腹が減っても戦は続く
「河野本道」差別図書裁判
(”あいぬ医事談”などのアイヌ民族カルテ出版問題)
2002 6/27
札幌地裁判決・原告団記者会見
原告団は高裁へ控訴の予定
最高裁まで、いゃ、死ぬまで闘うぞ、と原告団(とEsaman)はコメントす
2002.4/4原告側意見陳述
7/5関東・7/6関西において、裁判についての報告集会を開催
2002.12/24札幌高裁控訴審・第1回公判
6月 27日、13:15、札幌地裁で「河野本道」差別図書裁判の公判が行なわれ、棄却されました。
判決を言い渡した裁判官は、「棄却します」とだけ言い渡し、直ぐに消えました。
その様子はさながら「忍者のようだった」「ゴキブリのように素早やかった」といわれています。
その後、裁判所近くの高等学校教職員センターで記者会見が行なわれました。
以下に、その概要をお伝えします。
川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん
(旭川・川村カネトアイヌ記念館館長・アイヌ民族解放機構・エトピリカを守る会)
河野の事はみなさんよく知らないと思います。
常吉、広道、本道と親子三代アイヌ屋さん、アイヌでメシを食う学者、と呼ばれています。
あと、児玉親子(児玉作左衛門、児玉マリ)、更級源蔵など、みんなアイヌの家から持っていった資料を博物館に売って生活している人達です。
実は、河野は若い頃、一時は結城庄司やアイヌ解放同盟(ピリカ実の代表・山本一昭も一員)と一緒になって「アイヌ学者の姿勢はおかしい」などと抗議をしたり糾弾していたりした人なんですよ、アイヌの運動をやってた頃は、北大に先頭に立って殴りこんだりもしていた人です。
そんな人が、いざ自分が「アイヌ学者」としてアイヌに糾弾される側に回ると、ああいう逃げ方をする。
その後、北海道ウタリ協会で史資編纂とかやっていたんですが、予算の関係でリストラにあって。
そうすると今度はウタリ協会を訴えたりもしていました。
あの人は、あっちいったりこっちいったりして、一貫性の無い、ワケのわからない人なんですね。
その当時「北方ジャーナル」とかいう雑誌に「野村義一はファシストだ」とかワケのわからん事を書いたりしまして…アイヌに対して非常に攻撃的になったんですよね。
そういえば、アイヌの女性と分かれてから、さらに凶暴になりましたね。
河野の出版した問題の資料集ですが、私たちには全巻十何万円もするので、とてもじゃないけど買えなかったので、見てなかったんですよね。大学とか図書館にはありますけど。
実のところは、最初は私たちも内容を知る機会が無く、河野からも何も断りが無かったので、全く気がつかなかったんですよ。
それがある時、京都の大谷大学の泉恵機さんという人から手紙が来て、この資料集のことを教えてくれたんですね。
それで、あまりにも内容がひどいので、回収するように言ったほうがいいのではないか、という事で(一連の裁判に繋がる行動が)はじまったんですね。
あと、この資料集には、旭川のアイヌことも出ているんですね。
江戸時代に、松前藩が場所請負制というものを敷きました。今までアイヌが自由に暮していた土地で、大変大規模な乱獲と収奪を行ったんですね。その時に、干し鮭やコンブ、魚油などを生産する労働力として、本州から荒くれ者が連れて来られて、その後、人が足りない度にアイヌを強制労働に連行しました、その時に色々な病気が持ちこまれたんです。
しかも、商人や荒くれ者達は、アイヌの男はみんな遠い漁場に連行して、残った女をてごめにしてレイプしたんです。
そうやってアイヌの社会を破壊して、結核や梅毒をうつしたんですね、北海道だけじゃなく、アメリカも同じような歴史が残っています。
結核や梅毒などは、和人が持ち込んできた病気だったので、アイヌには治療の方法がなかったんです。しかも生活の場もどんどん破壊されていくので、どうする事も出来なかった。
そのような和人の暴虐のせいで、アイヌの人口が10分の1まで激減したんですね。
資料集にはアイヌの実名が載っていて、「アイヌ固有の病気である」と書いてある。冗談じゃない。
大体、梅毒だとか載せるなんてのは、本当にプライバシーの侵害ですよ。
関西でそんなこと起こったら、あっという間に解決するはずです。
(部落問題を始めとして、差別やプライバシーに関する裁判を進んで担当する弁護士も多く、裁判官の意識も高いので)
アイヌの場合は、いつまでたっても解決しない。
また河野は、アイヌに関するテキストは自分の書いた「アイヌ史・概説」などのものが唯一だ、と放送大学で自分でPRしていたんですね。そのテキストはといえば「アイヌという民族は存在しない」という、大変ひどい内容のものでした。
この裁判が週間金曜日に題材的に取り上げられた事や、私が出向いて抗議したり、ピリカ実さんの抗議運動などの影響もあって、河野の放送大学での講義は「世界の民族」から外されました。
さすがに「アイヌは民族として存在しない」というのは、放送大学の人もマズイと思ったのでしょう。
でも、取りやめになったとのはいいとしても、一時は河野の「アイヌは民族ではない」という授業を放映していた訳ですから、責任は重いですよね。
最後に、マスコミの皆さん、最初と最後だけ来て「判決で敗れました」とか放送されても困るんですよね。
途中の経過もちゃんと報告してもらわないと、何が起こっているのかわからないですよ。
共有財産の時もそうですよね。最初と最後だけマスコミいっぱい来てました。
もっと内容の方もしっかりと追ってもらわないといけませんよ。
北川しま子さん
(ピリカ全国実行委員会副代表・アイヌ民族の自治区を取り戻す会)
私は今、心臓が悪くて入院中なんですが、裁判のために病院を抜けて来ました。
こんな不当な判決、心臓が爆発するんじゃないだろうか。
私の先祖は代々アイヌモシリにいて、アイヌ民族として生きてきたのです。
先住民族を無視した日本の植民地政策によって全てを奪われ、日本人の法律によってこんな裁きを受けるなんて。
世界から、日本という国は人権後進国ではないか、と言われるような今日の裁判ではないか。
こういう事になるとは夢にも思いませんでした。
鈴木宗男等、政治家が「アイヌは同化されてもういない」と言った
こういった議員の言動に表れてくる国の考えが、今日の裁判の判決につながるのか。
アイヌ民族はそういう立場に置かれ、廃民としてドブに捨てられるような判決であったと思います。
それでも、みなさんと共に、アイヌ民族の人権を守るよう、死ぬまで頑張りたいと思います。
ともえさん(この写真は山本一昭さんなので、誤解無く)
(原告の一人・山本一昭さんが入院中のため、かわりに発言)
今日は、判決ということで写真を(当日に撮影した入院中の山本一昭さんのポラロイド写真を見せながら)、衣装を着て、持ってきました。
一昭さんに、最後までがんばるか、と聞いたら、最後までやる、と目を見開いて、がんばってこいと何度も何度も見送ってくれました。
私も判決を聞いた時、心臓が止まる思いでした。非常にくやしいです。
裁判官の方々は立派な方々なんだとは思いますが、まともな判断ができないのか、と残念でなりません。
小川隆吉さん
(アイヌ民族共有財産裁判原告)
実は、アイヌ文化法が成立した後に起きているアイヌ問題は、全て今日の中西裁判長に裁判所が集約しています。これは合理化の一環としてやっているんでしょうけど・・・
ここでは触れられていませんが、アイヌ工芸品展で、自分で作っていない物を出品し、賞を受けた人が訴えられた裁判があったのですが、それは和解勧告ということで、つい一ヶ月前に終わっています。
アイヌ文化振興財団の訴えによって起きた裁判です。
同じ中西裁判長が来ているにも関わらず、今回の裁判は、和解は成功しませんでした。
また、現在も北海道大学医学部に保管されているアイヌの人骨についての調査の過程の中で、網走監獄で死亡した受刑者の実名、住所、犯罪名、病名の資料が見つかりました。
実名は半分出して半分消していますが、犯罪名と病名は明らかに消していません。
こういった植民地支配の最も残酷な部分がの色々な資料が、河野さんのやった事と同じような形で、研究者達によって流布されてしまっています。
このような事は、放置できない問題だと思います。
秀嶋ゆかりさん(弁護士)
全く不当判決と言わざるを得ないと思います。
まず、裁判所の判断の中で、どうとればわからない表現があります。
「原告らが主張する民族的少数者としての人格権の侵害は、アイヌ民族全体またはアイヌ民族に属する特定の個人が権利侵害を受け、このことによって原告らの人格権が侵害され精神的苦痛を受けたというものであるから、原告らにとっては間接的な被害にすぎないというべきである」
まずここがよくわからない、とりようによっては、アイヌ民族全体、または民族に属する特定の個人が権利侵害を受けた、ととれなくもありませんが…この「アイヌ民族全体」という言葉が2箇所ほど出てきます。
「本件各図書の編集、出版、発行によって、作成当時のみならず現在に至るまでのアイヌ民族全体に対する差別表現がされたと見る余地があるとしても、その対象は、原告ら個人ではなく、アイヌ民族全体である」
多分、一度読んだだけではわからないと感じられると思うのですけれども・・・。
いずれにしても、人格権侵害は、このふたつの資料集に実名が書かれた人達、ないしは、差別表現をされたという点で、「アイヌ民族全体」であって、原告らではない、という判断です。非常にわかりづらい判断だと思います。
北川さんに関しては、北川さんは祖父母と生活を共にしていないのだから密接な精神的つながりは無い、と人権侵害を否定しています。
北川さんは、祖父母の実名がそのまま載っている、病名の中に、遺伝梅毒と密接に関わる病名がはっきり書かれていることから、少なくとも、原告北川さんについては人権侵害が認定されるだろうと考えていました。
実は、それを前提としたコメントしか用意していませんでした。
確かに、死者のプライバシー侵害や名誉毀損というのは簡単に認められていないですが、生活を共にしていないといけないという事を判断したのは、おそらくこの判決が初めてではないかと思っています。
生活を共にしなくとも、自分の祖先がどう扱われるかという事は、自分の人格に密接に関わる事であって、生活を共にする、しないが、ただちに人格権侵害の有無を判断する基準にはなり得ない、と思います。
当初、原告の人達は、話し合いで解決すると考え、1990年に質問書を出して話し合いを求めましたが、被告は「今後一切話し合う機会はない」と、けんもほろろの返事でした。
その後の様々な過程の中で、政府見解の中でも「アイヌ史資料集の復刻出版のありかたは人権侵害ではないか」と指摘を受けていながらも、河野さん達は全く人権侵害状況を改善されない。
最後の手段として裁判を選んだわけです。
「人権の砦」としての裁判所の機能を、という事を最後の弁論で私達は本当に声を大にして言いました。裁判所が判断しなければ、どこが判断をするのか。
ですが、極めて残念な事に、その訴えに全く耳を傾けなかった。
もうひとつ、納得できない判決の内容として、明治・大正期に元資料が作られているわけですが、その事自体もさることながら、河野さん達が、1980年という時期になって、日本の中でもかなり個人のプライバシーや名誉の問題が認識されるようになった時代環境の中で、あえて固有名詞と病名をそのまま500名以上載せたかたちで復刻、出版した、この行為の違法性を問うているわけです。
ところが、判決理由を見ると'80年になって河野さん達が復刻、出版した行為の意義についてが全く書かれていません。だから、訴えた事に答えていないという意味でも全く不当だと思います。
本件に関する新聞報道
上記のような記者会見の話しを取材して報道すると、こうなります
文中の「アイヌ民族に関する資料を復刻、出版した札幌の文化人類学者」=河野本道
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北海道新聞 2002/06/28 01:30
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アイヌ民族提訴 「資料集は差別的」 原告の賠償請求棄却 札幌地裁判決
道内在住のアイヌ民族五人が、アイヌ民族に関する資料を復刻、出版した札幌の文化人類学者と出版社を相手取り、「資料集にはアイヌ民族に対する差別表現があるほか、アイヌ民族個人の病歴などの医療情報が実名とともに掲載されており、人格権を侵害している」などとして、総額三百万円の慰謝料支払いや謝罪広告の掲載、資料集の回収などを求めた訴訟で、札幌地裁は二十七日、原告側の請求を棄却する判決を言い渡した。原告側は控訴する方針。
「直接の被害者ではない」
判決理由で中西茂裁判長は「資料集の記述は明治・大正期のアイヌ民族についてのもの。資料集出版が権利の侵害に当たるとしても、直接の被害者は実名を掲載された個人とアイヌ民族全体。
原告個人に対する人格権侵害は間接的に過ぎない」と指摘。そのうえで「現行法の枠組みでは、直接の被害者以外が精神的苦痛を受けたとしても、原則として損害賠償請求などの対象とはならない」とした。
さらに、名誉棄損についても「現在のアイヌ民族についての差別表現はなく、原告個人の社会的評価を低下させるとは考えられない」と述べた。
原告は、山本一昭さん(札幌)、北川しま子さん(同)、チカップ美恵子さん(同)、川村兼一さん(旭川)、山道康子さん(日高管内平取町)。
判決によると、文化人類学者は一九八○年、明治・大正期のアイヌ民族に関する資料を復刻、出版社は「アイヌ史資料集」(全七巻)として出版した。
資料集のうち「第三巻 医療・衛生編」には、当時のアイヌ民族の氏名や出身地、病歴などが具体的に記されているほか、「独立の精神がない」「(固有の)文化がない種族で滅亡する」など差別的な記述がある。
原告らは、資料集の差別的表現や個人の医療情報の記載を問題視し、文化人類学者に出版意図などをただす公開質問書を送付したが、「刊行趣旨に従って利用すれば人権上の問題が生じるとは考えられない」などと回答されたため、九八年九月に提訴した。
被告の文化人類学者の話し
こちらの主張が全面的に認められ、満足している。
なぜ痛みわからぬ 原告、支援者怒りの声
「日本は人権後進国ですか」−。
原告側の全面敗訴となったアイヌ民族「差別図書」訴訟の判決を聞いたアイヌ民族の原告は、怒りをあらわにした。実名をあげて病名を記述した「アイヌ史資料集」に対し、「名前を記された本人のみならず、アイヌ民族という集団に対して行なわれた差別」として、民族の権利回復をかけて闘ってきた原告や支援者からは、怒りの声が噴出した。
原告と支援者が閉廷後に札幌市中央区内で開いた判決報告集会には約20人が出席した。原告代理人の秀嶋ゆかり弁護士は「不当な判決だ。原告らは、(実名での病名記述は)支配、差別されてきた歴史の延長線上にあると受け止めている。その痛みを分かってほしかった」と判決を批判した。
旭川の「川村カ子トアイヌ記念館」館長を務める川村兼一(51)も「アイヌ民族だからいつまでたっても解決しないのか。とことん闘う」と控訴審への決意を話した。
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アイヌ民族「差別図書」問題
「アイヌ史資料集 第3巻 医療・衛生編」は1980年に約600部を発行。6部冊で、戦前の道警察部が作成した「余市郡余市町旧土人衛生状態調査複命書」(1916年)、アイヌ民族の言語、風俗、習慣を調査・記録した「あいぬ医事談」(1896)などが収められている。「複命書」には、余市在住のアイヌ民族153人について氏名や健康状態、病歴などが記載されている。「医事談」にも361人の医療情報が氏名、出身地とともに記されている。札幌弁護士界は92年、原告らの申し立てを受け「亡くなった尊属に対する敬愛追慕の感情を侵害している」として、人権侵害行為を行わないよう勧告している。
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