なんか、誤解を招きかねない話しに飛んでいってますな。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 2月26日(水)04時07分12秒 R210065.ppp.dion.ne.jp

天然で言っているのと、底意があって言っているのとの違いはあるかもしれませんが。
もっとも、意図していようがしてなかろうか、おかしいものはおしいのですが。

>>なつきくん
日本で日本人相手に「あんた日本人か,このクソやろう」というのと、
北海道出身の人に「アイヌですか?」と聞くのとでは、随分意味合いが違うと思いますが?
前者は明確に悪意がある(あるいは、悪意を含む言動だと分かっている)んでしょうが、後者はそれがない。そのことが事態をややこしくしているんですね。

状況が詳しくわからないと、どのような性質の質問かがわからないので、ここんのところは、モルさんの続報を待ちましょうや。もう少し、詳しい状況説明を願います。

また、俺としては「あんたアイヌか,このクソやろう」あまりショックは受けませんがね。
そんなヤツは殴ればいいし、俺の「殴る(弾劾でも糾弾でも、好きな言葉をどうぞ)という選択」がそのセリフの後にまっていたとしても「なんでボクを殴るのよ、普通にしただけなのに」とは言わんでしょう。ここんとこ重要です(ま、いきなり殴るこたぁないでしょうが)。

>密かにこんな感じの人ってけっこういろんなところにいるんじゃないのかなぁと思う今日この頃です.

いっぱいいると思うよ。
でも、それでご当人がアイヌだと思うかどうかは、また別の話しだわな。
アイヌだと自覚しつづけるの、大変だしねェ。

この場合の「鮭好きな人」は、自身がアイヌの末裔かどうかは知らなくて、今現在アイヌかどうか悩んでいる、という状況だと思いますが、現実にアイヌの子供でも「俺アイヌかなァ」と悩んでいる人間は、沢山いますって。

アイヌは(主に和人のせいで)いろいろとあったし、いまもあるので「アイデンティティ(何それ?)を確立」したり「自身の民族に誇りを」持ったりできる人ってのは、沢山いる「アイヌの子」の中でも、極めて恵まれた境遇の人達です。
ま、そういう人達に「抑圧がない」とは申しませんが、事実アイヌである親を持っているにもかかわらず、色々とあって(自身をアイだと思える経験がない、事実アイヌである親がおまえの世代はアイヌでなくなったのだと言う、などなど)自身がアイヌであるかどうかに悩まなければならない人達の悩みは、わかんないかもね。


>>TAKANORIさん
自己紹介もなくご登場ありがとうございます。

さて、一体どのような状態が「普通」なのかが、さっぱりわかりませんが?

第一、差別的な事がある段階で既に問題なので、それを「政治的」であるか否かに問わず、問題として訴える行為に対して、軽くながせばいい、という発想が、差別的なことがいつまでも続く原因だと思います。

つまり、その態度が行けない。差別の元。
まして、そのような事を言い放って「普通」とは、無茶苦茶ですね。

>アイヌ自身がアイヌ差別を呼んでいるかもね。

「そんなこたぁない」って、徹底無視…がいいかね、やっぱり?
もっとも、徹底無視して痛くも痒くもない人間と、そうでない人間がいるしねぇ。
この違い、わからんかなぁ。

また、アイヌが訴えている問題は、その多くが「現在の問題」ですよ。
アイヌも忙しいので「現在の状況に関係のない過去」にこだわっている暇は、ありませんな。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


(無題) 投稿者:TAKANORI 投稿日: 2月25日(火)04時27分42秒 pflt108026.infosnow.ne.jp

アイヌ自身がアイヌ差別を呼んでいるかもね。
差別的なことがあったとしてこれを政治問題にすると、
お互いうっとうしくなって、またあいつかぁ〜。
ってなると思う。
軽〜くながせばいいじゃん「そんなこたぁない」って。
徹底無視。

俺はアイヌに関しては何にも感じない、普通ーですよ。
今の時代、過去にこだわっている暇もないし。


かみんぐあうと? 投稿者:なつき 投稿日: 2月20日(木)23時47分32秒 a138092.usr.starcat.ne.jp

しんごくんにはちょっとだけ話したのですが,こんなことがありました.

北海道出身の作業員の人としゃべってた時のことです.
「稲垣くん(わたしは稲垣です)のホームページって,
トップにいきなりアイヌなリンクが張ってあるけど,実はアイヌだったりするの?」
「(いきなりな質問にビビリながら)ぃゃ,ぼくはそんなことはないですけど」
「ぃゃ最近な,おれってアイヌかなぁって悩むことがあるんだよ」
「…はぁ…」
「ほらおれって顔が濃いだろ,それに先祖は鮭とかとってたらしいんだよ」
「しかしそれだけではなんとも…」

その数日後,彼と回転寿司に行きました.
彼はやたらとサーモンと鮭とイクラとすじこばっかり食って,
さらに鮭のみそ汁を頼んでました.
「…なんかやたらと鮭に偏ってませんか?」
「ぃゃぁおれ鮭好きなんだよ」
「あんたきっとたぶんアイヌだよ」
「おれもそう思う」

密かにこんな感じの人ってけっこういろんなところにいるんじゃないのかなぁ
と思う今日この頃です.


うーん. 投稿者:なつき 投稿日: 2月20日(木)23時39分06秒 a138092.usr.starcat.ne.jp

> モルさん
名古屋駅前でイラン人らしき人に「あんた日本人か,このクソやろう」っていわれた時には
わたしも困ってしまいました.
まぁ,そういうことです.


なんか、重要な話題が立て続いていますが… 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 2月19日(水)22時07分22秒 Y137031.ppp.dion.ne.jp

ついでに、アイヌ語の話しに追記。

アイヌ語を思い出したり、昔の儀式や歌を思い出したりする現象は、圧倒的にフチのほうがおおいように思います。
これは、女性のほうが長生きで、エカシよりフチの人口がおおい、という事だけではなく、女性は、時代背景もあって、良くも悪くも「家の中」にいることが長く、労働力として「家の外」で使われる事の比較的多かった男に比べて、伝統ブンカやアイヌ語に振る事が多かったのではないか、とも思います。
それに、男の領域って、アイヌの世界でも室外行事・大物行事が多いですから(ジェンダーですねぇ)、抑圧が多いと維持は難しくなりますよね。
あと、男の名前はかなり昔の段階で漢字になっている事がおおいのですが、女性の名前は、わりかしアイヌ語が残っていたりするんですよね。
まぁ、これは地方差が随分あるんですけども。

…なんだか、ついノってしまって他の話題にレスが出来ない。
みなさん、流れに関係なく、自分の書きたい事かいて下さいね。

>>モルさん
…そりゃあ、怒るかもしんなぁ。
状況をもうちょっと詳しく説明してください。それによって分かってくる物があるのではないか、と思います。
前後の展開、言い方によっては、俺だって怒る可能性ありますしね。

>>カラスさん
情報感謝。
でも同一人物なら、同じ名前か、同じ人物である事が用意に想定できる名前で登場したほうがいいと思いますよ。
しっかし、なんでこんなに文章の橋端から「ニホン敵」なものが練り込まれているのでしょうか?
人との出会いが…部分は、そこはかとなく仏教臭いし。
ニホン敵キモノの人物や、ヤマタカ帽のオヒゲおっさんが挨拶のところで出てきているのは、いかがなものかと思いますがね。
なんだこいつら。 ニホン敵な挨拶がエライとかスタンダードとか思っているんか?
挨拶の仕方、する/しないにも、それぞれの民族、職場、嗜好、集団の流儀があるやろうに。

http://www.alles.or.jp/~tariq/report/itakanlo021109.html


そもそもそれは、誰の為の○○か? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 2月19日(水)22時04分14秒 Y137031.ppp.dion.ne.jp

私も、文化を述べる際に単に文化の多様性を第一に考えることはおかしいと思います。
そのような言説に出会ったとき、いつも私が考えるは「誰の為の多様性なのか」「その多様性を享受するのは誰か」という点です。

文化の多様性といいますが、本当に必要なのは「多様性」の為になにかをする事ではなくて、それぞれの文化や民族や立場や性的嗜好や性別などを持つ諸々の人々が、抑圧やら無神経やら不寛容やら差別などのせいで「割を食う」事がないように務めた結果として、多様な世界が出来ていればいいのだと思います。
そして「割を食う」事を少なくするために必要なのは、やはり、偏見や差別や無神経や不寛容などに対する、敏感さと抵抗を続けていく姿勢が問われるんだと思います。
自分達は、よく知らなかったり小数派だったり認知されていない物事や、難値しているつもりである物事に付いては、常に不注意と無神経から、「差別をしてしまう」という事を、開き直り出はなく、覚悟していく必要がある訳ですよね。
その為には、やはり敏感さと、仲の良さで関係を誤魔化さない緊張感が必要です。

例えば「単一民族発言」が世間を騒がした時「多民族」がいい、というような言説がやたらともてはやされたように思います。
まず、これが致命的におかしい。
まずもって、全ての国や共同体は、事実として「多民族」なわけですから、そんなもの自体は良くも悪くもないのです。
大切なのは、誰が主役の「多民族国家」なのか、という点なんです。

たとえば、戦前の日本は明確に「多民族国家」だったわけですが、その実態は、人類館事件とか、植民地支配とかをみるまでもなく明白に、
「多民族の上の日本人が君臨する国家」だったわけです。
アイヌとか沖縄人とか台湾や朝鮮半島の人々のもつ「文化的な多様性」は、日本の植民地支配を支え、賛美して、支配民である日本人の豊かさ、エスニック趣味に貢献する「そえもの」でしかなかった。

…現在も時々、文化の多様性を、というイベントがあるわけですが、その時にかつぎだされる「多様な文化の伝承者・体現者」は、一体、誰にとっての「多様性」の確保の為に担ぎ出されているのか?
いつも私は、そういうイベントを、かなり胡散臭く見ています。
ま、大抵は「講演者に質問をしても、自身は質問はされない参加者」の多様性の為に維持されているものなのですが。

文化振興法の「目的」を思い出しますね。
「アイヌ文化の振興等を図るための施策を推進することにより…我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする」

アイヌがアイヌの為に残した遺産は、まずは、アイヌの為にあってほしいものですね。
まして、アイヌがアイヌである事をしっかり次ぐ事の出来ない状況下においては、なおの事。


また、私は「靖国参拝」は、日本の文化ではなく、右翼の文化、天皇の文化だと思っています。

だって、ヤスクニに入れられているのは「日本の戦争で亡くなった死者」ではなく、
「テンノーの手先として死んだヤツだけ」ですから、あれは、あの戦争で亡くなった多くの日本人、日本、あるいは日本の支配地で亡くなった人達を侮辱するものです。

亡くなった人を、軍人と一般人とで、徴用工員と一般人とで、分けられるのでしょうか?
植民先の寒空で、南海の孤島で、洋上の輸送船で、マブニの丘で、東京の下町で、長野の山奥で、名古屋の工場で、広島の学校で、北海道のタコ部屋で、あまりに多くの人達が亡くなったのです。
戦後の混乱の中で亡くなった人(それも明確な戦争の犠牲者)を含めると、一体何人の犠牲者がいるのでしょうか?
その死自体もしられていない、多くの霊たちがいるのに。
ヤスクニに参拝して、それらがチャラになるなんて、考えが傲慢過ぎますな。
縁も所縁もない、気候も違う場所にある神社に参拝することで、軍人でもなんでもなかった人達も含む霊が、何故報われるのか?
むしろ、逆でしょう、逆。

本当に、あの戦争の犠牲者を悼むのであば、そもそもが軍事施設であるヤスクニを早く解体する事ですね。

http://www.alles.or.jp/~tariq/report/itakanlo021109.html


itak anakune aynu-yaynup sinrici ru ne. 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 2月19日(水)20時44分30秒 Y137031.ppp.dion.ne.jp

ロキさん、初めまして。

「アイヌ語を母語として話せる」という状態を、どのようなものとして想定しているのかで、答えは随分変わってきます。

@アイヌ語をかつて日常会話として使った経験があり、現在でも使用可能な人の内、私達がその存在を認知している人。
Aアイヌ語をかつて日常会話として使った経験があり、現在でも使用可能な人の内、私達が存在を知らない人。
Bアイヌ語をかつて日常会話で使う環境に生活していたが、いますぐ話せといわれても出てこない人。
Cアイヌ語を聞かない環境で育ったが、努力の末、アイヌ語を母語として考え話せるようになった人。
Dアイヌ語を聞かない環境で育ったが、アイヌ語を自身の母語として考え、努力している人、あるいはしていない人。

わたしは、以前はこの手の質問をさた場合、@を前提として答えていました。
ロキさんがそのような答を望むのであれば、その数はだいたい10〜30人くらいではないか、とお答えします。

ですが、多くのエカシ・フチ達とハナシをする機会を経験した上で思う事は、
アイヌのことを話をしていると、フトした事から、その人がいままでわからないと思っていたアイヌ語を思い出したり、話せない、分からないといわれていた人が、どんどんアイヌ語を思い出していく現象を目の当たりにして、「アイヌ語話者は減少している」「だれそれが亡くなったらアイヌ語の話者がいなくなる・減る」などという話しが、自分達の収集物の稀少価値を高めたい学者の作った扇動なんじゃないか、という印象を持つに至っています。
このような状態の人達は「アイヌ語を母語」としている状態ではないのでしょうか?

まぁ、アイヌとしてアイヌが「なんでも聞きたい」といって話しをしにいくのと、アイヌ語を収集しにやってくる研究者とでは、話してもらえるものが圧倒的に違うのは当たり前にしても、ちょっと度を越しているのではないか、と思いました。

そもそも「アイヌの人口」自体が、差別やら、同化政策やら、アイデンティティの喪失などの色々な事情により23000〜20万人の間で揺らいでいる状況や、
かつてアイヌ語は「滅び行くもの」とそれて、話せる人間でも、話さないようにしていた事が少なくなかった事、
そういった中、アイヌらに行為を持って寄ってくるのは、アイヌの研究の為にと、アイヌ語や民具や血液や骨(一部・死体)などを集めに来る変かなヤツが少なくなかった、
などの色々と複雑で世知辛い状況を考えますと、たとえアイヌ語が話せる、そういう話しをしていると思い出す、聞けばわかる、という人達が無数にいても、出て来れていないのではないかと思えます。
もっとも、そのような「潜在的な話者・伝承者・ラマッコロベ」達も、私達若い世代が、そのような話しを伝える環境をしっかりと作って聞いていかなければ、私達が次の世代に伝える事が出来なくなるのですが。

また、いま現在、アイヌ語を母語として会話するには十分な力はないものの、自分達の母語として考えている人間は、少なくはありません。
例えば私なんかがそうなんでずか、私は「アイヌ語で自由に会話」はできませんし、聞いたアイヌ語をなんとか意身を推測することは出来ても、文章を作る力はヘナヘナです。
ですが、アイヌ語は自分の母語であると考えていますし、この前のアイヌ語弁論大会では、せめて、作った原稿の言葉だけでも、自分の母語となるように、徹底的に練習(6千回くらい)しました。
当然、当日もカンペ無しで、身振りと感情表現付きで発表しましたし、いまでも、原稿で読み上げた内容だけは、生きているアイヌ語として日常でも出てきます。
あの弁論大会の瞬間だけは、私は確実に「アイヌ語を母語」として、自分の考えを伝える方法として(ほんとうに、原稿分だけですが)話しをしていました。
あとから聞いた事ですが、アドリブまでいれて話しをしている姿に「この人はアイヌ語がしゃべる人だ」と誤解した客までいたそうです(ハッタリかましすぎ)。

このような努力をしているアイヌは「アイヌ語を母語」として話しているとはいえないのでしょうか?
なかには、このような努力を通じて、ほんとうに「話者」になったアイヌもいます。
努力の結果、アイヌ語が話せる人間だけが「アイヌ語を母語」としているのですか? まさか!

まだ話せないアイヌも、既に話せるようになったアイヌも、もともと話せるアイヌも、等しく、
「アイヌ語を母語だと思って」話しをしていますよ。でなければ、教本もないのに、話す相手もいないのに、だれがやるものですか。


ですから「アイヌ語を母語として…」という質問をされると、最近は、返答に窮します。

http://bbs1.otd.co.jp/paetok/bbs_thread?base=635&range=5


(無題) 投稿者:ロキ 投稿日: 2月19日(水)14時32分24秒 p18139-adsao05doujib2-acca.osaka.ocn.ne.jp

 実際どのくらいの方がアイヌ語を母語として話せるのでしょうか? どなたかご教授ください。
 
 ところで、僕は文化を述べる際に単に文化の多様性を第一に考えることに抵抗を覚えます。確かにアーサー=C=クラークが述べるような多様性を大事にするという意見には納得ですし、その点で、現在のグローバリズムには反対です。しかし、多様性がどうとかいう以前に大切なことは人間の尊厳、狭い意味で使われる人権などという安易な表現ではなくその尊厳であり、民族の尊厳であると思います。
 僕自身和人で、自分の文化を愛しています。それだけ、ほかの民族にも興味がありますし、尊重すべきだと思います。その点から、小泉の靖国参拝は断じて許せません。自らの文化を守ることとほかの文化を尊重することは混同されるべきではない。そんなに戦争を悔いるのならば、沖縄のマブ二に毎年行けばよい。
 

 その小泉の靖国参拝について、官房長官は当初「小泉純一郎という個人の信仰の自由を侵害しても良いのか」と非難に対して答えました。一方先日の「儲かります」発言に対して、青木元官房長官は、「閣僚には個人の立場はない」と発言しました。どうでしょうかこの二枚舌は。こうして自民党は国民を騙しているのです。
 
 イラク問題についても、政府は賛成、反対を明確にしていません。アメリカが新決議を提出したらそれを追認するつもりらしいですが、私たちは騙されない! 私たちはこのトリックを1度目にしています。満州事変の際、政府は関東軍が張サクリンを爆殺した際それを後から追認しました。こうして責任を関東軍に押し付けて、その所在をうやむやにしたのです。今それを政府は行おうとしているのです。断固として許すことはできません。何とか阻止しなければ今後「日本人は  」などと後ろ指をさされるばかりか、日本の帝国主義化に拍車がかかることになるでしょう! といっても、今僕は受験生のみですから、 直接デモなどには参加できないのが口惜しい。(TT)合格したときは参加したいと思います。それまでに(平和的に)解決していればと思ったりもします。

 乱文ですみませんでした。 


質問 投稿者:モル 投稿日: 2月18日(火)21時47分38秒 YahooBB219047116030.bbtec.net

北海道出身の人に、アイヌですか?と聞いたら、ものすごく怒られました。
馬鹿にしたわけではないつもりなのですが、なぜでしょうか?


心のノート続報 投稿者:カラス 投稿日: 2月17日(月)00時20分54秒 squid-e-4.ipse.media.kyoto-u.ac.jp

こんばんわ、以前心のノートの話を出させていただいたものです。
一応現物がここで見れるということで、お伝えさせていただきます。
1・2年生用、3・4年生用、5・6年生用、中学生用と四冊あるうちの中学生用
のみですが。
一人でも多くの方に見てもらって、そして感想を聞きたいです。
それでは短いですが、取り急ぎ。失礼します。


http://cgi.psn.ne.jp/~jhc-cebc/s-data/education/gov/jp/konote/cyu/


チュプさん、見てますかね? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 2月11日(火)17時06分46秒 U071120.ppp.dion.ne.jp

>>トペンペさん

早速トップへリンクしておきました。
貴ページの存在する限り、トップからリンクは外しません。

私自身も、チュプチセコルさんが亡くなったという実感が、やっとで出てきた所で、心の整理が始まったばかりです。

チュプチセコルさんは、他の活動家のアイヌとは違い、北海道を離れて生まれ道外に生活基盤があり、身近にアイヌの共同体がない状態でありながらも、自身がアイヌであるという強い思いを持って活動さた人で、私自身、とても似た境遇の部分も多かった人です。
同じくインターネットを早い段階からアイヌとしての活動に活用していた人としても、大変身近に感じていました。
喧嘩する事も多かった相手ですが、色々と行動(問題)を起こす際、同じアイヌとして、影ながら世話にもなってもいました。まさかこんなに早く亡くなるとは思ってもみなかったので、大変驚いています。

お見舞いにいかれた全ての人々、追悼ページを作られた方々、理解頂いたご遺族、そして、このような繋がりの場を介して下さったチュプチセコルさんへ、いまさらながら、感謝致します。

追悼ページの管理人さん、チュプさん関係の話しであっても、厳しい話題、あの場に堪えられない議論、あるいは荒しなどは、こちらに誘導頂いても構いません。
いかなる客人であれ、正面からお迎え致します(笑)。そりも、チュプさんへの供養の一つの形でありましょう。

また、チュプチセコルさんと面識の有る方々も、無い方々も、突然の訃報に遠慮せず、この場はいままで通りに使っていただいてかまいませんので、ご安心下さい。そのほうが、故人もよろこぶと思います。

下記、チュプチセコルさん急逝について書いたこと

http://bbs1.otd.co.jp/19250/bbs_tree?base=645&range=2


書き忘れ 投稿者:トペンペ 投稿日: 2月11日(火)16時30分46秒 m100155.ap.plala.or.jp

すいません、URLぬけてました。正しくは下記です。

http://mypage.naver.co.jp/topenpe/


チュプチセコルさん訃報 投稿者:トペンペ 投稿日: 2月11日(火)15時51分19秒 m100155.ap.plala.or.jp

こんにちは、はじめてお目にかかります。
京都でアイヌ民族関係のサークルをしております和人のトペンペともうします。

さて、ご存じのかたも多いかとは思いますが、去る西暦2003年1月28日午前二時、京都市山科区在住のアイヌ史研究家であり、アイヌ民族のチュプチセコルさんがご自宅でお亡くなりになりました。享年53才でした。

このたびご遺族の了解を得て追悼のページを開設しました。突然のことでもあり、私自身もまだ心の整理がつきかねていますが、チュプさんの関係者の方、見ておられましたら、よろしければ一度ご訪問ください。いづれ、チュプさんの残したネット上の足跡もリンクなどして行きたいと思っています。詳しくは下記URLまでよろしくお願いいたします。

あと管理人のEsamanさんにお願いなのですが、もしよろしければ相互リンクをしていただけないでしょうか?

重ね重ねよろしくおねがいいたします。

http://mypage.naver.co.jp


 投稿者:高木狭摩 投稿日: 2月 8日(土)14時41分58秒 z216.61-205-208.ppp.wakwak.ne.jp

>アイヌ語の地名だからアイヌ人の土地である、と言うのは目安にはなるが
>決定的証拠にはならないかも
だって地名は2000年残るといいますしね。
例えばアフガンのカンダハールに今はギリシア人はいませんがもともとはアレクサンダー大王の建設したアレクサンドリアからきているんです。(アレクサンドリアのペルシア語読みがイスカンダル、さらにカンダハールは現地語読み)
私としては最近の効率優先の市町村合併により地名が消えていくのには納得いきませんな。

>縄文人が複数の民族で構成されていたなら
アイヌと沖縄は同じ縄文系の子孫とされていますがミトコンドリアDNAが一つ違うと聞きます。
同じ縄文系でも別の部族やったんでしょう。

>北方四島の悲話
和人商人による資源の乱獲によって自然の生態系が壊れてアイヌが食べていけなくなったのが
致命傷なのですが、松浦は請負場所のアイヌは比較的無気力ですが和人の影響の少ない地域では
生き生きと生きるアイヌを目にしていますね。
同じく日本が支配した朝鮮や沖縄にしても現地住民を食べていけんようにするのと民族としてのプライドを奪う政策は日本の植民地政策の柱だったように思うんです。
(幕府の蝦夷地支配のノウハウが明治政府にフィードバックされた!?)

そういや現在アイヌの着物は和服と同じように左を上にしていますが、松浦本の挿絵なんかでは右上にして着ています。これは弓を引くために襟が邪魔にならない為やと聞いたんですがほんまのことでしょうか?


演歌とか小学校とか北方領土とか 投稿者:和人X 投稿日: 2月 8日(土)10時21分57秒 hcou135063.catv.ppp.infoweb.ne.jp

>えっ?
>演歌ってアフリカ伝来なんですか?
はい。もうだいぶ前の話にはなりますが、そんな事をなんかのテレビ番組で
やってゐました。
アフリカの音楽文化が、アメリカ経由で日本に入って来て、さらに日本の中で
日本人(大和人だけと云ふ確証が無いのでかう書きます)に合ふやうにアレンジ
された物なのだとか。
その番組では、元になると思はれるアフリカの音楽も少し流れてゐましたが、
確かにかなり似た雰囲気の音楽でした。
何でも、アフリカのどこかの國の人は、日本旅行のみやげに北島三郎のテープ
を買って帰るのだとか……。

>あと私は、近江の豊郷小学校の件は「皇族のニオイをどうしても残したいイヌ」ではなく、
>「地域住民が実際に子供の頃通っていて、自分達の子供にも残したいと思う財産」
>なんじゃないかと思うので、随分性質の違う事件だと思っています。
同感です。
それに、かの正田邸に比べれば遥かに由緒ある(と云ふと変ですけど、
要するに由来が興味深い)建物ですしね。
耐久性に不安があると云ふのなら、補強工事を検討すれば良い訳ですし。

アイヌ語の地名だからアイヌ人の土地である、と云ふのは、目安にはなる
でせうが、決定的証拠にはならないかも知れませんね。
勿論、東北の一部(?)、北海道、北方領土等々は、侵略の歴史がはっきり
ある訳ですからアイヌ人の土地なのだらうと思ひますが。
アイヌ語由来(と思はれる)の地名って、日本各地にあるんですよね。
ただ、これが「アイヌ人が住んでゐたから」なのか「縄文人が住んでゐたから」
なのかは不明ですが。
(恐らく縄文人も、アイヌ語或はそれに似た言語を話してゐた事でせうし。
縄文人が複数の民族で構成されてゐたなら、その中のどれかの民族(複数かも
知れません)と云ふ事になるでせうが。)
いづれにしても、まるで大和人(だけ)の物であるかのやうな文脈での「北方
領土を返せ」なんて主張は、私も聞いてて白けるだけですね。


北方四島は地獄島。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 2月 8日(土)02時17分56秒 U071104.ppp.dion.ne.jp

東北地方・クリル列島・サハリン・北海道とよばれちゃってる島は、全てアイヌモシリ、アイヌ民族固有の領土です。

理由は簡単、アイヌ語で地名がついているからです。
これらは、歴史的に、どう考えてもアイヌ民族の土地ですよね。
まぁ、東北全域はちょっと風呂敷きがデカすぎますから、津軽地方だけかもしれませんが。
しかし、近代国家よりは「歴史的な根拠」とするには十分なネタだと思いますが。


また、日本政府とかウヨクとかが主張している「北方四島」には、こんな逸話が…

松浦武四郎・近世蝦夷人物誌より

16・7歳にもなるや、男女の差別も無くクナシリまたはリイシリ等へ
遣して稼がせ、女の子は番人・稼人等の妾となし、其夫ある時は其夫を
他の漁場へ遣わして淫し、男夷は唯昼夜の差別無くつ苛責して、其の苦
に堪えず病に着くものは其まま雇蔵といへる物へ一匙の粟、一椀の飯も
与えず、唯身よりの者の有て食を運び遣わすにて生活するのみなり。
実に病に罹るや否、其日より餓鬼の責を受る如く、多分は飢渇に命を落
とす者多し… …依て此島へ遣らるるや、彼等云ふるにはアヲタコタン
(地獄)に行しと同じことなり。
…女は番人の妾となされて生涯嫁せず婚せずして、病に着く迄は役せら
れ、ニ度と親の顔見ることも叶わず、親も子の顔をみることも叶わず…


つまり、地域のアイヌは、和人の暴虐すさまじいあの島々を「地獄島」と呼んでいたんですね。
このような「歴史的な経緯」がある島々を「早期返還に向けてみんなの声を一つにしましょう」なんて呼び掛けれる人も、信じちゃう人も、どっちもサイアクだと思います。

…その前に、する事があるんじゃないのかねぇ。


あと私は、近江の豊郷小学校の件は「皇族のニオイをどうしても残したいイヌ」ではなく、
「地域住民が実際に子供の頃通っていて、自分達の子供にも残したいと思う財産」
なんじゃないかと思うので、随分性質の違う事件だと思っています。

皇族って所詮は赤の他人ですが、自分達が子供の頃通ったものだったら、大切にしたいという気持ちはわかりますよ。

http://bbs1.otd.co.jp/19250/bbs_tree?base=644&range=2


うさんくさい… 投稿者:高木狭摩 投稿日: 2月 8日(土)00時16分22秒 z75.61-205-208.ppp.wakwak.ne.jp

テレビや携帯のウェブニュースの政府広報で「草の根の声から・北方領土の返還」とかやってましたが実に胡散臭く感じます。
「日本の固有の領土」っていいますがそれは開国以降に「近代的な」国境が確定してからずっと日本領だっただけですし。政府も固有の領土なんて誤解を招くような語句を使わずにそこんところをきちんと説明すべきでしょうな。
また「草の根」って言うてますが「早期返還に向けてみんなの声を一つにしましょう」って事実上国家による強制としか思えませんな。

>田村麻呂を初めとする東北侵略軍の司令官達がみんな「ヤマト民族」かどうかかなり妖しい
坂上田村麻呂は帰化人の子孫です。

>旧正田邸
>スゴイ建物でもなかったので地域住民の行動は文化財保護というより「皇族の痕跡を地域に残しておきたい」というエゴだったのでしょうな。

確かにそういう面もあるでしょうが近江の豊郷小学校の件でも同じく住民が反対するにも関わらず行政が一旦決定した取り壊しを強行することが問題でしょうね。


メールしませんか? 投稿者:ヒトミ 投稿日: 2月 5日(水)23時55分01秒 YahooBB219184156126.bbtec.net

友達がたくさん欲しいな!優しい人と仲良くなりたいです。
私を暖めてください。


「日本の文化」って、どこまでなんでしょうねぇ。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 2月 5日(水)23時25分05秒 N010060.ppp.dion.ne.jp

今手元に、
「語り伝えたいふるさとの民話4 北海道・かけすのおつかい/オキクルミ」
という本があります。

しかも、CD付きです。
「美しい日本語を親子で聞く」ということで、橋爪さんが語ってます…って、おい。
どっちの話しも、アイヌ語で語られるはずの話しじゃないんだろうか?

シリーズで出ているものらしいのですが、昔話で「北海道」でのっているのはこの一冊だけみたいです。
あたりまえだよねぇ。
「昔話し」で語られる頃には「北海道」なんて土地は存在しなかったんですから。
そのへんの話しを説明しないと、出てくる人達の格好とか、不思議か単語(コタンとかイナウとか)とかの意味が、さっぱりわからないと思うのですが、どうなんでしょうか?
巻末には「作品の背景とポイント」という事で、「このおはなしには、アイヌの人たちの信仰が特徴的に現れています」などと説明が入っていますが、そのアイヌが何かと言う説明が、ないですねぇ。
コタンなどの言葉が、アイヌ語という別の言語だという事も説明されていません。

遠い異国の話し(アラビアンナイトとか)を「美しい日本語」にするのだったら、まだわかりますが、「ふるさとの話し」という形でこんな感じの説明をすると、子供には「アイヌ」が何かわかんないと思うのですが、どうでしょうか?


もともとがアイヌ語の話しを「美しい日本語」で聞くのって、
「クルアーン(コーラン)を美しい日本語で聞く」発想と、似た違和感を覚えるのですが…

まぁ、本文中に「昔話っぽい絵柄」で書かれている当場人物や神々は、それなりの雰囲気があっていいのですが。

>>和人X さん

>いつぞやに旧正田邸取り壊しに反対する人達の様子をテレビでやってましたが。
>何ですかアレ。

確かに、あれは変でしたね。
おっしゃる通り、そんなにスゴイ建物でもなかったので、地域住民の行動は文化財保護というよりは、
「皇族の痕跡を地域に残しておきたい」というエゴだったのでしょうな。
当人が嫌がっているものを、無理して残してどうするのよ。

ま、皇族の生活費とかは公費で出ている(んだったけ?)から、残せと言う物言いもあるかもしれませんが、んなこと言うんだったら、皇族が次ぎに何するのか投票で決めてもいいようにも思うんですが(笑)。

死んでしまってから、色々と好き勝手にやられるというのは、誰でもありますがね。


>演歌なんかアフリカ由来の音楽ですし。
>(まぁ、「君が代」は雅楽と云ふ事になるんでせうが……)

えっ?
演歌ってアフリカ伝来なんんですか?

君が代が雅楽ならば、天皇一族は「日本文化」というよりは、「天皇文化(雅楽文化?)」の担い手のような気がします。

確か、雅楽って朝鮮半島の何かの文化(演奏スタイル)が輸入されたときに、位置が変化したものだと聞いた事があるんですが、どうだったでしょうか?

http://bbs1.otd.co.jp/19250/bbs_tree?base=644&range=2


犬。 投稿者:和人X 投稿日: 2月 4日(火)00時50分03秒 hcou135002.catv.ppp.infoweb.ne.jp

>天皇とか国家のイヌではなく。
いつぞやに旧正田邸取り壊しに反対する人達の様子をテレビでやってましたが。
何ですかアレ。
「文化財を破壊するのは横暴だ〜!!」とか叫び乍ら、皆で一緒に君が代を
大合唱してたりして、何か激しく怪しかったやうに感じました。
あの家、確かに立派な建物ではあるのですが、どう見ても、そこらの文化財に
指定されてゐる寺程には古い物でも無いし、そこまでは立派な物でも無いです
よね。あの程度の建物なら、そこらの金持ちがバンバン建ててゐる事でせうし。
反対派の人間は、まさか皇族の人間が自ら「ちゃっちゃと壊してしまって呉れ」
と云ってゐる事を知らない訳ぢゃ無い筈なんですがね……。
「天皇を敬へ」と云ふ連中に限って、結局皇族本人の意志など聞く耳も持たず
皇族を只の人間としてすら尊重出来てゐない、と云ふ証拠を、改めて示された
気分でしたね。
結局、自分が権力を持つ為に天皇を利用したいだけなんですね。

ところで、そんな彼等は、「文部省唱歌は別に生粋の大和伝統音楽と云ふ訳
でも何でも無く、西洋音楽等もかなり混じった物だ」と云ふ認識を
ちゃんと持ってるんでせうかね?演歌なんかアフリカ由来の音楽ですし。
(まぁ、「君が代」は雅楽と云ふ事になるんでせうが……)