第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告


白い包み


天井まで敷き詰められた包み。



棚の前にしゃがみこみ、この包みの中には…
と、天井まで積み上げられた無数の白い包みを見上げながら、漠然と考えてた。


なんという数だろうか。
そして、なんといい加減な扱いだろうか。
こんな状態で放置したまま、年に一度慰霊祭やって、
一体、何の供養だと言うのだろうか?
イナウ。神々や先祖に捧げる供物である。
これだけの数だから、収集された遺骨の中には、俺の縁者も混じっているかもしれない。もっとも「縁者」といっても、曾じいさんまで辿っただけでも、既に16人になるのだから、気にしたって始まらないし、そもそもそういう問題ではない。

俺の骨が、アイヌであるというだけで、こんな感じで穿り返されて箱に詰められたら、どう思うだろう?
考えるまでも無い、嫌に決まっている。

私達の子供らの世代にもその危険があるとしたら?
それは恐ろしい事だ。

河野裁判の原告、川村・シンリツ・エオリパック・アイヌの言葉を思い出す。
「旭川であるエカシが亡くなった時、札幌の病院がその遺体(遺骨ではない)を持ち
去り問題になった。その後も、このような事件は後を立たなかった。このような事件
を、私達の子孫の世代に起さないためにも、ここでしっかりと頑張っていかないとい
けない」
河野裁判

目前の無残な光景を、外にいる多くのアイヌは、子らに何と説明する気だろうか?
私だったら、何も言葉を思いつかないだろう。



いまを生きる私達は、次の世代の為に、戦わなければならない。ここらには書いていないが、カムイノミが午前中に行なわれた。
特に、まだ自分をアイヌであると思う事が出来ている「恵まれたアイヌ」は、なおのことだ。

次の世代が、何におびえる事も無く、また、ただの無神経でも無知でもなく、全て理解した上で、アイヌであると言える世の中にする為に。

そしてなにより、自分達が何者かの「記憶」を伝える為に。


忘れてはならない。

私達アイヌは、今現在でも、学者達にとっては収集対象だ。
血液や小便を集めに来る学者は跡を絶たないし、知識や血縁関係まで収集対象になっている。 こんな状態の遺骨を放置していては、誇りだ文化だと子供達に言っても、微塵も説得力がないではないか。

少なくとも私なら、そんなアイヌは信用できない。




そんなことを考えながら立ちあがり、
そっと、棚一面に並ぶ風呂敷きの包みに手を触れてみた、軽い眩暈を感じた。



一端外に出ようと思って出口に向かったが、思い返してひき返した。
そして、吸い寄せられるように、棚の隅にしゃがみこんだ。

包みを両手でかかえ、しずかに棚から出す。
白い風呂敷きに包まれた中にある、固い感触。
棚から出してみると、以外と大きい。

包みを床に置き、フラッシュの電源を確認し、シャッターを切った。

そのまま棚に戻そうと手を伸ばす。白い包み。







振える手が、風呂敷きを開こうとしたが、開かない。
結び目に、整理番号の札が針金で括りつけられていた。

それをもぎ取り、結び目を解く。



静かに、こちらを見ていた。

薄明かりに中に、二つの眼が浮かび上がる。
大きくあけられた口。


おもわず手を寄せた。
冷たいプラスチックのケースが指に触れる。


何を訴えようと言うのか、大きく空けられた口。
少し斜に構えて、こちらを向いている目。
暗くなった眼窟と、しばしみつめ目合った。
こちらを見ていた。

なんということだ。

なんということだ。


こうだということは判っていた。知っていた。
何度も書いてきた、写真も見た。
あの包みを解けば何に会うかも判っていた。

今までの、辛かった言葉、悔しかった経験、父の思い出、
いろいろなことが脳裏を駆け巡った。
思わず両手を添えていたケース向うで、それは答えるように震えいてた。
透明なケースが鈍く光っていた。

その向うから、たしかに、こちらを見ていた。
頬に、なにか生暖かいものが触れるのを感じた。


生前、ある人生を生きた、アイヌ。
それが目の前にいた。
本来ならば、静かに地の底に眠り、魂は先祖の元へ帰り、
いまはもう忘れ去られていただろう人の亡骸。

それが、頭だけになって、何故ここにいる?
何故ここにいる?
納骨堂裏手に作られた祭壇・イナウサン





外のアイヌ達は、何をしている?
そもそも、私は、何をしているのだ?

しばらくの間、目が離せなかった。
いまにも話しかけてきそうでならない。
何かが聞こえそうだ、でも、なにかがわからない。



そうやってケースを両手で抱えたまま屈みこみ、呆然としていた。
どれくらいの間だったろうか? 長かったような気がする。

暫くして、意を決して身を起こし、何度か立て続けにシャッターを切った。
ファインダーの向うのが霞み、よく見えない。



ケースを元に戻そうと手を添えた。
トノトをパスイで捧げる秋田理事長
出来れば、そのまま抱えて帰りたかった。
万が一にも、そうできない理由など無いような気がした。

包みを結び、棚に戻すとき、いたたまれない無力感に襲われた。
意思に反して手が動いていた。
何故。この人を戻さねばならないのか?

棚に背を向けるとき、いつか、いつか必ず、と自分に言い聞かせた。
そう言い聞かせないと、離れられなかった。



何故ここに置いたままなのか。



イチャルパ へ続く


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