第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告
その日は「納骨堂」のシャッターが開いていた。
いままで何度も何度も、このシャッターの前まで来たが、中を見るのは初めてだ。
シャッターの向うには、意外な事に囲炉裏があり、
すぐに納骨堂になっているわけではなかった。
囲炉裏のある空間の左に、入り口があり、その先には薄暗い空間があった。
その左手の空間が、骨を保管しているスペースらしかった。
人気の無い部屋に踏み込み、囲炉裏の前を横切るのを避け、その入り口をくぐる。
そこには、図書館や学校などで良く見る、本棚のような灰色の棚が並んでいた。
すべて、扉を空け放たれており、中にはまるで「戦地から帰ってきた遺骨箱」
のような四角い風呂敷き包みが、ぎっしりと並べられていた。
今まで、写真では何度か見たことのある棚、確かにここはあの納骨堂だ。
慰霊祭だから、棚の扉を全て空けているのだろうか?
遺骨の返還が終わった地域の棚だろうか、
包みは無く、木の器ようなものだけが置いてある棚も、中にはあった。
だが、そのような棚は大変少なかった。
かの児玉作座衛門らをはじめとする盗掘団が集めた遺骨の大部分は、未だにこの「納骨堂」に監禁されているのだ。
さらに、奥の棚には鉄製の本棚のような棚の上に、何の覆いも無く、白い包みが壁一面に、天井に届きそうなほどに並べられている棚もあった。
----------
ふと、いつか見たNHKの『日本人のルーツを探れ 〜人類の設計図〜』という遺伝子を扱った番組に、「6000年前の女性のミイラ」の映像が写ったときの事を思い出した。
→その番組のページへ
その時「彼女」は、見るからにみすぼらしいダンボールの箱に入れられ、
古くなった図書館にありそうな、粗末な本棚のような棚に、他のミイラや遺骨達と共に、剥き出しのまま並べられていた。
さながら、有名な「児玉作座衛門と児玉コレクションの写真」のような光景だった。
→児玉教授の写真
もっとも、
目の前にある、この納骨堂の遺骨達も、上に風呂敷がかぶさっているだけで、何も変わっていない気もするのだが。
しかも、その番組に写っていた研究者達は、さも嬉しげに彼女の骨を
糸鋸で切開し、骨の「随」を採取していた。その時に入ったナレーション
「表面は色々な人に触られていて、他人のDNAが付いているので、内部のDNA
を採取します」は、今でも忘れなれない。夢に出るほどだ。
「いろいろな人が触っている」…一体、彼女はいままで、
どんな扱いをされてきたのだろうか?
しかもその番組では、ミイラの写真と地元の先住民族の顔の写真を並べて、
「共通の遺伝子が…」などと、無神経なナレーションを入れたりしていた。
あの時、にこやかに日本の学者に採血されていたその先住民(音楽家らしい)は、日本で、自分の顔や遺伝子情報が、先祖である所(当人の意識は知らないが)のミイラと共に、あのような編集をされて「日本人のルーツ願望」に消費されている事を知ったら、果たして良い顔をするだろうか? 私だったら激怒するだろう。
あの番組の取材に同行したオキは、採血を拒んだと伝え聞いているが、音楽家の「彼」が。仮にオキの友人であったのだとしたら、その背景には、かなり微妙なものを想像してしまう。
いまでも埋葬もされず、粗末な棚の上に、彼女がいることを思うと、若くして亡くなった以上に、惨い事だと思った。
----------
「資料」の管理の為に空調が効いているのだろうか? 納骨堂の中では寒さすら感じた。
以外と広い納骨堂の内には、部屋中に棚が並べられており、大人二人がすれ違うのも困難なほどだ。 これは大変な数だ。
全ての棚の戸が開けられているといっても、何かと対面しているわけではないし、花が添えられているわけでもない。線香の一つもない。
当然、供物も何も無い。「心遣い」らしき形跡は何も無かった。
ただ、普段は締まっているのであろう扉が「資料室」の中で、薄暗い部屋に向かって、ただ開いていると言うだけ。
それが、表に花輪を飾られた、慰霊祭の日の「納骨堂内部」の現実だった。