結構、アテルイの話しをするにあたっても、大切な事なんですが。
>言い訳をさせてもらえば本で古代の朝廷と蝦夷との戦いを持ち出して
>「天皇制国家と和人は大昔からアイヌモシリを侵略していた」との記述に、
>「コシャマイン時代ならともかく平安時代の話までもちだすか?」と思って
>どこかで線を引くべきと思って強引にこじつけてしまったのです。
起こっていた事の整理の為に線を引くのはいいとしても、それが「責任の解消」「リセット」につながるのは、やっぱり変ですよね。
その線引きをした時代で、それ以前から続く抑圧や格差が完全に撤廃されたのなら、いいのですがね。
実のところをいえば私も、なんの説明も無く、
「アテルイ=アイヌ民族」になるとは、さすがに思っていません。
理由は、民族というのは大変デリケートで微妙な問題であるので、アテルイ当人に「おまえ、アイヌ民族か?」と聞いたわけではないし、地名がアイヌ語で解釈可能といっても、水沢あたりは東北ほど完全ではないし、仮に同じ言語しゃべっているとしても違う民族ってのも、世界にはいますからねぇ。
アテルイは「アイヌにかなり縁のある人、あるいはアイヌそのもの。でも、確かめる方法は無い」と思っています。
ですが、明かに「ニホンジンではない(当時の基準から言っても「外人」)」官僚やら将軍やらが活躍していた当時のヤマト朝廷を「日本人」である事を暗黙の前提にして話しを進めている日本人が多いですし、教科書だってそんな感じの事を前提として出来ているので、アテルイをアイヌとして話しをする事は「当然したっていい」話しだと思います。
名前だってアイヌ語で解釈できるわけですし。
平安時代の話しまで持ち出すか? という疑問の前に、現代の日本人が、平安時代の、しかも京都&奈良以外の領域の話しをする事自体が、よく考えると、既に「おかしい」話しなんですよね。
中央部以外、実態としては間接支配しているだけの属国か殖民地じゃないすか。
もっとも、それが「民族」ってものなのかもしれませんが。
でも、仮にそうだとしたら、アテルイがアイヌだとしても、いいでしょ?
というか、そっちのほうがまともな話しに聞こえませんか?
そもそも「平安時代」という時代区分自体が、和人の中央部の政変による区分ですから、それに支配されている人達・隣国の人達にとっては、採用すべき区分でもなんでもないでしょうね。
紫式部なんて、どう考えても、私達の認識しうる「日本人」じゃないですよねぇ(笑)。
京の都から出た事もない、かなり特殊な生活をしていた、共通語の通じない、ただの貴族でしょ?
「東北」や「九州」の人で、それを大切にする人にとっては、名前聞かされているだけの、ただの外人なのでは?
少なくとも私は、親近感が全然沸きませんよ。 おっと、俺は日本人じゃなくてアイヌか(笑)。
そもそも、アテルイの敵である桓武天皇天皇を「直接の先祖」としている皇室は大うそ付き(事実ウソだぞ)だと思いますし、その天皇を「国家の象徴」としている国の神経も、どうかと思いますね。
下記アドレス「殖民地主義的権力行使」との戦いの、ほんの一例。
殖民支配された側にとって、支配者(和人)の「なにげない一言」「なにも考えていない一言」は常に権力行使であり、即時暴力となる。
権力とは行政機構や官憲やなんらかの権威だけがもっているものではなく「阻害されずに」その恩恵にあずかっている一般人の「あたりまえ」の中にも宿っている。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/sampelog/sampelog1328-1347.html
内容的に上の続きです。
「妻は借り物」は、確かにいい本ですね。
あとお奨めは「クスクップオルシペ〜私の一代の記録」という、砂沢クラさんの本です。
砂沢クラというばあさんの回顧録を新聞へ連載したものをまとめた本です。
原文はアイヌ語と日本語の併記になっているもので、たいへん素晴らしい本です。
あとベネディクト・アンダーソンという人の「想像の共同体としての国民国家」という本もいいと思います。読んだ事ありますか?
>「自然と共生する民族」ということをやたらと強調しているという事をなんか煙たいと感じますね。
これに関して、いつも皆さんに創造してほしいことがあるのですが…
アイヌが、かつて本当に「自然と共に生きていた」時代の事。
その頃、あなたがたの先祖達もまた、その形は違えども、それぞれの土地と文化にならった方法で「自然と共に」生きていたのではないのだろうか?
私は、和人の方の親類にも「自然との共生の知恵」の存在を教えられた事がある。
そして、さらに考えて欲しい、誰によってその生きる方法を奪われたのか?
私達アイヌから、多くの人々が学ぶべき物は、本当に「自然との共生の知恵」なんてものでいいのか?
私がみなさんに教えられる事、教えたい事があるとすば、伝統的な文化の知恵よりも、
「『アイヌの子』がアイヌであるうとする事を、奪おうとする者達が、どう殺しに来るか」である。
そして、等のアイヌ達に教えたい、是非とも教わりたいのは「そのような連中との戦いの記録、殺し方の知恵」である。その為に、ココでも何処でも、日夜戦いつつ、狼煙を上げています。
殖民地主義は・終わらない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/sampelog/sampelog1328-1347.html
エ>明治以降の変化を認識するのは当然としてもそれによって責任の所在が変更される、あるいは消滅するという発想が何処から出てきたのか?と言う点に付いて書いてませんよ。
言い訳をさせてもらえば本で古代の朝廷と蝦夷との戦いを持ち出して「天皇制国家と和人は大昔からアイヌモシリを侵略していた」との記述に、「コシャマイン時代ならともかく平安時代の話までもちだすか?」と思ってどこかで線を引くべきと思って強引にこじつけてしまったのです。
エ>「戦時体制下だったので、朝鮮半島支配へ殖民地支配の責任は、日本の一般市民は負っていない」という発想は「日本人が朝鮮人を殺しちゃっても仕方が無い、悪くない」といっているのと、方向性はほぼ同じだと思いますね。
それ私の言いたい事の全く逆です。初めに私は明治以降は国と国民がそれぞれ責任を負わなくてはならない、などと書きましたが国のやったことは例え国民が知らなくとも責任があると言ったのです。下書きの段階であの戦争で国民に責任が無いと言うのは虫が良すぎる、と書いていました。
私は矛盾する事を書いてしまいました。
エ>それに木さんは「なんもしらない」割にけっこう詳しい
私は高校生のときに市の図書館にあったアイヌ関係の本をかなり読みましたから。ちなみに初めて読んだ本は萱野茂氏の「妻は借り物」で最も感心したのは上村英明氏の「北の海の交易者たち」です。シャクシャイン戦争時にアイヌが樺太や千島からの参戦まで考えていたとの記述に目からうろこが出る思いでした。
エ>大陸伝来の衣類の量は総取り引き量(収奪量)からすると微々たる物にも関わらず、やたらと強調して「交易の民」というイメージに被せようという連中の姿勢には大きな疑問を感じる。
私としては「ステレオタイプなアイヌ像」とくればまず「自然と共生する民族」ということをやたらと強調しているという事をなんか煙たいと感じますね。
非常によく言われる事ですが、
知識の多寡は「発言する資格」には、なんの関係もありませんよ。
極端な話し、アイヌのアの字も知らない人でも、どんどん発言して頂いて結構です。
おおいにやってください。勘違い歓迎。
ですが、本当に「ただ知らない」のならば別にいいのですが、知らないはずの事なのに、何を根拠にか、なにかがズレた断定をしている人が、以外に多いんですよね。
そういうのは、遠慮無くツッコミを刺せていただきます。
それが、本当の対話を求める場合の、最低限の相手に対する礼儀かと思いますので、御覚悟下さい。
わたしは、ここに参加する全ての人と、どこまでも対等な1発言者であって、ご意見番でも識者でもセンセイでもありません。
そんなクソッタレな人間ではなく、ただのカワウソですので悪しからず。
ヘンな誤解といえば、例えば、
アイヌは純粋で素朴な民族だとか、
アイヌというのは○○という人達のはずで、それに会うにはどうすればいいかとか、
なんてのは、かなり一般的な「誤解」なんですが、
知らないよ、だから偏見もないよ、と言っている人に限って、こういう感じのレッテルを「知らないつもり」なのに貼っていたりするもの、よくある事だと思います。
ですから「知らない」という事がどう言う事かを、もっと噛みしめていただきたいと思っています。
それに木さんは「なんもしらない」割に、けっこう詳しいじゃないですか。
>江戸時代の祇園祭の山鉾に蝦夷錦が使われ
>農業生産の向上に役立った〆粕肥料はアイヌを酷使して作った
>琉球料理に必要なコンブも蝦夷地、
この三つを知っているだけで、かなり勉強したという事ですよ。
へんなエコ系や活動系の本は多くても、こういう分野を扱っている資料が少ないですしね。
「アイヌの風俗」とか「日本の多様性としてのアイヌ」ではなくて、和人との経済活動に目をつけれている点が、かなりいい線いっています。
よく見落とされがちな所ですよね、こういう路線。
みんなそういう話しは忘れて、エコで優しい支配民族も殺さない先住民族と戯れたいのはわかりますがね、わたしゃそんなにアホではありません。
さて、
近頃よく「アイヌとの交易で日本にもたらされたもの」の例の一つとして「蝦夷錦」が上げられますが、大陸から伝来した衣類の類は、総取り引き量(収奪量)からすると、とてもすくないものですから、これをいたずらにクローズアップして「交易の民」というイメージに被せようという、財団や一部の学者達の姿勢には、大きな疑問を感じます。
祇園で飾られている「蝦夷錦」は、下級労働力として酷使し、多くの富をもたらした殖民地経営、つまりアイヌ民族支配の象徴・和余人社会の支配階級にとってのトロフィーと言うべき物で「主な交易品」に入るような経済規模をもった物品ではありませんよね。
そもそも「蝦夷錦」をもらって嬉しいのは、和人のトノサマでしょ?
アイヌが交易で欲しがったのは、輝くタマサイや、純白の木綿や、針、飾り刀といった、自分達で捜索する為のファッション用具ですし、生活用具も色々とあったわけです。
本来的には、そのような舶来物を奇抜な発想で自分流に着こなしていた姿こそアイヌ流ファッションの真髄であり「蝦夷錦」と呼ぶにふさわしい一流の産物なのです。
どっかのトノサマが、アイヌ酷使している商人の頭からもらって喜んだガイコクの服なんて、ダサイダサイ。
話しが多いにズレましたが…
それではまた、返信お待ちしています。
木さんの事、思い出しました。
的確な表現ありがとうございます。
さっそく本題に写りますが、和人政権が延々とアイヌに対してしてきた事の責任を、本気でとるのであれば「旧土法を撤廃する・しない」という議論の前に、することがあるわけですよね。
旧土法を、ただ撤廃しても、何かの責任をとる事には、ならないのですよ。
旧土法の性格から考えると、むしろその逆だといえます。
ですから、何故にアイヌは「旧・土人」とさせられたのか、という疑問を投げかけたのです。
ここの部分は、かなり重要なものですが、高木さんの答への…
>和人国家に支配されて自由ばかりか民族としてのプライドを奪われたからでは。
の部分は、旧土人とさせられた結果生まれた効果の方で、理由じゃないですよね(苦笑)。
ただ旧土法を撤廃しようとしたのではなく、新法制定の条件をつけた判断は、ウタリ協会の判断の中でも優秀な物だと思います。
この意味がわかりますかね?
アイヌは、ただのちょっと長くいる現地人ではなく、先住民族なんですよ。
ここの部分は、ちょうと今、国連でも焦点になっているところですよね。
また、和人政権がアイヌの生活域を殖民地として帝国に併合してから、支配の形がかわったので、アイヌにとっての「辛い事」の性質は随分変わりました。
その変化を認識するのは当然としても、それによって責任の所在が変更される、あるいは消滅する、という発想が何処から出てきたのか?
という点に付いては、なんも返答を頂いていませんが、ここの所はどうなんでしょうか?
是非ともお考え下さい。
「あの当時は戦時体制下だったので、朝鮮半島支配へ殖民地支配の責任は、日本の一般市民は負っていない」
という発想は「日本人が朝鮮人を殺しちゃっても仕方が無い、悪くない」といっているのと、方向性はほぼ同じだと思うのですが、先の責任の所在の話し、この発想と似ていませんかね?
(朝鮮の人達、へんな話しに引き合いに出してすいません)
http://www.alles.or.jp/~tariq/
高木狭摩(たかぎ・はざま)です。
エサマンさんの顔より名前が先に記憶に残っていたと言っていた人です。
高>例えば旧土人保護法がつい最近まで残っておりその撤廃を怠った
エ>その前に旧土人保護法を作り殖民地北海道を内国化してしまった責任は?その法律が作られた時代の背景にいた無数の「生き場を無くしたアイヌ」達への責任は?
エ>旧土法を撤廃する事が責任を果たす事になるという意識の背景には「旧土人保護法を作ってしまったヤツラ(だけ)がわるい」という理論があるような気がする。
私としては和人の犯したアイヌへの罪の代表例として旧土人保護法について述べたつもりですが…
旧土法を撤廃する事だけが責任を果たす事とは言っていませんよ。
エ>江戸時代の「蝦夷地経営」は「諸藩連合国家日本」においてとても重要な位置を占めていた。
エ>蝦夷地におけるアイヌ酷使・性奴隷下の収奪の結果を享受したのは「諸藩連合国家日本」の経済システム域内の人々だけ。
江戸時代の祇園祭の山鉾に蝦夷錦が使われ、農業生産の向上に役立った〆粕肥料はアイヌを酷使して作ったものですし、琉球料理に必要なコンブも蝦夷地、本州を通じて沖縄に届きましたからね。
江戸日本の経済システムに組み込まれていたことをつい忘れていました(出直してきます)。アイヌ虐待と収奪もシステムに組み込まれた結果ですからね。
エ>そもそもアイヌが「旧土人」となった理由とは?
和人国家に支配されて自由ばかりか民族としてのプライドを奪われたからでは。
昨日の投稿については出直してきます。
木さん、ようこそ。
下の名前はなんと読むのですか? あと、なんの話しをした人でしたっけ?
>私もエサマンさんの「日本人」として確立したのは明治以降という説に同意します。
>それまでもナショナリズムはあったが日本国を対象というより村、藩、国といった郷土愛レベルでしょう。
>上の話と関係しますが私はアイヌ問題の責任については江戸時代までと明治以降を分けて考えるべきだと思っています。
私は、江戸時代までと明治以降の「アイヌが晒されていた脅威」つまり和人側から言えば「日本の対アイヌ政策」は、まったく異質のものである事を認識することは、お互いの歴史と責任を理解するために必要なであると思いますが「責任」の所在がちがう、という意味ではありません。
江戸時代より連綿と続く惨劇は、アイヌから見れば、一貫して「和人(つまり個人と社会の両方からの)の侵略行為」でありました。
よって、
「それは悪い和人のやったこと」
「あれは古い時代の和人のやったこと」は、全ていいわけに聞こえます。
>例えば旧土人保護法が亡霊のようについ最近まで残っており、その撤廃を怠ったことは
その前に、旧土人保護法を作ってしまった責任、殖民地北海道を内国化してしまった責任は、何処にいってしまったのでしょうか?
その法律が作られた時代の背景にいた、無数の「生き場を無くしたアイヌ」達への責任は?
旧土法を撤廃する事が責任を果たす事になる、という意識の背景には、
「旧土人保護法を作ってしまったヤツラ(だけ)がわるい」という理論があるような気がします。
>江戸時代におけるアイヌ酷使と収奪の責任は直接関わった松前藩と商人にあるのであってそれ以外の多数の和人の責任は問えないと思います。
単純な事実をご存知無いと確信して申し上げますが、江戸時代において既に「蝦夷地経営」は「諸藩連合国家日本」において、とても重要な位置を占めていました。
松前藩は、現代でいうなれば自治権の強い知事一族のような物で、自治州ではあっても独立国ではありませんでした。
ですから「アイヌの蜂起」「ロシアの南下」という危機に際して、いとも簡単に江戸幕府は直轄領にできたんですね。
○広く海外にまで手を伸ばしていたアイヌの自由交易域とそれに支えられた生活を破壊したのは、江戸幕府の独占交易認証を受けた松前藩と東北諸藩の連携プレーである(コシャマイン戦争から一世紀の後)。
○アイヌの経済活動を独占した上で、江戸幕府により経済圧迫を受けていた松前藩は搾取を拡大した(シャクシャイン戦争)。
○「諸藩連合国家日本」は鎖国を行っていたが、ロシア南下に際して、領民でもなんでもないアイヌに対してもそれを強要した(ノッカマップの虐殺)。
そして、これらの一連の事件が展開されているね間、蝦夷地におけるアイヌ酷使・性奴隷下の収奪の結果(昆布・魚肥・材木など)を享受したのは「諸藩連合国家日本」の経済システム域内の人々だけでした。
具体的には、コンブを出汁に使う文化、肥料である魚肥の生産による綿花・藍のの増産による綿製品・藍染め製品の流通などは(藍染め抜きで江戸文化は語れないでしょう?)、アイヌ(及び東北)への搾取の結果に他なりません。
もっと具体的な話しをしますと「蝦夷地」を荒らしまわった砂金掘りや樵は、全て内地からきた人間が労働力として使われていましたし、浜での作業も、アイヌばかり酷使されていたのではなく、多くが和人の「入り稼ぎ者」でした。
労働力の不足分をアイヌを兆発して酷使していたのです。
そして、その浜で酷使していたアイヌを性奴隷として「享受」していたのは、内地から渡ってきた商人や労働者ですよ。
当時の「異国・蝦夷地」にいた和人には季節労働者が多く、永住者は多くはありませんでした。
これでも「江戸時代の出来事」の責任は、松前藩と商人だけにあるとお考えでしょうか?
だいいち、明治政府が「アイヌモシリ併合(あるいは開拓)」を行えたのは、そ以前の政権の行ってきた侵略政策を継承したからに他なりませんが?
それでもなお、一部の和人のやった事、であるといいたいのであれば「トカゲの尻尾きり」、ただのスケープゴートに等しい行為であると認識致します。
誰を生贄に差し出されても、そういうセコイ和人一人一人の発想が変わっていかないと、何もかわならいのですが。
http://www.alles.or.jp/~tariq/report/itakanlo021109.html
内容的に上の続きです。
>私がアイヌ関係の本を読んだいたら古代の朝廷と蝦夷との戦いを持ち出して
>「天皇制国家と和人は大昔からアイヌモシリを侵略していた」との記述におかしいと思いました。
アテルイ等を当人達の意思も確認せずに「アイヌ民族」と考えるのは「当人達の帰属意識」を基本とする民族の定義からいっておかしいのですが、名前や地名などから察するに、アイヌに見えるのも確かです。
でずか、そもそも、明治維新以前の諸藩連合国家時代の人物を「同じ日本人」として話しをしても、何も疑問を感じない人達も多いのですから、それくらいいいんじゃないですかぁ?
テレビでやってる利家と松だって、ふつうに「日本人のおはなし」として認識してるでしょ?
あの人達は当然「日本人」ではないし、本当は多分「日本語」とは到底思えない言葉でしゃべっとったにきみゃっとりゃーすが。
おみゃさんそんなこっも、わからんきゃも? そんなんでちょーすいとったら、あかんて。
さて、
高木さんが、どんな本を御読みになったのかしりませんが、現代においても、アイヌが現在も天皇らよって侵略されつづけている、というのは、揺るがない事実であると思います。
そのアイヌが、同じく天皇と戦った異民族、しかもアイヌ語で解釈可能の名前であるアテルイを同胞と思って何が問題ありましょうか?
じぶんたちが何者であるかの「記憶」の議論において「十分にあってもいい」話しだと思います。
そもそも、アイヌが「旧土人」となった理由は、なんだと思いますか?
http://www.alles.or.jp/~tariq/report/itakanlo021109.html
11/29日に京大でエサマンさんに会いました高木狭摩です。
>アイヌ文化の確立にしろ日本文化の確立にしてもいつか?「確立」以前の人達は「日本人」か?
>わたしゃ「日本人」が民族として成立したのは戊辰戦争以降だと思っています。
私もエサマンさんの「日本人」として確立したのは明治以降という説に同意します。それまでもナショナリズムはあったが日本国を対象というより村、藩、国といった郷土愛レベルでしょう。
上の話と関係しますが私はアイヌ問題の責任については江戸時代までと明治以降を分けて考えるべきだと思っています。
なぜなら「近代国家」たる明治以降は『制度として国民と国家が双方に責任を取る義務を負っている』からです。国民が直接知らなくても国家が誤った国策で損害が出れば国民が国策に責任を取らないとあかんからです。例えば旧土人保護法が亡霊のようについ最近まで残っており、その撤廃を怠ったことは政治家(=国民の代表)だけの怠慢ではなく国民の責任ってことになります。(これを書いていたら選挙の重要性をひしひしと感じる、私にこんな事言う資格あるのか!?と思う)
ですからそうではない江戸時代までは国家と国民の関係に無く、国民の意思を国策に反映できなかったこともあって江戸時代におけるアイヌ酷使と収奪の責任は直接関わった松前藩と商人にあるのであってそれ以外の多数の和人の責任は問えないと思います。
私がアイヌ関係の本を読んだいたら古代の朝廷と蝦夷との戦いを持ち出して「天皇制国家と和人は大昔からアイヌモシリを侵略していた」との記述におかしいと思いました。
けれど実際に明治以降現代にいたるアイヌ差別政策に責任らしい責任が取られていませんね。著者もこの罪について多数の和人(日本国民といったほうがいいかも!?)も責任を取らなくてはならんと、あえて極論を言っているのだと思います。
下手な文章で偏ってばかりの私の意見ですが失礼いたします。
>血統、思想、外見等での差別(階層的な利益/不利益関係の根拠無き強制)に、俺は反対するが、無知・無自覚ゆえに、俺もやっちゃうんだよなぁ。
とは、血統、外見などによる差別を目的として、俺が文章を書いた、ということではないが、でも、そうともとれる文章な訳で・・・
文章のやりとりって難しいですね。推敲って必要だな〜。たびたび失礼。
あらためて自分の書いた物を見ると、意図がよくわからなかったり、無思慮、無分別ゆえに、見る人によっては、ひどい事を書いていたと思う。ごめんなさい。
血統、思想、外見等での差別(階層的な利益/不利益関係の根拠無き強制)に、俺は反対するが、無知・無自覚ゆえに、俺もやっちゃうんだよなぁ。
>わたしゃ「日本人」が民族として成立したのは、戊辰戦争以降だと思っていますがね。
俺なんかも、国家総動員法以降かな〜とか思ってました(笑)。
余談・S吾、攻殻2はよんだか〜?
ししゃもさん、毎回ネタふりありがとうございます。
年表については、俺もいつもそう思っていたので、このHPで公開している年表には、そういう時代区分を採用していません。
どたい「アイヌ文化が確立した」のが何年だと決めつけにかかりますが、じゃあ日本文化が確立したのはいつか?
その「確立」以前の人達は「日本人」じゃないのか? という視点が完全に抜け落ちています。
12世紀以前にアイヌがいなかったとすれば、日本人もいない事になるはずなんですが?
わたしゃ「日本人」が民族として成立したのは、戊辰戦争以降だと思っていますがね。
>まあ、厳密な意味で「アイヌ協会」になったら、首になる人がいっぱいいるだろーな・・・海沿いの方とか・・・。
凄いこと書いていますねェ。
でも「厳密な意味でのアイヌ」というのは、子の場合何を意味するのかわからないのですが…
わたしゃ、民族であるかどうかは別として、アファーマティヴアクションを(この場合ウタリ福祉対策など)、配偶者が受ける事は、当然の権利だと思っています。
アイヌと和人の間に生まれた子供は、どう考えても「100%アイヌとしての権利がある」わけでして、その家庭を支える親は、生まれは和人で、結婚後も和人だとしても「アイヌの親」なわけですから、アファーマティヴアクションの適用対象になるのは当然の事だと思います。
まぁ、控えめな活動であったら、和人の配偶者でも活動に参加していいとは思いますが…巷には「アイヌの子」でも、そういった活動の機会がない、差別によって始められない人達が、和人&恵まれた境遇のアイヌには見えないだけで、大勢いるので、そういう人達の目にどう写るか、を常に考えて行動していただきたいと思います。
ちなみにわたしは、アファーマティヴアクションは必要だとは思いますが、私故個人は、そういったものを受け取らずに、アイヌとして自主自立して生きる、という選択肢を取りたいと思っています。
理由は簡単、いいたいことを言い、したいことをしたいからです。
>写真撮りまくりでした?エサマンさん?
そうです。
俺がチャランケ祭りに始めて行った年にお会いしてるはずです。
確か、あのあと交差点にあるなんかの店行って、フトシさんスグ帰っちゃって、
色々大変だったような気が…(別にフトシさんが大変という意味ではなく)
S吾は、今隣で「攻殻機動部隊」読んでます。元気に見えるが?
http://www.alles.or.jp/~tariq/report/itakanlo021109.html
アイヌ歴史年表なんかをみると、続縄文文化だの擦文文化だの、
オホーツク文化だの色々文化が出てくるけど、
いずれもアイヌの文化が確立されたのは十二世紀〜十三世紀とか言うが、
東北・関東・或いは人によってはニポン全国にアイヌ語地名があるってのと、
これは矛盾するのでは?
だって、古代東北で同化政策が始まったのが1200年前でしょ?
地名はその前からあったんじゃないの?
やまとんちゅうが来た後で、アイヌ語地名には直さんでしょう。
北海道と一緒で、前々からの地名に、むちゃくちゃな漢字の当て字をしたり、とかはあるだろが。(岩手なんかも、意味不明の漢字地名、たくさんあります)
ようするに、征服された後で、アイヌが移り住み、あちこちに勝手に地名をつけたのか。
あるいは、アイヌ語地名は、本州以南にはまったく存在しないのか。
そんなふうに、学者どもは考えているのですかいのう。
まあなにぶん、勉強途上なもので、間違いだ!!!となれば、イラクでも、失礼、いくらでも誤る用意があるっっっ!!!誰か教えてっっっ!!!
たしかに、そういった意味ではウタリかも。ウタリ協会員だし。
アイヌの配偶者たる俺はウタリ協会員になれるけど、コタンでも、「俺はアイヌだろ」って人でも入れなかったりするんだよなー(規約?)。
某大先輩に言わせれば、「日本人と結婚すれば外人パブのねーちゃんが大和撫子になるのと一緒」(注・飲酒後)。なので、俺はいいのだという。ああ、何て分かりやすい。
アイヌかどうかを決めるのは、氏?育ち?自覚?俺の経験では、血統がすげー重視されるみたいだけど・・・
まあ、厳密な意味で「アイヌ協会」になったら、首になる人がいっぱいいるだろーな・・・海沿いの方とか・・・。
まあ、皆に認められて残る、立派な人たちもいっぱいいるだろうけどね。
「不祥事」のたびに思うけど、役人どもは、そんときは黙っといて、あんまり先住権だとか共有財産だとかうるせえときに、汚職秘密ファイルがポロッと、ああ、何ですかこれは、とかいってクソ官製報道垂れ流しマスコミにリークしてアンチキャンペーンするつもりだYO(妄想・談)!!!道新!!!ムネヲがガイムかちょーぶんなぐった記録がありました、なんてな(古)ニュース、パターン一緒だからな!!!覚えとけ!!!(談)!!!
失礼。・・・そう言えば、1999年のチャランケ祭りで、写真撮りまくりでした?エサマンさん? S吾、元気かー?
カナダの先住民族、スパクワス・スローラムについて何かご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。
\(^-^) 嬉しい (^-^)/
~~\(^o^) ♪ 人生 変り ました ♪ (^o^)/~~
http://jun1jp.fc2web.com/
るん Runn 〜o(^^o)(o^^o)(o^^)o〜 Runn るん
現在京都におります、こっちも寒いねェ。朝飯はサル焼でした。
個人的には、木のムックリの起源は、かなり古いんじゃないか、と思います。
だって、他の地方のムックリに比べて、相当弾き難いんだよね。
音を出すまでに、まず相当ハードルがあるし。
ポロンノの人…
ってことは、いつかのチャランケ祭りの後、S吾と中野の交差点の所にあるカラオケのある店に行った事がある人かな?
「ウタリ」という言葉は「アイヌ」「アイヌ民族」とは、相当ニュアンスが違うので、ししゃもさんの今の状態は、多分「ウタリ」と言ってもいいんではないかとは思いますが。
暗に「アイヌの血が入っている」とか「アイヌ民族の一員である」という意味で使う事もありますが、かなりの場合において「その地方や家族、一族、グループ、組織、派閥の一員・仲間、あるいは部下」という使われかたもしているので、混乱に拍車がかかりますよね。
いわく「Esamanはウタリではない」
確かに、私はただの一アイヌであって、アイヌ同士でそのような事をやりあう人達のウタリ(一味)ではありませんが(苦笑)。
わたしゃ、ウタリ協会の、タタリとかマタリとかカタリの人々に大変な目に会っているので「ウタリ」という言葉を聞くたびに気持ちが悪くなるので、早くアイヌ協会に戻して欲しいと、いつも切に願っています。
よくかんがえたらこれは、戻して欲しくない人々と、全く同じ理由ですが。
なお、私はアイヌと和人が一緒になった場合、その子供は、自身がアイヌであると思ったのならば、なんの条件も無く、100%アイヌ民族であると思っています。
何分の一なんて、ポテトチップじゃあるまいし、あり得ませんねぇ(笑)。
わたしゃ、その手の訳のわからない事を聞く人には、不純なアイヌ、120%アイヌ、1/2オヤジ、などと答えるようにしています。
また、配偶者の和人も、その配偶者を通じて「ウタリのようなもの」であるのではないかと思いますが、でもそれはケースバイケースなんでしょうね。
そういう境遇の和人の人にも、大変良い行いをした人も、目も当てられないようなロクでもない事をしている人がいるのも、両方知っていますし。
http://www.alles.or.jp/~tariq/report/itakanlo021109.html
早速ご返答ありがとうございます。エサマンさん。
埼玉の口琴の話は、日本口琴協会の本に載ってた話で、埼玉のすげー昔の遺跡から、サハとかヨーロッパの方によくある形の金属口琴が出土した、って話です。
草薙の剣は、大陸から来た製鉄技術を持った人たちからの、象徴的戦利品と言う話があるので、金属の口琴も、そんな人たちが持ってきた物か、
或いは交易で手に入れたものなのか、或いは、自分たちで発明したのかも・・・と、色々想像が広がります。木のムックリの起源はいつ頃なのか?
自己紹介の補足。僕はアイヌの嫁さんと結婚し、某コタン・・・いや、はっきり言うと、エサマンさんが名古屋であったサキばあちゃん&えみとは義理の家族です。
なんか、匿名の裏も面倒くさいっすね。メールとか、あんまり使わないし。北海道は阿寒湖アイヌコタン、喫茶ポロンノの2階より書いております。レラチセに続いて、アイヌ料理屋参入!!!
先祖云々に関しては、僕はここに来てから、アイヌの色んなことを見聞きし、山菜取りに近所のフチ及び妻の母上なんかと行くと、ああ、今まではなんとなく、
アイヌの自然&宗教観=アミニズムみたいな、けっこう短絡的な感じに考えていたけど、
実は北海道の自然に根ざした、超合理的な考えという側面があるな、と感じる一方(まあそれは、長く続いた様式だったら当たり前かな)、
それだけじゃない、やはり僕の育った文化とは土台が違う、体験し、考えるしかない世界があるな、という事を、最近よく思うのです。
それとは別に(?)、コタンの人たちは、結婚のおかげで「もうウタリじゃん」と考えている人もいる。肝心の僕は、といえば、どうなんだろう?二人の子供もいつか、同じ事を考えるのかなあ。アイヌ的思考様式(?)に、毎日少しずつ影響を受けているのは、正直楽しい。が、混乱もあるのです。
先祖の事も、そんな絡みで、なんかちょっと気になるって言うか。爺ちゃんの頃まで油屋だったし。と、とりとめなくてすいません。それでは。
ししゃもさん、戦場にようこそ(笑)。
なんでもありの掲示板Sampeは、いつでも、なんでも、飛び入り歓迎です。
ししゃもさんは、自己紹介によると、殖民地北海道に移住された移住者、つまりは植民者なのかな?
私はアイヌですが、和人の方の親は、極悪商人の名前を冠する土地の人ですから、家系図マニアのように執拗に辿っていくと、案外、末裔だったりするかもしれません。
でも、今現在、お互いにアイヌであり和人である事に、いろいろな意味と問題が発生しているのだから、んな昔のこと辿ってもしゃあないですよねぇ。先祖って、仮に幕末まで辿るとすると、最大62〜126人ですもんねェ、もうアホらしくて面倒見きれません。
アイヌと和人の間にある問題は「そういう問題」とは違うわけですし。
言いたい事、わかりますかね?
話しは変わりますが、わたしも、東北やら関東やらに住んでいたのは「よくわからん諸民族」でいいと思います。
「蝦夷」とか「縄文人」という乱暴な括りで一まとめにされている人達が、全部均一な存在だった訳はないでしょうしねぇ。
江戸時代ですら、幕府の領域内の端と端では(当然、アイヌ同士でも)、日常会話の言葉が通じるかどうか微妙だったわけですし。
もっとも「民族」という概念自体が、近代になって発見された言葉だってのも忘れてはいけませんし、「蝦夷」という括りで政治的に括られる事によって、共通項が発生しうる、という事も忘れてはいけませんが、その場合出てくる「共通項」とは、民俗的・習俗的なものではなく、かなり政治的なものである、という事も忘れてはいけませんね。
あと、ネット社会に参入2度目って、どういう意味でしょうか?
書きこむのが2度目という意味?
わたしゃ、こっそり見ているだけでも、重分参加している人のウチだと思いますが。
そういう人、特にここには多いしね。
>埼玉の金属口琴
このルタがわかりません。
埼玉にカニムックリがあったんですか?
もっとも、伊豆韮山むにイナウがあったりするくらいですから、別に驚きませんが…
>代々、水沢市役所の助役などをやっていて、
うわ、何処にもそういう「いわく付の、昔からの利権一族」いるんですね。
アイヌにもそういう感じの人、いるねぇ(苦笑)。
http://www.alles.or.jp/~tariq/report/itakanlo021109.html
はじめまして。前々から、この四角いジャングル(失礼)が、もうなんかすげー気になっていたのですが、なんか、ネット社会に参入するのは、これが2度目です!!!ああ、どきどきする。
と、僕はししゃも(偽名)と言います。よろしくおねがいします。
アイヌ語だし、まあ一応、シサム、或いは軍鶏とかけています。旧日高見生まれ倭人・現北海道在住。アイヌ一家に拾われたマスオさん。でも先祖は極悪近江商人。アイヌ化が進行中(か?)。
えー、僕は今年あたりから、なんだか知らないけど、いろんな人より裏日本史的な情報を聞くことが多く、もーなんかそういった話を誰かとしたくて、たまらなかったのであります!!!!!
最近の一番の興味は、故郷水沢あたりで弱ブームだった(?)アテルイ及び、消えた東北諸民族の事です。
「諸民族」と書いたのは、これは、不勉強ながら僕の推定ですが、金田一の大先生・及び色々な人の研究のごとく、ほぼ確実にアイヌは東北〜関東にいた(いる)訳ですが、
十三湊のチャシ、埼玉の金属口琴、あるいは僕の母方の祖父の地方(遠野の近く)に伝わる天神様伝説、あるいは青森のキリストの墓(失礼)、
などなど、これらから、いろんな民族・宗派・国家・等々が、古代東北に雑居していたのであろうな、と。
でも、そういった事が書いてある本といえば、僕の知る限りでは、所謂トンデモ本の類いばかりで
不満です。誰か、何か知りませんか?もし教えていただければ幸いです。
そういえば、今年知ったのですが、地元・水沢よりアテルイが騙されて、悪の本拠に引っ立てられて行った頃、
タムラ麿(このパソコン、アテルイは一発で変換しねえくせに、太むラマ露は一発って!!!)の部下の皆さんの一部が水沢に住み着いて、
周りを壕で囲った排他的集落兼砦を形成、そのまんま1200年後の21世紀まで同じ場所に住んでて・・・
って話、知ってます?地元の友達の親父(金持ち)に聞いたんですけど。
何でも、そこの人たちは、代々、水沢市役所の助役などをやっていて、水沢経済界の上の方の人たちの中では、結構有名らしいです。
水沢市役所の、アテルイホームページには、生々しくて書けませんでした。
と、長くなっちゃってごめんなさい。それでは失礼します。