腹が減っても戦は続く
「河野本道」差別図書裁判
(”あいぬ医事談”などのアイヌ民族カルテ出版問題)
2002 12/24
札幌高裁控訴審・第1回公判
2002.4/4原告側意見陳述
2002.6/27札幌地裁判決・原告団記者会見
控訴審 第一回公判 12月24日午前11時開廷
今日は、北川しま子さんによる意見陳述と、弁護団からの弁論がありました。
北川さんからは、アイヌ民族の歴史的経緯や、現在においても根強く残っている差別問題、資料集に自分の祖父母の実名、病名が載っていることによりどれだけ傷ついたか、ということ、弁護団からは、国連の「人種差別撤廃条約」を日本が批准しており、日本国内の裁判で「人種差別撤廃条約」が適用された事例を挙げ、今回の問題も人種差別撤廃条約に違反すること、「アイヌ史資料集」が発刊されたのは1980年代に入ってからであり、日本国内での法律にも触れること、等を訴えました。
被告の河野本道は、「人種差別撤廃条約」の話が始まってから、何度も溜め息とも苛立ちともつかない鼻息を法廷中に聞こえるくらいにあげていました。
原告の一人、北川しま子さん提出の意見書
●私たちアイヌ民族は、私たちが住む大地を「アイヌモシリ」と呼び、その意味は人間の住む静かな大地です。しかし、日本の国家は、「蝦夷」(えぞ)と呼び、「夷」は野蛮人という意味ですから、野蛮人が住むところと名づけているのです。
この大地に私たち先祖代々は、コタンと呼ぶ共同体をもって、平和に暮らし、仲良く生活していたのです。また、ウィルタ民族、ニブヒ民族など北方の諸民族とも交流し、交易などによって豊かな文化も育んできたのです。
●そこへ人種差別意識を持った日本人が勝手にどかどかやってきました。文字をもたず、国家をつくらない民族は劣っているとして、先住民族であるアイヌ民族の大地を「無主の地」と決めつけ、コタンを破壊し、追い出したのです。銃や刀をもった屯田兵は、明治政府から土地をもらい樹を切り倒し、畑などをつくっていきます。大量の開拓民もやってきて破格の安さで政府から土地をもらいました。また政府は、三菱、住友、三井などの財閥に石炭がでそうな山々をただ同然に払いさげました。さらに、300万町歩もの山々や大地を天皇の領地としました。まさに日本の植民地として、アイヌモシリは北海道と名づけられたのです。
●アイヌ民族はどうなったのでしょうか。母なる山も、川も、大地も奪われ、共同体(コタン)は破壊されたのです。
それだけではありません。日本人がもちこんできたコレラ、疱瘡などの伝染病にかかり、つぎつぎと死んでいきました。さらに、日本人男どもは、アイヌ民族の女性を騙したり、暴力をもって犯し、梅毒を蔓延させました。死にいたる病気の蔓延は、民族絶滅の危機にたたきこんだのです。
さらに、差別と同化政策は、アイヌ民族として生きること、精神を破壊しました。鹿や鳥を狩猟すること、主食であったサケをとること、アイヌ民族がアイヌの言葉を使うこと、アイヌの儀式も、文かも法律をもって禁止しました。「土人学校」、その後の学校では徹底的に「日本人になるための教育」が共生されました。名前まで日本式に変えられ、日本国家の戸籍に入れられました。これき民族絶滅、抹殺政策ではないのですか。
●かかる日本政府の差別、同化政策と軌を一にして、本件『アイヌ史資料集』があります。「旧土人衛生状態調査復命書」、「あいぬ医事談」がそうです。当時の北海道庁警察医による差別的な調査報告とアイヌを研究対象にした人類学者でもある医者(関場不二彦)によるものです。そこには、500名をこえるアイヌ民族の実名、病名、出身地、家族関係、労働内容が一覧表として掲載されているだけでなく、「梅毒はアイヌ固有の病気」などと書かれています。これらの病気は日本人がアイヌモシリを侵略して、持ち込んできたものではないのですか。実名を書かれた日本人のみならず、その遺族、関係者の人権はないのですか。私自身の祖父母の名前、病名などが「あいぬ医事談」に書かれています。祖父の名誉と人権、そして私自身の人権はどうなるのでしょうか。
●河野本道さんは、この問題ある『資料集』の発行にあたって、アイヌ民族の名誉、人権について何ら考慮をしていません。原資料にたいする批判の解説、実名部分の削除なども行っていません。現在、さらに未来に生きるアイヌ民族のことを考えていません。この事実こそ重大です。河野さんにおいては、現在まで必死に生きてきたアイヌ民族の存在を否定しているから、そのことができるのだと思います。
●札幌地方裁判書の判決もおかしいと思います。本件「資料集」は、アイヌ民族の名誉と人権を侵害している『資料集』としてまず認定すべきです。それを回避しています。札幌弁護士会人権擁護委員会、国の機関である法務局人権擁護部、国会(衆議院)においても、そのことが明確に批判されても、あえて避けているのはなぜですか。北海道図書館、札幌市中央図書館など公立図書館でも本件『資料集』は一般に閲覧させず、実名部分は絶対にコピーさせない、としているのです。
また本件『資料集』の発行によって差別を受け、名誉と人権が今なお侵害されている者は、実名を生きた標本のように掲載されたウタリ(仲間)だけでなく、今に生きるアイヌ民族であることがどうして分からないのですか。アイヌ民族全体が侮辱され続けているのですよ。裁判官は、直接の被害者は「実名を記載された者」だけで、遺族や関係者、アイヌ民族全体ではない、などとどおして言えるのですか。
●さらに、私自身の名誉と人権はどうなるのですか。実名、病名を書かれた祖父母と私自身は、不可分一体です。アイヌ民族にとって個々の先祖を大事にしてきました。また個々の先祖と民族全体も一体のものとしてとらえています。それは共同体を大事にしてきた民族の生き方から、そうなるのです。個人主義が発達した日本のように、自己中心ではありません。また家制度によってつくられた「家の先祖」(それも家長)だけを敬うという排他的な家族主義でもありません。アイヌ民族にとっては個々人もアイヌ民族全体、先祖たちと一緒に生きているのです。この感情は、札幌地方裁判所の判決がいうように単なる「宗教的感情」ではありません。先祖たちと一緒に泣き笑い、苦楽をともにして私も生きているのです。
●地方裁判所では、『資料集』について論及する証人を採用せずに、意図的に評価を回避してしまいました。また、私の証言をまったく理解していません。まったくなっとくできません。したがって、この裁判においては、一から審理をつくしていただきたいと思います。
河野さん。アイヌ語でチャランケとは、「ケンカ」ではなく、お互い納得するまで話合いをすることです。実名を出され、名誉と人権を侵害されたアイヌ民族の痛みを分かっていただきたいのです。
全国の仲間のみなさん。私もがんばりますから、応援してください。
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先日行われた共有財産裁判の時と違い、原告側の意見書などの資料の配布が不充分な為、こちらのアップできず、申し訳ありません。
もっと広く、多くの人に知ってもらうためには、資料の配布は当然の事と思いますが、極めて残念な事だと思います。