「アイヌ民族に関する人権啓発写真パネル展」写真集より。
児玉教授の背後の棚に並んでいるのは、イミテーションではなく全て本物の人骨である。
児玉教授の手前にならんでいる刀剣は「エムシ」と呼ばれる儀式用の宝刀。
→背後の棚にある人骨の現在地、侵入ルポ
??無数のエムシやタマサイは何処に行ったのか??
アイヌ民族は、多くの地域の人々がそうであったように、かつては皆土葬であった。
死者を葬る際は、死者専用の衣装と花ゴザで身を包み、その人がいつも使っていた
身の回りの品などを持たせて埋葬した。
多くの場合、男ならエムシ(宝刀)、女ならばタマサイ(首飾り)を持たせた。
アイヌには、「死者の眠りをさまたげる」として、死者の墓に頻繁にお参りするという習慣が無く、
副葬品を狙う盗掘者は、昔から後を絶たなかった。
だが、この児玉教授は、副葬品狙いの墓泥棒よりもよりも数段酷い。
埋葬されている人間そのものまで収集してあるいたのだ。
児玉教授(彼は実際は文化人類学者ではなく解剖学者だった)の研究室は組織的に、
各地のアイヌの集団墓地を盗掘して回った。
当然、先祖の墓を荒らされてなんとも思わないほど、アイヌはアホでも寛大でもない。
盗掘を聞きつけた若い者達が抵抗した話しや、老婆が墓標にすがって掘り返すのを
思いとどまるように懇願した話しなどが、現在まで伝わっている。
多くはタブーとなっていて、聞き出す事は容易ではないが。
児玉教授の宝物庫(上記写真、映像も現存)にある無数のエムシは、
その多くが、先祖の墓を暴いた時に収集されたものであるといわれている。
現在「児玉コレクション」として展覧会事業に使われているものの中の、
果たして何割かが盗掘品そのものなのかはわからないが(正確な記録はない)、
この写真が撮られた当時は、人骨をも含めて「児玉コレクション」と呼称していたようでもある。
現在、児玉教授の持つ資料の内の「キレイナモノ」だけを集めて、
「児玉コレクション」と呼びなおそうとする動きもあるようだ。
そんな小細工をした所で、
児玉教授自身が人道に外れた墓泥棒である事は変わりはしないのだが。
実を言えば、このような盗掘は、現在も行われている可能性がある。
多く地域で人骨問題の話題がタブーになっているのは、
今も「協力してしまった」アイヌ達が生きているという事だけではなく、
現在も何処かで掘っていおり、過去の話しではない事を暗示している。
いずれにせよ、現在に至っても、この写真の無数の人骨の多くが、
未だにアイヌの元に返還されておらず、埋葬もされずに北大の動物実験室裏手にある
「アイヌ納骨堂」という名称の施設に保管されている事は紛れもない事実である。
慰霊塔ではなく納骨堂という名称からも判るように、ただホネを保管している倉庫で
しかなく、現在も遺伝子研究などの資料として使われている。
「日本人のルーツ」などを扱うTV番組で、「アイヌのDNA」なんてデータが出てきたら、
それはかなりいい確立で、教授の背後にある人骨達を削って得たデータである。
墓を荒らされた無数の死者達に、本当の安らぎの時が訪れるのは何時の事だろうか?
児玉教授の収集した、千体にも上る無数のアイヌの人骨達は、現在も尚、
北大構内の駐車場脇にある「アイヌ納骨堂」に資料として保管されている。
すぐ脇を車が行き交い、時にはトイレと間近えられもするこの建物は、
はたして、遺骨の安置されるべき慰霊の場所だといえるだろうか?
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(2000 9/9-10/9)馬場・児玉コレクションにみる北の民アイヌの世界
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「児玉コレクション」の収集者,児玉教授の「業績」に関連する新聞記事
「アイノの人類学的調査の思ひ出」を読んで−アイヌ墓盗掘の先達・小金井良精の日誌−
(2002 8/2)第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告
(行方不明の盗掘品・北大にて発見さる!!)児玉教授の『業績』に関する新聞記事・雑誌記事