「アイヌ民族は同化していなくなった」という発言に対して思うこと。


焦点のムネヲ発言の全容
この発言に関する新聞記事(同時多発テロ関連記事)
この発言に対するアイヌ・ウィルタからの抗議文
発言に関する和人の立場からの抗議文・要望書
国連の会議で発表された声明文西日本タケヲとムネヲをケトばす会
ダーバン2001(国連主催の人種差別に反対する世界会議)
武者小路さんの抗議文(ダーバンに政府代表の一人として参加する人)



去る7月2日、現職の国会議員によって、「日本は単一民族国家」という趣旨の発言がなされました。
私は、たとえ先祖の土地を離れたとしても、自身がアイヌの子であることを忘れない巷の1アイヌとして、
今回の鈴木宗男・平沼赳夫両氏の発言に対し、また、それを容認し助長ている和人社会に対し、
いいしれぬ怒りと共に、抗議の必要性を訴えます。

思えば随分前、わたしがまだ子供で、アイヌという言葉の本来の意味を十分知らなかった頃にあった、
当時の首相の中曽根氏が、「日本は単一民族国家」という発言をしてが騒がれた事件から、
もう10年以上の月日が流れました。
「単一民族国家」などという、よく考えたら何処にも存在しないものに毒されている人々は、
いまだに多いようですね。これは、なにも政治家に限ったことではないでしょう。
アイヌの存在をしらない人だって、しているかもしれない。

ですが今回の発言は、前回の中曽根発言のそれよりも、アイヌのことも知らずに漠然とそう思っている人よりも、随分と悪質であると考えねばなりません。

なぜかといえば、第一に、
15年前に比べれば、最近のあらゆる分野でのアイヌの民族活動の活発化などは言うに及ばず、
文化振興法の制定、アイヌ民族出身の国会議員の輩出、二風谷ダムを巡る判決の過程、
国連の作業部会でのアイヌの代表団との交渉などを通じて、
日本政府は、過去にどう思っていたにも関わらず、アイヌの存在をいちおうは認めざるをえない状況
であるはずなので、そのような現実を無視した、この両議員の発言は、アイヌの存在を意図的に無視、
あるいは抹殺しようとしているものと映ります。
確か、国連の会議の場では、日本政府はアイヌのことを「少数民族」として認めていたはずですから、
それを考えますと、日本政府の意向にも反している、ということになりますね。

また、特にこの鈴木宗男氏は、北海道・沖縄開発長官を務めたこともあり、しかも、地元がアイヌが
多く日常を暮らす帯広で、後援者や後援会の役員の中にもアイヌが少なからずいるはずですし、
なによりも、アイヌを取り巻く微妙な現実、例えば、日本政府の同化政策を経て、
アイヌ語が離せなくなったとしても、なお自らがアイヌであることを忘れず活動している多くのアイヌ
がいること、そして、いまだにある厳しい差別から、その数十倍の数の「名乗れないアイヌ」がいる
ことなどを知らないはずがなく、これは、「失言」というよりは、随分と「アイヌをナメた」確信犯なの
ではないかとも思えます。


私たち若い世代のアイヌは、さまざまな先達の、それこそ血のにじむような努力の軌跡や、
その結果、いまに受け継がれている文化や誇り、信仰や言葉を見ることによって、
自分たちの今が、たとえ直接の親や祖父でなくとも、多くの名も無いアイヌウタリの思いによって
支えられていることを改めて自覚し、自身がアイヌの一員であるということを噛み締めることができます。
たとえ、アイヌ語はわからなくとも、それを伝えようとしたウタリの思いは痛いほど知ることができるし、
色々と資材や環境が整わず、本来ならば自然と身につけていたであろう文化を学ぶ機会が、
今手元に無いとしても、なぜそうなったのかを知り、「アイヌであること」を忘れずにいる事ができます。
そしてその意識を、文化のエキスパート(いわゆるベタな意味での「アイヌらしさ」)であるか否かに関わらず、
場合によっては、たとえ個人的には見ず知らずの相手とでも、その思いを共有し、次の世代に伝えることができます。
それが、民族意識というものです。

今回の「アイヌは同化していなくなった、過去の出来事である」というような発想や発言は、
そのようなアイヌの民族意識の芽を摘み、アイヌがアイヌとして生きるという、本来ならば、
言葉にすることすらバカバカしいほど自然であったことに、アイヌが帰ろうとする事への、
随分と無邪気を装った妨害であると考えます。

このような差別的で無神経な発言にめげず、アイヌの存在を確認し、主張しつづけていくことが、
私たちアイヌの課題であると共に、
和人の方々には、なにかしらの義務のようなものではなく、自らの抱える問題として、
アイヌを取り巻く諸問題と、今回の議員の発言の問題点を積極的に理解をしていただき、
「和人である自分達の問題として」突き上げをしていただくことが、かような無神経と差別を払拭し、
異なる存在が、共に隠れることなく生きれる社会の実現へと向かう方法であると考えます。


差別と戦い解消すべきなのは、差別をされる側ではなく、差別をする側の人間です。
今回のような発言を、なにとぞ、「アイヌだけの問題」とはせずに、あらゆる立場の人に、
積極的な参加と理解ををお願いします。

2001.7.21 oripakEsaman



追記、(2001.7.30)
たしか前回の中曽根発言は、アメリカを馬鹿にして、その釈明として
「日本は単一民族国家だから・・・」などと言って、より問題を広げていましたが、
今回の鈴木氏の対応はもっと最悪ですね。

どのメディアもはっきりと言明してないので、いっちゃいますけど、北海道最大の・・というか
事実上世界最大のアイヌの民族団体、ウタリ協会の理事長、笹村二郎さんは、帯広の人で、
なんと、鈴木氏の後援会長です。
新聞報道などでご存知の方も多いでしょうが、本来ならば、アイヌウタリの怒りを代表して戦わな
ければならないウタリ協会は、今回、鈴木議員にたいしては「差別する意図はない」というカスカス
の「釈明」を受け入れて、いまり所、矛をおさめた形になってしまっています。

当然、葛藤はあったんだと思いますが、後援会長という立場では、色々な人間関係がある以上、
本心がどうあれ、追求の手が鈍るのは、きっと、致し方ないのでしょう。
笹村理事長は、親族経営で大きくなった建設会社(か土建会社)の社長で、アイヌの中でも
「(いわゆる立身出世物語において)成功者」と呼ばれる人の一人ですが、どれだけの「成功」を納め
たとしても、「和人の土俵」にたって戦ってしまった以上、こうして絡め獲られて封殺されるしかな
いのか、という顕著な事件ですね。

私は、彼(笹村理事長)こそが、和人の同化政策の最大の被害者であると考えます。
確かにあの弱腰は批判されるべきですが、それは和人がすべきことではありません。

いまの立場に至るまでに、色々とご苦労もあったんでしょうに・・・
いざという時に「アイヌ根性」を見せられないとは、情けが無い。
あれでは自分の子供に、胸を張ってアイヌはこうだって言えないですよね。
あんな事をしていて、あの世で他の強面アイヌの面々に会ったとき、どう釈明する気なんでしょうかね?
たとえ言葉に出せないとしても、アイヌだという自覚がある人だとすれば、
今回の事件が悔しくないわけがないと思いますが・・・

この一連の動きをみるにつけ、やはり、アイヌ差別と戦うべき主力は、
差別され抑圧される側のアイヌではなく、差別し抑圧する側の和人であると考えます。

みなさんも、わざわざ事務所に電話やfaxで抗議したりとかでなくても、ちいさなことでも
いいですから、単一民族国家という幻想と、アイヌは同化していなくなったという暴言に対抗
するような話を・・・そうですね、茶のみ仲間に話をしてみると言う程度の話でもいいですから、
やってみてほしいです。


再追記、(2001.8.8)
8月の6日にあったウタリ協会の緊急理事会で、笹村二郎氏が解任されました。
まぁ、当然の結果といえます。
ウタリ協会にも、あの手ひどい暴言を容認する奴は追放する自浄機能は残っているということですね。
一安心・・・でも、よく考えると、あの発言に対して文句を言っていた副理事の方々も、
一緒に解任されちゃっているので、「んんぅ?」と思わざる終えません。

まぁ、「北海道のアイヌ(限定)の福祉団体」とのことのウタリ協会も、
いろんな人の思惑が絡んで動く巨大な組織、どんな理屈で動いているのか、
アイヌといっても所詮は萱の外の私には、さっぱり分かりませんが、いまの理事長が、
まえの副理事(秋田春蔵氏)ということは、単純に、
「(理事長の弱腰は、おまえらの)連帯責任やんけ」ということでもないと思うのですが・・・
そこんとこ、どうなんでしょうね。あまり詮索すると、また色々と言われそうですが(笑)。

前回、笹村二郎氏が同化政策の最大の被害者、といいましたが、いまの状況ですと、
本当の最大の被害者は、笹村二郎氏と一緒に解任されてしまった、同化発言に対して戦おうと
思っていた副理事の方々じゃないかと思いますね。新聞にいいコメントしてた人も多いのになぁ。

新聞報道にもありましたが、八月末から南アフリカのダーバンで開かれる
「反人種主義・差別撤廃世界会議」に、ウタリ協会からの枠として、前副理事長の一人が派遣される
ことになっていたようですが、人事刷新で派遣する人が変わった事で、
それが白紙になったようですね。
一見、「政府の妨害政策ぢゃあ」と捕らえがちな話ですが、落ち着いてよく考えると、
人となりを見て人事を決めていた(とすれば、ですが)ほうからすれば、
いきなり人事差し替えする側も問題な訳で、本当はどうなんかなぁ、と思いますね。


ウタリ協会と鈴木&平沼が和解!(2001.10.28 追記)
途中ハデな事件があったってのもありますが、随分長い沈黙の後に、
いきなり「和解」ですか。
「謝罪した」なら、別にいいんですけども、
なにか、ぱっとしない「結末」のような気もしますね。

最初は、ウタリ協会の方々も、首都圏の方々も、
意気が上がっていたように思うのですが…
でも、色々と想像するとコワイので(決して鈴木や平沼ではなく…)、
もう何も申しますまい。


尾身北方担当相が単一民族発言!(2001.12.5 追記)
また単一民族発言がありましたね。
でも、別に驚くには値しないと思います。
主な理由は、二つ。

○それが政治家だけでなく「日本国家ヒエラルキー」において上層に位置する人間の本音
 だという事は「失言」が起きなくても、判りきった事であるという事。

 ありゃ「日本国民はこうである(と俺が安泰)」という幻想の投影でしかないですからね。
 ま、この点は「アイヌ精神」を巡るパラドックスにも色濃く投影されていたりするのですが。

○先回の「単一民族発言」を巡るウタリ協会と、鈴木&平沼ホモ(ジニアス)コンビ
 によって繰り広げられた「手打ち」の展開から考えるに、再発は必須。

 …というか、あの対応は結局のところ「悪意は無かった」とだけ聞いて
 「矛を収めている」状態でしかないので、舐ナメられるのは当然ですよね。

わたしゃ、単一民族発言そのものでも、前理事長の笹村二郎氏の弱腰対応でもなく、
先回の一連の発言を巡るドラマの結末に「度肝を抜かれて」いるので、
もう何が起こっても驚きません。

…誰かはやるって言ってたのに、結局、新法の時みたいなデモ行進もねぇし、
道外のアイヌとは別口で話しは進みよるしなぁ。
(俺は、デモ自体に意義があるとは全く思ってないので、誤解無く)

あれは「不適切な言葉」ではなく、
「不適切な考え」だと思うんですが? ううむ。


もうガマンできない!(2001.12.7 追記)
「実は二郎ちゃんはムネヲの後援会長(泣けるぅ)」の話しと同じく、
ヤッパリ誰も書かないので、書いちゃいます。
活動やっててアンテナ立てているアイヌだったら、みんな知っている事なので、いいしょ。

発言に抗議して上京した「ウタリ協会の」抗議団とムネヲが、
握手して和解した映像を新聞とかTVでご覧になった人もいると思います。
あの映像を見て、失望したアイヌや、やっぱりなと思ったアイヌ、
どう反応したいいのか判らなくなった和人の人は少なくないと思います。
私も、想像もしなかった最悪の結果で驚きましたが、
ウタリ協に詳しい知人のアイヌは「予想していた通りの結果だ」と言っていました。
ウタリ協会内部にも、色々と利権が絡んでいるので、利権大魔人相手に闘えるわけがないそうです。

確かに、ウタリ対策基金のお金が道路(ムネヲの得意分野では?)に使われているだとか、
イウォロ構想やら何やら、お金にまつわる話も少なくないので、
背後になんらかの裏取引でもあったんか? と想像してしまいがちですね。

実際に現場では、何があったのでしょうか?

私もその場にいたわけではないのですが(あたり前)、漏れ伝わってくる話しによれば、
抗議団の全員がムネヲと会談のしたのではなくて、会談の場には3人までしか入れなかったし、
それも相手から誰なら入ってもいいと指定された(らしい?)んですね。
同行した新聞記者も追い出されたようです。

しかもその中では、アホのムネヲが一方的に大声でまくし立てて、
アイヌ側は、なーんも言えなかったらしいんですね。

情けが無い話しといえばそうかもしれません。
しかし、相手は「有数の腕力(つまりゼニ)」を持つ鉄腕ムネヲですから、
子供同士の喧嘩のように「おまえが貧弱なのがいかん」なんて安易に判断をするわけにもいきませんね


…なんだかこの話し「アイヌ勘定」の話しを思い出しますね。


掲示板でも昔話題にしたんですけど、ご存知無い方の為に解説しますが、
「アイヌ勘定」和人がアイヌと取引するとき「はじめ、1、2、3…9、10、おわり」
と数えて、正規の交換レート(それだって「フェアトレード」な価格かどうかあやしいんですが)
よりも二割余分に取ったという話しですね。

この話しを引き合いにだして、アイヌっての数もわからんバカだという結果に結びつける人が、
年配の方や差別主義な方には多いんですが、実際はそんなわけはないと思うんですよね。

アイヌにだって合理的な数の数え方ありますし、
数の数え方って他の言葉を覚える場合の基本ですから、商売やる大抵のアイヌは、
日本語での数のかぞえかたや基本的な日本語くらい知っていたと思うんですよね。
文字を使わない(いまのアイヌは文字使いますよ)人達ってのは、記憶力がいいと思いますし。

それに人間、大抵の人に指は10本ありますからねぇ。
指折り数えリャ、3歳児だって数くらいかぞえられますよね、
このまえ試しに3歳児にやってみましたが、見事に見ぬかれましたし。

もう一つの理由として、
「シャモはそうやってセコセコと余分に取っていくが、シャケなりコンブなり、
 いくらでもあるので、アイヌは目くじら立てなかった」
なんて解釈もありますが、これもまた違うような気がするんですよね。

そんな暢気な訳ないじゃんよ、アイヌを一体なんだと思っているのか?

アイヌの交易って、必要があってやっている事でしょうに、
昔のアイヌの着物とか、使っている道具を見れば分かる事ですが、
交易で手に入れたものがとても多いんですよね。
必要があってやっている事に「まぁ多少余分にとられてもいいか」
なんて話しが通用するとは、ちょっと思えませんね。

それに「いくらでもある」という発想で、取り尽くして破壊していくのが和人
(つうか近代文明)の発想だと思いますので、よくないですね。

……

本当の理由は、不正が分かっていても、口を出せなかったんじゃないかと思うんですよ。
文句をいうと、色々とヒドイ目に会う。
だから黙っていると。
で、アイヌはやっぱり根性なしだ、なんもできないバカだと和人(セコイ商人)
に笑われる、でもやっぱり黙っていると。

今回のムネヲの問題のように。

少なくとも俺は、そんな奴隷根性はイヤなので、文句言います。
(私ゃムネヲから貰えるものも、ウタリ協から貰えるものも何も無い上に、
 あわよくば何か貰おうとも思っていないので迷いはありません)
そうすると、
「おまえよりマシなアイヌを沢山知っているぞ(ネムヲ談、俺にいった言葉じゃないけど)」
といわれたりするんですが。


実際、鈴木ムネヲってのは、地元ではとてつもない権力もっているんですよね。
地元に落としているカネも相当なもんですよね(だからエライと言っている訳ではありません)。
土木とか漁業関係者は、ムネヲに仕事貰わないとやっていけない部分もあるんですね〜
そして、アイヌにゃ1・2次産業従事者は少なくないと。
民族活動以前に、みんな生活が大変ですから、アイヌも票入れるわけですよ。
第一、情けの無い尻すごみに状態なっていた二郎ちゃんも、土木関係のエライ人ですわね。

…どうすりゃいいんかねぇ。

ま、とはっても、
どなたか知りませんが、ムネヲとの会談にいった方が、色々とスキ放題言われて、
言い返せなくても内心「このクソったれ利権議員が、いつかいてまうど」
と思って耐えいてるのなら、まだ望みはあるのでいいんですが、
「いまの所はムネちゃんについとこうか、優遇されるし」なんて発想だったら、浮かばれませんね。

今回の一連の出来事の歯切れの悪さの裏にあるのが「圧力」なのか「癒着」なのかが問題ですね。
最も、圧力下でも戦う人間は闘うものですが。


思い違い?(2001.12.14 追記)
そういえば、先月、富良野で行われたアイヌ語弁論大会で、
参加者の一人が、鈴木ムネヲの単一民族発言を批判をする
内容の弁論をしたらしいじゃないですか。

で、その発言に対して、
「思い違いをしている、同化というのは…」という感じのことを、
何処かの議員の後援会長(元・某協会理事長理事長)が、言ったらしいですね。
…なんともはや。

本当に「夷を持って夷を征す」ですなぁ。
アイヌがアイヌである事を主張しようとすると、アイヌと戦うハメになる。
困ったもんですね。


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