教団の行った北海道侵略への加担を,開拓と美化して来た真宗大谷派と,児玉コレクションの底に流れる共通の課題を,この集いを通して問うていきたいと思います.
現在,名古屋市で開催されている「北の民アイヌの世界特別展」には,博士の死後,函館や白老の博物館に寄贈されたという氏のコレクションが中心的に紹介されています.それは民族資料として実に貴重なものばかりです.ぜひご鑑賞されるよう,お薦めします.
私は,この展覧会がもし「函館・白老両民族博物館に収蔵されたアイヌ展」と位置付けられるのであれば,このようにご案内したことでしょう.しかし,今回のアイヌ特別展が「馬場・児玉コレクションに見るアイヌの世界」と銘打ってある以上,とりわけ「児玉コレクションに見るアイヌの世界」ということばから想像するその世界とは,松浦武四郎がその著書「近世蝦夷人物誌」の末尾で書き残した,「アイヌの亡霊に囲まれてアイヌの肉を食らい,アイヌの血をすすり,この世の春を謳歌するシャモ」の世界しか想像できないのです.
21世紀を前にして「民族の誇りの尊重」をうたったアイヌ展に,なぜいま児玉コレクションなのか?この集いが,そのことの意味を参加者みんなで考えてみませんか.
アイヌ自身が声をあげ、学問という名の権力に異議を唱える機会をもつことは画期的だと思います。 言うまでもなく、研究者による文化の破壊・略奪・横領は、日本人によるマイノリティ支配に貢献し、支配を正当化しつづけています。これはわたし自身が沖縄人を生きることを通して見てきたことでもあります。 「児玉コレクション」とその展覧会は決してアイヌのためにあるのではない。日本人のために、いまも続く日本人によるアイヌ差別を隠蔽し、アイヌ支配を正当化し礼賛するためにあることは明白だと考えます。それはわたしに、日本人による沖縄支配を礼賛するためにもちだされた沖縄の歌と踊り、沖縄の歴史と文化、沖縄アイドルたちを連想させます。 わたしはこの集会に賛同します。そして、これからもともに日本人を問いつづけていくことを願ってやみません。日本人を問わないということは、自分自身が抑圧者・差別者になるということでもありますから。
今回の「児玉展」は,私にとって実に考えさせられるものである.
一つは日本の「大学」が「研究」と称して何をやってきたのか,そしてそれは何を目的にしていたのか,さらに,それを現代に再構成することの意味は何か.
私はいわゆる「アイヌ研究家」ではないと自分では思っているし,アイヌ民族は「専門分野」でもない.
当然詳細な知識はない.
しかし大学に関係している和人である私は,和人そして「研究者」が行なってきたことを検証する責任がある.
なぜなら「和人であること」「研究すること」によって起きる問題は,基本的に現在も継続していると思うからである.
ここで安易に過去を肯定したり,見ない振りをして沈黙したりすることは,直ちに和人や「研究者」によって実践されてきた権力を,再生産することになると思うからである.
お手紙ありがとうございます。とりあえずわたし個人の意見をお送りします。「既に多くの方たちが声を寄せられているので、わたしが特に付け加えることは無いと思いますが、反響の多さもみんなの力になると思って書きます。馬場・児玉コレクションと銘打ってこのような展示会が開かれることを和人の一人として情けなく思います。財団の理事長、佐々木高明氏の返信にある『児玉教授と人骨問題の関連やコレクションの成立の背景などを説明するのが本展の目的ではない』というくだりは、何やらこの展示会というよりは財団の姿勢、ひいてはあの法律の目的を暗示しているようです。問題は本展の目的が何か、ではなく、アイヌ民族の権利回復のためにどのような企画がより求められているか、のはずです。財団のおこなっていることは、『いかに和人の過去の行為を批判せずにアイヌ文化を享受するか』に心を砕いているように映ります。」
「展示会」と名が付いているからには、たしかに展示物の価値に目が向いてしまいがちです。何の知識もない者が、見学客として見にくれば、「ははあ、これってすごい収集物なんだ〜(パンフとか展示パネルなどを見て)。こんなん集められるなんて、よっぽどすごい人(=児玉氏)なんだな」 と考えるのは自然なことです。こうなってくれることを、主催者は望んでいるのでしょうか。 まず、こういった無知な客は多いはずです。 無知を責めることはできません。責めるべきは、彼らの無知をいいことに、事実を隠して公開している側です。また、「展示物収集の事実」を把握していない事態があるのだとしても、それは主催者の怠慢でありましょう。 卑近な例で申し訳ないですが、学校で発表用のレジュメ(プリント)を作るとき、責任の持てないことを書くことはできません。規模の大小の違いこそあれ、他人不特定多数に公表するという点は同じだとわたしは捉えています。次元の違う話だ、と言われてしまえばそれまでですが・・・。 経歴不明(?)の品物を展示するなと言うのではありませんが、身元を明らかに、そして入手レートを明記するのは当然のことかと思います。でないと、説得力ないですよ・・・・・・といっても、すべてがはじめての人の場合、その説得力にかけるものを信じこむとまではいかなくとも、第一印象になるのは必至です。どちらにせよ、いい結果は生み出せないのではないでしょうか。 児玉コレクションと銘打っている以上、展示品の素晴らしさだけを強調することはできません。収集者にもスポットをもっと、ただしい角度から当てなきゃ。
「アイヌ特別展を考える集い」のトップヘ戻る
(2000 9/9-10/9)馬場・児玉コレクションにみる北の民アイヌの世界
(2000 9/10)「考える集い」呼びかけ文
(2000 9/30)「アイヌ特別展を考える集い」のご案内
本集会に寄せられたアイヌからのメッセージ
(2000 9/13)『馬場・児玉コレクションにみる北の民アイヌの世界』展開催に関する財団としての考え方について
(2001 2/3)考える会を終えて、ご参加いただいた皆様からのメッセージ
(2001 9/15)「アイヌ特別展」を色々な立場で考えた結果の、要望と意見。
「児玉コレクション」の収集者,児玉教授の「業績」に関連する新聞記事
衝撃の映像!これが児玉作左衛門教授だ!!
「アイノの人類学的調査の思ひ出」を読んで−アイヌ墓盗掘の先達・小金井良精の日誌−
(2002 8/2)第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告
(行方不明の盗掘品・北大にて発見さる!!)児玉教授の『業績』に関する新聞記事・雑誌記事