明の上に文化と文明がごちゃごちゃになっている…。広辞苑の見方を採ると、和人は文化的でアイヌは野蛮でしょう。これは江戸時代の例ですが、鉄鍋、鉄砲、刀、木綿の着物などなど、和人が作れてアイヌには作れないものばかりです。どう考えても和人のほうが文明は進んでいますから。しかし、私が代々木ゼミナールで習ったところによると、大雑把に言って文化は考え方、文明は作る技術だと言っていました。この見方を採ると、勝負無しになります。文化の優劣をつけるのははほぼ不可能ですから。
次に「野蛮」Aですが、何を基準にして「無教育」「野蛮」とするのかが問題です。和人の基準から考えると、アイヌは読み書き算盤等を習っていない狩ばかりしている民族であるから野蛮に該当する、と言うことになります。しかしアイヌの基準から考えると、和人こそチャランケ(話し合い)もろくにしないで一方的に話を進めたり、メノコ(女性)を手篭めにしたり、カムイへの感謝も知らずに自然の恵みを搾取したりと、和人こそ野蛮じゃないかと言うことになります。双方とも自分の考えを最善と考えて話を進めると、このように平行線をたどってしまうでしょう。で、なるべく客観的に比べてみると、和人の側では犯罪行為が多いのに対し、アイヌのほうでは犯罪行為はほぼ無いような気がします。そういう意味では和人のほうが野蛮かと。
なんか広辞苑にケチをつけてしまった。抗議が殺到するかも知れない(冷汗)。
アイヌの年表はケチのつけようがありませんでした。
ご指摘ありがとうございます。
ですがコタンの口笛、原本が手元にないので、直ぐには確認できません、すいません。
今度調べてきます。
もし、その下り表現が、不特定多数の日とが見ている場所に書きこんでも、
「惨くない」と思える表記ならば、前後の段落も含めて、ココに書きこんで頂いても構いませんよ。
まぁ、ここは削除はしない場所ですし、引用が話しの流れ上必要であり、
(この場合、元が一般に流布されていた出版物で、かつ話題になっていますね)
慎重でデリカシーのあるもので、かつ、プライバシーや尊厳に関わるものでなければ、
文面中に差別的な表現、あるい差別そのものが含まれていても、
許容範囲であると考えます。
まぁ、こんなこと書かなくても、
一般的な許容範囲でなくとも、私が殆ど削除しないってのは、知ってるでしょうけど(笑)。
>私としては衛生学的に見て「清潔」だから禊があるのかなと考えただけで、
>神学を持ち出す気は無かったんですが。
私が思うのは、
「清潔だから禊がある」という発想は、逆説的に、
「禊がある民族は他と比べて清潔である」という発想に密接に繋がっているので、
ちょっと用心したほうがいいんじゃないのか、と思ったんですね。
この「用心」というのがどういう意味なのかは、ご自身でお考え頂きたいですが、
その作業を「神学」という言葉で括るのは、どうかと思いますが。
別に、私は神学の話しなんてしてませんし。
「神学」とは、神とは何かとかを考える分野の学問であって、
その行為はどういう結果をもたらすかとか、立場ほどう捉えるか、
という事を「神学」と括ってしまうと、社会学のかなりの領域が、
「神学」になってしまうと思うんですが、どうでしょうか?
まぁ、私の言動に限らず、社会学的な切り口(「意味」とか「立場」とか「責任」とか)
の話をすると、「むつかしい事はわからん」で済まそうとする人はいますけども(笑)。
あと、「遺伝梅毒」という記述は実在します。
まぁ、その「再出版されてしまった資料」というのは、当時の警察とかが、
「アイヌってのはこんなに衛生状態が悪くて、種族(この表現はママ)として衰退している」
という話しをする為に集めたカルテなんですけども。
その他にも
「梅毒ハ当地旧土人種族のコシツ(漢字が出ない、固有の病気の意)ナリ、種族滅亡ヲ促シツツアリ」
などの記述もありますね。
ま、何度も言ってますが、
病気が蔓延したり健康状態が悪かったりしたのは事実ですが、
そういう状態になったのは政府の意図的な製作によるもので、
「種族(現代語訳すると民族ですか)の特質」という訳ではありませんので、誤解なく。
あと、話しは変わって、これは偽善者さんとストネコさんの両方に見て欲しいんですが、
何かのタシになるかと思って、アイヌに関連する事柄の年表作りました。
まだ製作途中ですし、ちゃんと調べずに掲載している事柄もあるかと思いますが、
徐々にやりますので、そこん所は勘弁してください。
http://www.alles.or.jp/~tariq/kampisosi/historymain.html
http://www.alles.or.jp/~tariq/
oripakEsamanさんへ
神聖は神学的に見て、清潔は衛生学的に見て、清いと言うこと。一緒じゃないですね。私としては衛生学的に見て「清潔」だから禊があるのかなと考えただけで、神学を持ち出す気は無かったんですが。
コタンの口笛、253ページ、アイヌの研究を発表している授業で、アイヌの畑中マサさんが差別的な金持ちシャモの後藤ハツさんの質問を受けているシーンです。それにしてもコタンの口笛って絶版になったのでしょうか。
梅毒垂直感染ともかく、遺伝梅毒…、それは初めて聞きました。差別の塊みたいな単語ですね。
「補給港があるだけでもありがたい」ってのは、視野が広すぎるので蝦夷港さえも省略されるのではと思った次第です。日本には長崎と堺しか貿易港がありませんからね。
ストネコさんへ
かきざきすえひろ様と、まつまえよしひろ様です。ちなみに私の言う松前氏とは松前藩のことです。松前藩とアイヌが互いに交易(または搾取)によって影響を及ぼし合っていった歴史を知るといいかもと言う意味です。
他の民族にも禊の習慣は? とのことですが…前回の返答とおり、
寒い地域の人には、結果として少ないと思います。
ただし、何かの行為をする事よって「清浄な状態になる」
事を目的とするものは、世界的にどこでも結構ある事だと思います。
ただしそれが本当に「医学の衛生観念上、清潔であるか」とは、
ちょっと別だと思いますけども。
例えば、イスラム教の習慣には、何か聖なる行為(礼拝)とかをする場合、
必ず水場でウード(禊、というよりは手足を洗う事)をしますね。
このイスラムの風習は、かなり清潔なものであると思いますが、
近くに水場がない場合は、砂などに手をついて「洗った事」にしてもいいとなっていますね。
この場合、別段「清潔」ではないはずですが「清浄」ではあるとされています。
あと、西洋の古い習慣にも、蜜とか酒とか水とかを頭につけて、
「神聖な状態になった」とする事もありますが、信じている人間にとっては
神聖である事は確かでも、医者から見たら、それが「清潔になった」
というわけではない事は確かでしょう。
つうか、酒やら蜜やらつけたら、かえって汚いような気も…
それに「ガンジス川で沐浴」って、どう見ても「清潔な行為」だとは思えないんですが…
あの場所は死者が彼岸に渡る聖なる川(悪くいうと死体が浮かんでいる川)ですから、
「聖なる行為」である事は、疑い様もなく確かな事ですが。
俺なんかあんな所に漬かったら、一発で腹下しそうなんですが…
まぁ、昔の日本の川とか池は、現在(過去においてもたいして変わっていない?)の
ガンジス川よりは、随分衛生的な空間であったのは確かなんでしょうけども。
ですから、日本の習慣などに「禊」を通して「清浄な状態」になる儀式があったとしても、
それが現在の価値観から考えるところの「衛生的な生活習慣」に繋がるかといったら、
随分妖しいのではないか、と思わざる終えません。
「身を清める」という習慣は、衛生観念というよりは、
多分に宗教的な「清と不浄」の観念に基づいているものなので、
それこそ見方によっては「野蛮な迷信」なのかもしれません。
あと、しきりに「日本(民族)は清潔か」という事をきになさっているようですが、
戦争とかする度に「斎戒沐浴し」という表現が頻発する中国古代あたりも、
かなりいい線いっていたのかもしれませんね。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
上の続きです。
で、私が今まで色々とお話ししている「衛生観念」の話しと、
「コタンの口笛」に出てきた「アイヌは不潔だ」という話しとは、
全く別である可能性があるんですよね。
元資料の「コタンの口笛」をしっかりと確認していないので、
どういう意味で「不潔」月買われていたのかわからないので、
なんともいえないのですが、私の印象としては、客観的に見た
「不潔」の話しではなくて、差別的な偏見に基づいた、
「フケツ」ではないかと思うんですよね。
ちょっと事情を知らない人に説明するのは、ためらうんですが、
今裁判闘争になっていて、週間金曜日にも特集されている事件に、
「河野元道差別図書事件(通称)」と呼ばれる事件があります。
この事件、簡単に説明しますと、
明治期などに特攻警察とか軍部が行った、アイヌ(当時は旧土人と呼称)の間に
蔓延していた病気などを調べた実名などが記載されてカルテを、
「貴重な資料だから」というだけの理由で、実名も伏せず、人権に配慮した
注釈もつけず、河野元道という「親子三代アイヌで飯食う学者」が、
600部も出版してしまったという事件です。
この事件の問題点は、まだ子孫がまだ生きていたりするカルテを、
いくら復刻資料だからといっても、断りもなく600部も出版してしまった事と、
その差別的な内容そのものなんですね。河野氏のヘンな主張も問題なんですけど。
まず「復刻資料」の内容ですが、当時のアイヌに梅毒や結核などの
「伝染病」が多い事に注目し、「遺伝梅毒」だとか「アイヌ固有の病気」だと書いてみたり
「こんな病気が蔓延しいて、衛生観念も欠落していて、アイヌは劣等な滅び行く民族である」
とか書いてあるんですよね。
…もうおわかりでしょうけど、これは「アイヌは滅び行く劣等種」である事を、
日本の政府が「研究し証明」しようとした事実を示す資料なんですよ。
ナチスドイツが「ゲルマン優劣種」なんてのを研究していたので、
まるで人種の優劣を論じる事がナチだけの症状みたいな理解をしている人が多いんですけど、
実は日本もアメリカもイギリスも、みんなやっていたんですね。
まぁ、アイヌが激減し衰退した理由の一つに、梅毒や天然痘の大流行が上げられていて、
確かに、それは理由の一つなんですよ。
ですがその理由を「アイヌ自身が劣等であること」に還元するのは、大間違いなんですね。
天然痘も梅毒も、元々は北海道になかった病気で、アイヌには治療法がなかったのに、
狩猟の禁止や強制移住の繰り返しなどで、アイヌ全体の生活力が低下していたのが拍車をかけて、
さらに梅毒に至っては、和人の商人や開拓者が、困窮するアイヌの女を、
妾にしたり手篭めにしたりする事によって蔓延したんですね。
これらは、私が別に自虐的になって言っているのでも、誇張でもなくて、事実なんですよ。
面倒なので具体的な資料は上げませんが、江戸時代だったら、松浦武四郎の紀行文、
近世の話しだったら、旭川の川村シンリツ・エオリパック・アイヌ氏の話しを聞くのがいいと思います。
で、こういった
「色々な和人政府の政策の結果としての貧窮(疫病の流行や貧困など)」を取り出して
「ほらみてごらん、旧土人はあんなにフケツで生活力がなくて劣等人種だ」とか、
「自分たちの文化も、言葉も、誇りも、自分の手で守れないでいる、同化されるべき劣等人種だ」
という感じで話しを進めたわけですね。
自分で死ぬまで踏みつけておいて「おまえは情けないなァ」とやる最低な手口ですが、
事実やっているんだからしょうもないです。
この手のしょうもい価値観、ついこの前まで、というよりは現在もなお、結構あるんですよね。
偽善者さんの持ち出している「アイヌはフケツ」という話しは、
このような価値観の構築方に基づいたものではないのか、と思う次第です。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
さらに、上の続きです。
まぁ、差別的な資料、人権蹂躙の資料ではあっても、その差別の存在を記憶し証言する為に、
研究用の資料として復刻することは「アリ」なんですけども、
それは普通、100か200のレベルで、販路だって特定のもので、
一般に流出するようなものにするものではないはずなんですが…(当たり前ですよね)
一般の古本屋で手に入れた人がいますね、この危険な資料。
そもそも問題の性質上、600部も「売りさばく」ような類の資料ではないはずです、
ここがまずおかしい。
あと、この手の「アブナイ復刻資料」には、発行者が現在の人権尊重の観念に立って、
「これは大変な人権蹂躙が行われている資料であり、許されない問題である。
資料として限定復刻するが、扱いには細心の注意を払うべきである」
という感じの事をしっかりと書くのは当然なんですけど、河野氏は何も書いてません、
これはマトモな学者の態度ではない(週間金曜日はこの部分の特集でしたね)。
自分の先祖(といっても大昔でなくて1・2代前ですよ)の病名(しかも「遺伝梅毒」!)
と実名、下手をしたら住所がのっているものを説明なしで売られては、かないませんよね、普通。
で、腹を立てたアイヌが裁判起したんですが、それに対して河野氏は、
「原告はアイヌ民族と主張しているが、アイヌは民族として歴史上存在したことがなく詐欺である」
なんて感じの話しをしていて、訳がわかりませんね。
この裁判活動は、全国ピリカ実行委員会という所が前面バックアップして展開していますが、
中々難しいようです。
http://member.nifty.ne.jp/pirika/index.html
ピリカ実さんは、思いっきり「サヨ苦」ですが、ナイスな活動をしていると思います。
ここまでかんばったら、例え背後がウヨ狗であろうがなんだろうが、協力しようと私は思います。
(私は自分を右翼とも左翼だとも思っていません、人がどう思おうが勝手ですが)
なんだか疲れたので「野蛮」については、また今度。
和人Xさん、ストネコさん、ご意見ありがとうございます。
近いうちに俺も書きます。
偽善者さんも、ご意見よろしくお願いします。
アイヌって、外洋航海できる帆船モドキ(正確には小型ガレー船に毛が生えたようなもの)
を持っていて、シベリアや中国、南洋まで足を伸ばした「交易の民」だったらしいですが…
まぁ、世界を股にかけた植民地(交易あるいは搾取先)拡大の話しである「大航海時代」では、
せいぜい「襲ってくる原住民」程度の役割しかないんでしょうけども(笑)。
大航海時代2では、探検をすると「トリンギット族」とか「ジャイアントパンダ」とか
「なまはげ(!)」とかが襲って来たりして、なかなか楽しかったですね。
それで、発見した珍しいものを本国の貴族に報告すると、報酬が貰えると。
これが「民族学」のはじまりかもしれませんね。
「補給港があるだけでもありがたい」って、なんだか開国迫ったアメリカの人みたいですね。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
>偽善者さん
松前のあとの一人、なんて読むのかさえ分からない・・・
ま、色々調べているといったってたった事実三つだけでは大胆な憶測としか言えませんからね。日本でも赤ちゃんに古着を?それは始めて聞きました。…ところで逆にいうと日本人はどちらかというと清潔好きなんですかね?他の民族にも禊の習慣はよく見られるんでしょうか?とりあえずガンジス川で沐浴する人々は印象に残っていますが。
「元々がアイヌ語の地名がついていた土地が殆どであった北海道に、『松前』なんて地名がついた由来が何なのか、ですよね。私は、松前藩があるから松前なんて地名があるんだ、と勝手に思っていたのですが…」
ううーん、そうすると松前と名乗ってから住み着いて、松前という町になった…。これが妥当な線ですかね。
「ゲームでもただの貿易先と考えるのは、ちょっとつまらないですよね。もっと、物や文化の流れを把握するゲームってのがあると、面白いと思うのですが」
ま、信長の野望じゃあせいぜいただ単に領地の一つですし。あえて言うなら「大航海時代」シリーズは貿易がメインだから物の流れが把握できるゲームかな?私はIIの外伝まで付いていきましたけど、舞台が世界だから視点が広すぎてアイヌは全く出てこない…。蝦夷に補給港があるだけでも有難いということで。
へー、江戸時代のアイヌってほとんど知られていないと思っていたら、随分色々伝わっていたんですね。
ストネコさんへ
信長の野望の詳しい事を知らなくても恥ではありませんが、アイヌを語るなら松前氏は知っていたほうがいいかもしれません。蛎崎季広は生まれが1519年からです。死去は1599年…これは不正確のおそれ大。松前慶広は1549〜1616年。
何が野蛮な行為なのかってのも難しい問題ではありますが、
最近、兎に角「合理的理由も無いのに、自分の風習と異なる
と云ふだけの理由で野蛮と決め付ける行為」だけは「野蛮」
と呼べるのでは無いかと云ふ気がしてゐます。
私はイヨマンテについて良く知らない(と云ひますか、正直に
云へばここに来るまで全く知りませんでした(恥))のですが、
ここでの説明を断片的に繋ぎ合はせてみた限り、私には寧ろ
「命の尊さを確認する大切な儀式」と云ふ風に受け取れます。
私は都会育ちなもので(東京人です)、「他の命を食べる事で
生きてゐる」と云ふ実感を得る機会が少ない事もあって、
そのやうなものがもっと必要かもしれない、と感じる事も
たまにあります。
私なぞはまだ「食べる前には必ず手を合はせて『頂きます』を
しなさい、それはどんな宗教を信ずるか以前の大切な事だ」
等と教って育ったものですが、私以降の世代の人にはそれすら
廃れてゐるのではないかと思へまして・・・・・・。
# 私は現在、二十代です。
自分が手を下す(生き物を食料にするべく屠殺する)訳では無い
からと云って、そのやうな事が必要無くなった訳では無いんです
よね、決して。それが自分の目の前から隠されただけの話で。
イヨマンテは、熊が可哀相「だからこそ」やるんですね。
かの「韓國人は今頃怒って犬を蹴って喰ってゐるに違ひない」の
発言は私もかなり怒りましたね。
私自身は決して犬を食べませんけど、アメリカ人には鯨について
似たやうな事を云はれてゐますし。
たまたま自分が食べてゐない動物を、何となく嫌だと云ふだけの理由で
他人に食べないやうに強制するほど図々しくもなれませんね。
# ただ、今将に殺されんとしてゐる動物が自分の「知り合ひ」だった
# などの場合は勿論止めますけどね。
mintaraでのせんべい屋氏の書き込みに対して、
思うところがあったので、Sampeで意見を致します。
私の彼に対する意見が議論に発展する可能性があるから移動しただけで、
mintaraの元記事は削除致しません。
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1514 辻本議員は当然の報い 2002/03/21(Thu) {080} Time09:35
Reply せんべい屋の寄宿人 若いつもり 職業 発信地 ***
を受けたとしか言えませんねぇ。
外務省に勤める人も辻本議員も自分の家族が
どっかに拉致されて行方不明になったら、
放っておけるんだろうか。
ちなみに、私のHPと同じドメインにある
「北朝鮮に拉致された日本人を救う福岡の会」の
URLを紹介します http://sukuu-kai.ram.ne.jp/
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一つ、せんべい屋氏にお聞きしたのですが、
「当然の報い」の「報い」とは、一体なんの報いですか?
辻本議員の政策秘書がどうのという話しって、何かの「報い」なんですか?
あの人の事については「よくしゃべってる人」という事以外何もしらないので、
是非教えてください。
「スキャンダルは、その政治家が頭角をあらわしたときにとっておくもの」
なんて不文律があるらしいじゃないすか。あまりいいことじゃないすよねぇ。
つうか、そういうのって、政治家なみたいな動き(姿勢や金の配り方など)をしている、
「アイヌの足を引っ張るタヌキアイヌども」の間にもありますよね。
まぁ、大抵はご近所陰口のレベル(○○さんって○○らしいわよ、やぁね)で、
随分内容が低いんですが(この掲示板でも過去に暴れた人いますね、去年末)。
ま、これは人間、誰でも考えることは一緒ということなんで、
アイヌだけが悪いって話しでもないので、別にいいんですが(本当はよくねぇ)、
この手の話しで、私がいつも一番気になるのは「なんでその時期」なのかって事ですわね。
ムネヲ関連の疑惑が(過剰に)噴出してきたのは、
普段は腕力(金力&政治力)が強いので何もできないので、
みんな調べていたんだけど何も言えなかったのが、
この機(マキコとムネヲの衝突)に全部出てきた、という事なんでしょうけども。
じゃ、辻本議員の話しは?
別にたいした金も権力も持ってないじゃんさ、あれ。
問題があるならば、それ(秘書のなんとか)を知った段階でやりゃいいものをねぇ。
やっばり、何かの「報い」なんでしょうね。
……
これ、誰かのアイヌ語の間違いを、間違った時に当人に知らせず、
後生大事にとっておいて、何か衝突か生じたときに持ち出して、
相手の信用を落とすために使って、
「いや、あれはベストタイミングだった」なんて言い放つ(現実に聞いた)
どっかのバカと、全く同じ手法だと思うのですが?
(ここの過去ログに、そのアホな「スキャンダル放出」の話しの記録あるけどさ)
(一昨年の五月くらいだったか?)
あれは、あまりいい事じゃないんじゃないんですかい?
今回の辻本疑惑の出てくるタイミングと、あの事件には、
非常に似た構造を感じるんですが。
まぁ、公金が絡む話しと、
ただのストーカーのやってる中傷をいっしょにするのもなんなんだけども。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/sampelog/sampelog0523-0532.html
みく&まみでーす。
夜になると、みんなでわいわいチャットしてるよ!
遊びにおいでよ!
http://book-i.net/chatTV/
思ったけど、内容分からなくて何も発言出来んかった・・・
「不潔」
ガキの頃、ハエを追い払いながら飯食ってました。
「野蛮」
ガキの頃、イナゴ(すなわちバッタ)を捕まえて
佃煮にして食ってました。
沼で牛カエルを捉えて焼いて食いました。
川でザリガニを捉えて焼いて食いました。
山間部では三十年余前まで犬を食ってました。
そんな私たちはニホンジンですが何か?
http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/ritsurinkan_index.htm
寒い土地の民族とか宗教には「禊」の習慣は無いのは当然の事と思います。
特に冬は冗談抜きに凍えますからねェ。
>「コタンの口笛」を読んでいましたら「アイヌは不潔だ」などの差別的な話がありました。
>現在は分かりませんが、昔は「アイヌは不潔」だったのでしょうか?
何を「不潔」とするかによって話しが変わってきますね。
上下水道完備で電気もあり、消毒薬もそろっている今の私達の「清潔基準」から考えると、
何民族でも昔は「等しく不潔」ですからね(笑)。
でも、差別的表現で「不潔だ」なんてカマしているのは、大概はデマだと思いますよ。
たとえば、確かにアイヌはあかんぼうに「クソまみれ」という名前をつけて病気よけ
にしたりしますし(いまやってる人はあまりいないと思いますが)、
赤ん坊の着物は古着がいいとかいいますね。
でも、赤ん坊の着物は古着がいい、というのは、アイヌだけの風習では無いように思います。
私は子育てには詳しくないですが、なんらかの生活の知恵じゃねぇかとも思いますが…
(そもそもあかんぼうってのは、あまり清潔な生きものではないのでは…?)
ですから「不潔」だとして、具体的に何がどうフケツなのかが指摘できないのは
ただの言いがかりだと思いますよ。「野蛮」とか「未開」についてもそうですけども。
ただイメージとして「不潔で野蛮で…」みたいなのは、ありますねぇ、今でも時々。
ちょっと話しがズレますが、例えば、
アイヌの儀式にゃ「イヨマンテ」という熊送りの儀式がありまして、
熊狩りに出たとき、授かった熊の子をつれてきて、大きくして、みんなでお祭りして、
殺して解体して食べて、飾り付けて神の国に送り返すわけですが、
これを動物愛護団体の人だとかは「野蛮な風習だ」と言ってみたり、
「熊が可愛そう」なんて言ったする人もいるみたいですが…
(事実野蛮な風習だからって、禁止令まで出ましたけど)
あいつら、肉食わないんですかね?
ま、仮に直接肉食わないからって、肉エキス使ったスープ飲んでりゃ一緒ですが(笑)。
おニクって、誰かがブっ殺して解体しないとニクになりませんからね。
アイヌってのは、神である熊の子供を預かってきて、2・3年和が子のように大切に育ててから、
集落みんなで盛大にお祭りして、みんなで「ブっ殺して」感謝して食べて、
また神として来てくださいと、みんなでやるんですよね。
そりゃあもう、家族同然に育てた人は泣きますけど、
そううイベントを時々やる(とっいても今は難しいですが)ことによって、
普段はお家でおニクを食べている人も、私達は命を貰って生きている、
(昔だって、お家にいることの多い人は、殺すのは見ないもんですよね)
なんて事を考える事が出来るわけですよ。
そういう「よごれ仕事(そもそも、一体なにが汚れているんだ?)」を人にさせて、
差別したりしているほうが(いわゆる「部落」って食肉加工業の人と関わってきてますね)、
よほど「野蛮」ですよね。
…随分脱線しましたが。
結論としては「アイヌに特別見られる不潔な風習」なんてものは、
私の知る限りはないなぁ、という事です。
どっちかというと清潔なほうだったんじゃないですかぁ?
確か、セントルイス万博に(展示物として←問題ですね)参加したアイヌを見て、
「とても清潔な人々で驚いた」なんて話しもあるみたいですよ。
まぁ、その「驚き」の背景には「どんなフケツな野蛮人が来るかと思っていたら」
というのが隠れていそうで、ちょっとイヤですけどね。
また、もし仮に、現代の私達の基準から見て「そりゃフケツだろう」
と思うものがあったとしても、そういう暮らしをしていた頃の日本人と、
比べてみたら、そうでもないのではないか、とも思います。
http://www.alles.or.jp/~tariq/