≪特集≫ 始祖女神像 〜坂上遺跡から出土した土偶〜



坂上遺跡
 坂上(さかうえ)遺跡はJR信濃境駅の西、1.4kmほどのところにあった、今から4300年ほど前の遺跡です。
昭和49(1974)年の3月、大規模な構造改善事業に先立つ発掘調査が行われ、8軒の住居址と数基の小竪穴が
発掘されました。

 住居に囲まれた小竪穴は、墓穴ではないかと考えられるものですが、そのうちの一つの上面から発見されたのが
この土偶です。


始祖女神像
(坂上遺跡の土偶)


どんな土偶なの?
 頭と上半身と下半身の三つに分割された状態で出土しました。接合してみるとそれは高さが23pにもなる
大ぶりの土偶で、当時とすれば近隣に類を見ない大きさでした。八ヶ岳西麓の棚畑遺跡から出土した“縄文の
ビーナス”、同じく中ッ原遺跡から出土した“仮面の女神”(いずれも国宝 茅野市尖石縄文考古館蔵)の
ちょうど中間にあたる縄文時代中期後葉のもので、この時期としては現在でも最も大きなものです。

 短くしっかり踏ん張った足と、大きく張り出したお尻。胴はスラリッとのびやかで、大きく両腕を開く。
空を振り仰ぐように顔を斜め上方に向け、胸を張る姿は、すがすがしくもあります。
 体に刻まれた文様は精緻で、同じ時期の土偶の中でも傑出した存在です。


土偶って、なに?
 縄文時代に土偶と呼ばれる人形があることはよく知られています。何のためにつくられ、使われたのか。
様々な説がありますが、これらはことごとく女神の像であり、世界的に見ても新石器時代の女神像の多くは
多産や豊穣を祈るものとされています。
 しかし土偶というものは、そのほとんどが完全な姿で出土することがありません。頭だけ、片足だけ、など
首や手足をもがれて、バラバラにされているのです。しかも同じ遺跡の中でその片割れが見つかることはまず
ありません。最初から壊す目的でつくられ、その部分は遠く村の外へ、持ち去られているのです。

 そのように殺される神の姿は、日本古来の神話に見ることができます。首を断たれ、四肢を寸断されると
いう面では、火のカグツチの面影が重なります。イザナギによって首を切られたカグツチの体の各所から、
八柱(やはしら)の山の神が化生(けしょう)したとされています。
 あるいは月の神格をもつ女神は、五体を寸断されて蒔かれたり埋められたりすることで、作物が化生する
とも考えられていました。
 私たちは、このような神々の源流は、縄文時代にまで遡ることができるのではないか、と考えています。
古事記・日本書紀が編纂されるより遥か昔、何千年も語り継がれた始祖女神の姿なのではないでしょうか。


この土偶の文様
 じっと目を凝らすと、この土偶の文様がいかに細かく刻まれているかが見えてくるでしょう。これは決して
当時の服を表したりしているのではありません。土器の図像と同様に、何かもっと重要な意味が込められて
いるのです。ここではそれを見てみましょう。



まず背面からこの土偶を見ると、こんな風ですね。

 両脇からお尻へと文様が続いていますが、上の方、首筋にも何かが刻まれていますね。この土偶の文様を
おなか側で切って、「アジの開き」のように展開してみましょう。


こんな感じです。

 かつての井戸尻考古館長であった武藤雄六さんは、二人の神官であると解釈したようです。
  (参考:「坂上遺跡出土の土偶の画像について」1988『唐渡宮』富士見町教育委員会)
 いま、残念ながら私にはこの意味を読み解くことはできません。ただ、この文様には注意が必要なのです。


神奈川県の寺原遺跡の土器文様です。

 土偶ではなく、土器の文様です。崩れてはいますが、明らかに同じ文様が刻まれています。しかもこの土器
は、土器の型式で一世代後、数十年〜百数十年ほど新しいものです。土偶と土器という器物の性格とともに
時間も越えて語り継がれたものとは何だったのでしょう?
 さて、この文様は、同時代の中部日本の土偶には、けっこう見つけることができるのです。




 地域を越え、土器文化の枠も飛び越えて広がる文様とは、どれほどの意味を持っていたのでしょうか。
それはもはや、流行とか真似とかいうレベルではないでしょう。

 ここでいま一度、坂上遺跡の土偶の文様を見てみましょう。



 坂上の土偶が、非常に精緻につくられていることがよくわかります。おそらくこの文様の発信地は、この
八ヶ岳南麓、坂上遺跡だったのに違いありません。いつの日かその謎が解き明かされる日が来るでしょうか?


異常な女神像
 バラバラに壊される運命にある土偶、ではなぜ坂上の土偶は、三分割されていたとはいえほぼ全身が遺された
のでしょうか?壊されることが最終目的であるとすれば、“壊されない土偶”は異常であると言えます。
 これは人面深鉢についても同じことが言えそうです。壊される=殺されることで、他の神々の化生や、多産や
豊穣を約束する女神像が、そのままの姿である、ということはどのようなことなのでしょう。しかもそれは
“縄文のビーナス”や“仮面の女神”も同様です。一度まとめてみましょう。

@大きく、精緻な造形の逸品が
A壊されずに(完全に近い形で)
Bムラの中央付近の墓の上から

出土したのです。
そういえば坂上は右足だけがありませんでしたが、実は“仮面の女神”は故意に右足が折られていましたし、
“縄文のビーナス”も、右足の付け根が大きく傷んでいました。
物事の左右という点ですぐに思い浮かぶのはイザナギの右目から月読が、左目から天照が生まれたというくだり
ですが・・・。
 いずれにしてもこれほどの土偶です。そしてムラの中央に埋置されるという在り方からしても、「安産祈願」
とか「来年の豊作祈願」とか言ったレベルのものではなく、もっとムラ全体の、あるいは地域全体の、強い
祈りや願い、思惟というものが感じられるような気がするのですが、いかがでしょう。
 皆さんはどのように感じられますか?




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