考える会を終えて、ご参加いただいた皆様からのメッセージ

new.gif(行方不明の盗掘品・北大にて発見さる!!)児玉教授の『業績』に関する新聞記事・雑誌記事


この報告集は、「アイヌ特別展について考える集い」に参加した方々の感想をまとめたものです。
当日、札幌より自費で来られ、1参加者として同じ視点でご参加いただいた、かねてより児玉コレクションに関わる活動を展開されていた、山本一昭さんの率いる、
全国ピリカ実行委員会さんが2000年の2月に行った集会に参加するに際して、「名古屋での児玉コレクションに対する取り組みの報告」として、当日集会にこられた方々に紹介したものです。

山本一昭さんは、アイヌの活動家の中でも、もっとも尊敬できる人物の一人だと思いますし、氏が代表をされているピリカ実の取り組みも、文化一辺倒の活動が多くなってきている昨今、評価に値する価値あるものですが、
「考える集い」は、ピリカ全国実行委員会の活動の一環ではなく、あくまでoripakEsaman個人が呼びかけたものですので、両者の混同や誤解はないようにお願いします。

活動家のアイヌについて語る時、支援している勢力がセクトがどうの、○○党がどうのと、訳知り顔で語る人がいますが、どのようなものを「支持基盤」にしていたとしても、それによって色眼鏡で見るのではなく、その人の発言と行動を見て判断すべきであり、アイヌのためになるものであれば、ウヨ狗だろうがサヨ苦だろうが、そんなものは無視して協調すべきと、一人のアイヌとしての私は、考えています。

「アイヌ特別展を考える集い」を終えて(oripakEsaman、同会の呼びかけ人)

ご参集の皆様、始めまして。
アイヌが発信するアイヌの現在と生活を考えるホームページ、
Ainu puyarA の管理人をしている oripakEsaman(オリパック・エサマン)です。
昨年、私の住む名古屋にて馬場・児玉コレクションにみる、北の民アイヌの世界展」
が開催され、おもうところあって「アイヌ特別展を考える集い」を呼びかけさせて頂きました。

この「考える集い」は、アイヌの講演者が皆さんになにかを伝えて、啓蒙する、
という形では全く無く、参加したみなさんが、いまある問題に関して、
それぞれの立場から考え、発信することを目的とした集会です。

当日会場には、東京や九州からの参加者もいたばかりか、
ピリカ実の山本代表・白河事務局次長もお越し頂き、「児玉コレクション」に関わる話は
勿論のこと、アイヌと和人に関わる、たいへん幅広い話が展開され、
とても有意義な場を持てたと思います。

それについて、私が総轄するのは簡単なことなのですが、あの集会のそもそもの主役は、
私でも、札幌からお越しいただいた山本さんや白河さんでも、
まして、掘り返された哀れなアイヌのホネでもなく、
あの場に参加し、共に考えた、一人一人です。

コタマ教授とその研究の問題性は、決して、彼一人のみに還元されるものではないのと
同時に、墓を暴かれたアイヌだけに関わる問題でもなく、
「アイヌ問題」とまるで人事のように語られる、アイヌを取り巻く諸問題を形成している
和人社会の構造、していいえば、意識無意識に関わらず、マジョリティとして、
その構造を維持している全ての和人と、その構造によって組みしかれている、
全てのアイヌに関わる問題といえます。

アイヌと和人について考えるとき、いや、アイヌと和人の間にある構造というのは、
実は、他の全ての差別構造、支配構造に、深く関わっているものだと言う事を肝に銘じて、
とかく陥りがちな「アイヌだけの問題」「活動家だけの問題」というような「括り」から
抜け出し、どのような立場の人も、広い意味での当事者として関わる問題として、
お聞きいただけれたと思います。

ですから、参加者の皆様と共に考えたことの総轄をすると同時に、
みなさまからのご意見も、そのまま添付いたします。
出来れば、目をお通し下さい。
そして、いつかまた、ともに考えましょう。

oripakEsaman
Ainu puyarA : http://www.alles.or.jp/~tariq/
imeru-kampi : esaman@anet.ne.jp


ましこ・ひでのり(中京大学・社会学部教授)

集会参加者のみなさまへ

■わたしたち、ケゥトゥムの会は、昨年の名古屋でひらかれましたアイヌ特別展をきっかけにあつまった市民のうち、有志が結成したあつまりです。大阪での集会のあとは、10日に山本一昭さんをおまねきする集会を企画しております。
 今回、ケゥトゥムの会では、昨年9月の集会にあつまった市民によびかけ、特別展のいわゆる「児玉/馬場コレクション」をみて、その後どういった感想をもつにいたったか、また集会で感じたことはなにか、といった点について、意見表明をもとめました。 その結果、和人主導で展開されている文化事業について、さまざまな批判/自己批判の文章があつまりました(くわしくは、資料をごらんください)。

■まず「アイヌ特別展」と、その目玉であった「児玉コレクション」について。よせられた文章の大半は、「児玉コレクション」が盗掘や搾取などの疑惑について「シロ」であることを証明する挙証責任を財団や北大がおっていることにふれています。訴訟などで「推定無罪」的な消極的な「にげ」をはかるのではなく、積極的に「シロ」であることを立証できなければなりません。嫌疑をまぬがれないコレクションを、学術的価値を錦の御旗に展示し、諸問題にまったくふれずに個人を顕彰するかのような態度は、倫理的に問題があるだけでなく、「和人による搾取」という批判をまぬがれないものでしょう。

■また、アイヌ文化を収集/保存し、管理/提供するといった主体が、はたしてアイヌ民族なのかどうかへの疑問も呈されています。「児玉コレクション」が象徴するように収集者の大半は和人の知識層ないし権力者でした。アイヌ文化が、現在のアイヌ民族の生活者の日常からははなれた「伝統」にのみ焦点があてられ、自然との共生などが過度に強調されているきらいもあり、これらは、民族イメージの固定化、実生活の軽視や事態の抑圧といった副作用をうんでいるようにおもわれます。そこには、アイヌ文化の継承を困難にさせてきた和人の責任の隠蔽と、現在にもひきつがれた差別実態からめをそらす機能を否定できないでしょう。これらは、「アイヌ・イメージの和人による管理/操作」という、権力行使として、理解することが可能ですが、特別展は、そういった構造の象徴といえなくもありません。

■「むかしは、ひどい差別抑圧や、同化教育をおこなった」といった、形式的な反省は中学高校の教科書などにも記述がみられるようになりました。しかし過去の暴力が「現在完了形」として依然爪痕をのこしている現実、差別意識や不当な処遇が継続中という点で差別構造は「現在進行形」であるという現実。この双方から、めをそらした和人の姿勢こそ「児玉コレクション」への無批判な称揚をゆるしているとかんがえられます。
 その意味では、広島や名古屋というアイヌ差別に鈍感な地域をあえてえらんで、「文化振興」の存在意義を証明しようとしたと、うがったみかたをすることも不可能ではありません。福岡でひらかれます、つぎの特別展で、こういった政治性の行使がまかりとおらないよう、われわれは監視をつづけ、批判をくりかえしていかねばならないという結論がみちびきだされるのではないかとおもいます。
                 (文責:ケゥトゥムの会、ましこ・ひでのり)


池田 緑(大学非常勤講師・東京都)

 今回名古屋で開催された「アイヌ特別展を考える集い」に参加して、私は大きく4つのことを感じました。

 まず最初に、学問や研究がアイヌ民族支配のために大きな役割を果たしてきたことに対する責任です。学問や研究は「科学的客観性」「科学的中立性」の名を語りながら、日本国家形成とアイヌ民族への支配を補強する知的根拠を与えつづけてきました。学問の分野を問わず、アイヌ民族差別に加担してきた学問の責任について考える義務があります。私は社会学が専門で、いわゆる「アイヌ研究」をしている者ではありませんが、学問に関わっている者として、この責任を明らかにする義務があります。

 次に、「記憶」の問題を議論する必要を感じました。児玉教授が何をしてきたのか、児玉教授はアイヌ文化の保護者なのか、それとも侵略者なのか、という「記憶」をめぐる議論が必要です。いうまでもなく、「従軍慰安婦問題」を筆頭に、現在植民地支配をめぐって「記憶」の問題が大きな社会的争点になっています。それは「記憶」の問題は過去の問題ではなく、まさしく、これから私たちがどのような社会を作ってゆくかという現在と未来の認識に関わる問題だからです。その点で、多大な費用を使って展示を行い、児玉教授の「アイヌ文化の保存者」としての側面にのみスポットを当てた今回のアイヌ特別展は、まさに過去の「記憶」に対する一方的な政治的行為であったといえます。それはアイヌ民族に加えられてきた一方的な差別と暴力の現代における再現につながりかねません。私たち和人は、一方的ではない「記憶」の再現と認識を、現在と未来の問題として取り組まなければならないと、強く感じました。そしてそれは、侵略を加えてきた和人によってなされる必要があります。

 また、今回「考える集い」において、多くの和人がアイヌ民族の置かれてきた現状について真剣に考えようという意思を確認したと思います。それは、今後「ケウトゥムの会」等の活動を通じて実践されると思います。ここで重要な点は、あくまでも、その主体はアイヌ民族ではなく、和人であるべきということです。和人が行った過去には和人自身が向き合うほかありません。差別と戦うべきは、差別されている者ではなく差別している者です。和人は生まれながらに差別者。このことを忘れるべきではありません。私も差別者になることを望んで生まれてきたわけではありません。しかし、現在の社会構造では、和人の多くは差別者の位置を与えられ、実践し、さらにはそのことに無自覚でいることを当然と感じています。これは様々な社会のありかたの結果であると思いますが、これを変えることは、私たち一人一人の意思と努力によってしか達成できません。

 最後に、今回の「考える集い」は、有意義なものだったと思いますが。今後アイヌ民族への差別的な現状への「ガス抜き」「安全弁」として機能しないように注意する必要を感じました。このことは、私自身にも当てはまります。このような集いが、単なる私たちの「良心の確認の場」で終わってしまっては意味がありません。それは、より悪質な差別的態度につながるでしょう。自分の持ってうまれた立場に絶望的なものを感じつつも、それを変える努力と行動を継続する必要があります。

 いずれにしろ、「考える集い」が契機となって、和人による活動の芽がまた一つ出来たことをうれしく思っています。私は現在子どもはおりませんが、やがて生まれてくるであろう子どもを差別者にしたくはありません。私や私の子どもに差別者であることを強要するものとは戦ってゆかなくてはなりません。「ケウトゥムの会」をその第一歩の場として、私なりに情況の変革に取り組みたいと思います。


nama(大学生・名古屋)

考える会を振り返って見る
考える会に参加して、先の展示の問題点知ることができたのはよかったと思う。ただ、現状を再確認して頭が痛くなった。
展示の問題点についての、展示する側とされる側

−実際には強引に展示した側と、 黙って展示されるしかなかった側といったところだろうけど−

つまり財団など主催者側とアイヌとでは、立場の強さや考え方にはあまりにも大きな差がある。この現実は痛すぎる。

たとえば、展示はアイヌの昔の生活を伝えるものであって、必ずしも現在のアイヌのみな昔ながらの生活をしているわけではなかった、ということについて。市博物館の展示では、この点についての配慮がまるでなかったために、「アイヌは現在もこのような生活している」あるいは「アイヌは昔日本に存在していたが今は存在しない民族である」というイメージが漂っていなかったとも言えない。来館者の様子を見るに、誤解していた人は少なくなかったようだ。(今現在を生きる)アイヌからすれば、自分たちへの偏見を助長し、自分たちの存在を否定するかのようなとんでもない展示なのだが、財団の見解では別に何も問題がないことになってしまっている。

児玉コレクション盗掘疑惑についても同様で、やはりこの件に関する記述はどこにもみられなかった。収集物が盗掘品であろうとなかろうと、収集された遺骨の帰りを持っている遺族がいるという事実に関わりはなく、それらがいまだに返還されていないというのは大問題で、主催者側がその事実についてひとことも触れないでいるというのは同じくらい問題のはずなのに。

立場の弱いアイヌの声はあまりにも小さい。加えて多くの和人は無関心を決め込んでいる。アイヌがいくら訴えても、和人がそれを無視してしまっては、追求できるものもできなくなってしまう。展示が問題だらけなのは、こんな社会状況によるところが大きい。無関心な和人、理解のない和人が多すぎるのだ…と思う。

これはオフレコで。大学院で国際関係を専攻するとか言っていた和人の○○さん、北の民アイヌ特別展を紹介したときに「後藤さん、そんなことしてていいの?」なんてほざいたあなたは間違い無くその一人ですよ。
考える会の話し合いの中で、聞き入れるつもりもないのにあえて反対意見を取り込み、正統性を演出する「ガス抜き」の話が出ていたが、今回の考える会も、そのガス抜きと同じようなやりかたで肩透かしの対象になるではないかと思うと、どうもやりきれない。

やはりここは、地方有力紙中日新聞に一肌脱いでもらわなきゃ、と思うこのごろ。どうですかひとつ、ジャーナリズム精神で。


遠来よりの参加者

「財団へ言いたいこと。」

私は、200年9月9日から10月9日にかけて名古屋市立博物館で開かれた「馬場・児玉コレクションにみる北の民 アイヌの世界」展を見ました。生まれて初めて見るアイヌ民族の実物の民具や衣服などに感激しました。しかし、この特別展の展示には、コレクションを集めた児玉作左右衛門氏が、アイヌ民族の墓を暴いて人骨や副葬品を盗んだという事実には一言もふれていませんでした。まるで彼はアイヌ民族の民具の散逸を防いだ偉人、と受け取られかねない展示でした。
これは悪質な行為です。
墓暴きという人道に反する行為を隠蔽し、事実をねじ曲げ、児玉氏を偉人として称揚することは、決して許されることではありません。これは、記憶の抹殺であり偽造です。次のことを求めます。

1,児玉コレクションを展示した地域の新聞・テレビなどに、児玉氏がアイヌ民族の墓を暴いて人骨や副葬品を盗んだ事実を伝えること。

2,これから博物館等で展示する場合は、上記の事実を展示物の説明文やパンフレットなどに明記すること。

3児玉氏が、盗掘したアイヌ民族の頭蓋骨を「研究して」、アイヌは人肉を食べていたなどというデタラメを学術論文で発表した事実を公表すること。

4,児玉氏が盗んだ人骨が遺族に返還されず、北海道大学に保管されたままになっていることも展示などでで説明すること。

5、児玉コレクションの返還を遺族が求めたら、即時無条件で返還すること。

6、二度と略奪による収集をしないこと。

これらの要望を実現しなければ、必ずや後世から裁かれるでしょう。
以上。


ところで、私が使った「記憶の抹殺」という言葉は、ユーゴスラビア内戦のルポルタージュ「サラエヴォ・ノート」(フアン・ゴイティソーロ著 みすず書房刊 )から来ています。
サラエヴォ市を攻撃したセルビア人武装勢力はサラエヴォ市立図書館に集中砲火を浴びせて、オスマン・トルコ時代のアラビア語やペルシア語の蔵書をすべて焼き払いました。記憶の集積である図書館を焼くことで、この地のイスラム教徒の過去と現在を抹殺しようとセルビア人たちはもくろんだのです。著者のゴイティソーロは、これを「記憶殺し」と怒りを込めて書いています。

私はあの展示をした財団のやり方に、これと似たようなにおいを感じました。


名古屋在住・K

<名古屋市博物館アイヌ特別展に関連しての意見>

ある文化を正しく学ぼうとするならば、それがいかなる社会的、歴史的背景におけるものであったかという事も同時に知る必要があると思われますし、また伝えられる必要もあるはずと思われます。それなくして本当の意味での物事を正しく把握、認識し学ぶと言うことは有りえないとも言えるかと思われます。

また、例え直接ではないとしても、間接的であれ、展示に関連してある時代における社会的反省点が今もって存在していると言うことであるならば、いかなる主旨の展示であったとしても、その場にて、それについての考察、反省というものも同時に表記、解説されてしかるべき事柄であるとも思われます。その事によって事物は時代背景を含めより冷静に正しく受け取られる事が可能となるものであろうと思われます。

展示に関連しアイヌ文化フェスティバルという催しも開かれました。プログラムとしては講演や演奏など多彩な内容でもありました。
ただし、フェスティバルと言う表現そのものがほんとうにふさわしいものであったかにつきましては私はどうしても違和感として感じられるものが消えません。そして、この地域においてこの様な表記を中心としたものだけを大々的に扱ってしまうという事が本当に正しい事なのかにつては大きな疑問として感じられるものがあります。
また、この表記にもつながる事でもありますが、文化伝承の重い意味を考えるならば、形的なものと精神性(精神的背景)とは常に遊離することのない様絶えず十分慎重に扱われて行かねばならないものであるとも感じられております。


匿名希望・名古屋


財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構への意見書

 わたしは、貴財団による特別展「馬場・児玉コレクションにみる北の民アイヌ
の世界」を見て以来、アイヌ文化の表象、理解のあり方について考えてきた
和人の者です。この度の展覧会は、アイヌ民族の数多くの貴重な文化遺産を
初めて紹介したという点で、とても画期的な意味を持っていたと思います。
と同時に、残念ながら、展示物の性格ゆえか収集者の功績に焦点があてられ、
主役であるはずのアイヌ民族の声が直に伝わってこない、和人による和人の
ための展覧会という印象も否めませんでした。従来より、遺骨収集との関わりが
指摘されている児玉氏の問題をさておいても、たとえば、冊子『馬場・児玉コレ
クションにみる北の民 アイヌの世界』の解説部分 (p.124) には馬場氏の「私と
アイヌ土俗品」より、「然し、過去は過去、今は今、函館人は、深く先人の非に
思いをたれて、せめても、消えゆく彼らの遺産だけでも、長く保護してやるべき
途を講ずべきではあるまいか。」という一文が引用されています。今日のアイヌ
の人々はこのような文章をどう受けとめるでしょうか。長年のアイヌ民族の努力の
末に成立したアイヌ文化振興法、そして貴財団が掲げておられる「アイヌの人々
の民族としての誇りが尊重される社会の実現」という趣旨からして、展覧会
は何よりもアイヌ民族が主体となって彼らがアイデンティティを確認できるもの、
と期待していただけに残念です。ちなみに近年、海外の博物館では、多文化
主義的な視点を取り入れた展示が工夫されていると聞きます。とくにマイノリティ
や先住民族の文化を紹介する際には、過去の遺物を歴史的・社会的文脈に位置
づけ、一面的な理解につながらないよう現在の姿も十分に伝える配慮がなされて
いるようです。(その意味では今回、通路で放映されていたビデオ「共生への道」
は参考になりましたが。) 今後、一和人として貴財団に強く期待するのは、アイヌ
民族の客体にとどまらない姿、軌跡を伝えていただくことです。つまり、彼らがこ
れまでの苦難の歴史をどのようにしてくぐり抜け、伝統文化や民族としてのアイデン
ティティを維持・復興させてきたのか、また、日本社会にいかに働きかけて多様性
の理解に貢献してきたのか、といったことです。真の多文化共生へむけて、ぜひ
ともアイヌ民族自らの視点・意見を反映した文化事業をこれから展開していただく
ようお願いいたします。


加藤 久晴(大谷派僧侶)

私は大谷派の僧侶として生きておりますが、私が意識するしないに関わらず大谷派の僧侶を名告るということは、大谷派が過去に行って来たことを背負うということだと思っています。先の戦争の加担。被差別部落に対する差別法名に代表される様々な差別。ハンセン病患者に対するあきらめの慰問布教。そして蝦夷地開教・開拓の美名の元行われたアイヌ民族に対する侵略行為等々。すべて私の生まれる前の出来事。だから関係ないと本当は言いたい。しかし、私が大谷派僧侶を名告るからにはそれは許されない。そしてそれらは決して過去の事ではなく、今現在も様々な形で差別し排除し見ないようにしている。私が「児玉コレクション」を考える会に関わったのは「児玉コレクション」を今、各地で展示するということがそこにある問題を明かにする方向ではなく、時代に迎合し問題の本質を見えなくさせる方向の展示のように感じたからです。そこに蝦夷地侵略を偉業としてねじ曲げて伝えてきた大谷派の姿が重なって見えました。過去をしっかりと見つめることは必ず未来を照らす光になると信じています。そして、過去と未来の間を生きる私は具体的にどのような今を生きるのか。「児玉コレクション」を考える会に参加された方々とここ名古屋で考えいきたいと思っています。 以上


北條 義信(大谷派僧侶、明通寺住職、ケゥトゥムの会代表)

みなさん、こんにちは。
わたしは、9月30日似名古屋で行われた「考える集い」を補助させて頂いた、真宗大谷派の一僧侶である北條義信(ほうじょうぎしん)と言います。

わたしが「考える集い」に参加するキッカケとなったのは、昨年4月に大谷派名古屋別院で行われた蓮如上人500御縁忌の中で、青少年法要という法要を企画したことからです。その法要は、私たち大谷派僧侶が今立っている時と場はどういう時と場なのかを、仏様によって考えさせられるのが、「法要」ではないのかという問いから始まり、自分たちが立っている大谷派の負の歴史から、明治以来の二つの開教問題を考えました。政府に取り入るために侵した北海道開拓開教によるアイヌ民族への問題。先の15年戦争の時に、やはり政府に取り入るために侵した韓国・朝鮮などの開教による韓国・朝鮮民族への問題です。

そこで、アイヌの方と韓国・朝鮮の方と沖縄の方達を招いて、法要に参加して頂き、音楽とアピール文により、大谷派がしてきたことの検証をして、現在自分達の立っている時と場が、多く人の犠牲と痛みの上にありながら、何も感じず、何もしてこなかったことを懺悔(ざんげ)しようとしました。

しかし、法要部の多くの人達は「アイヌの人がなぜ来なければいけないの」とか「自分たちは差別など関係無い」とかと言って、自分たちを問うことから逃げてばかりの中で色々と邪魔されながらも、なんとかやり遂げることが出来た次第です。 自分たちの問題を考えたくない僧侶があまりにも多すぎる。又、私自身も知るべきことを知らなさ過ぎる。

そこで、『ケウトゥムの会』(アイヌと和人がそれぞれの立場で考え行動する会)を近在の一緒に学び、行動して下さる方と共に熱い思いを聞いていきたいと思っています。
差し当たっては、アイヌ民族との関係の歴史と現在、これからの関係を学びながら、他の僧侶にも地道に呼びかけていきたいと思っていますので、是非皆様のお力をお借りしたく思っています。その第一歩に是非お越し下さい。お会い出来るのを楽しみにして待っています。

合掌


北條 良至子(大谷派僧侶)

「考える集い」参加して

この集いが、”東別院会館”で催されるということに意義を感じて、参加した浄土真宗大谷派の僧侶の一人です。

それまでの経緯から予想されたことですが、当日、受付のスタッフを除いて、私以外に僧侶の参加者が皆無であったことに、まづ、寂しさを感じた。が、Esamanさんの呼びかけより全国から集まった方々の休憩もほとんどとらずに交わされた熱い想いに、じかに触れ得た感動も忘れられない。

思い返せば、ここ名古屋でも”アイヌ差別”を考える講演会や交流会に参加する機会がこの2、3年のうちに数回あった。そしてある交流会の場で、或る人がEsamanさんに皆の前で「君は本当にアイヌかね?」と問いただすということがあった。アイヌであるともないとも答えられずにいる彼に、気まずい雰囲気が流れたその時、遠山サキさんが「アイヌであろうとなかろうと(そんなことを確認するなんて)どうでもいいじゃないか。こうして集えば、みなアイヌさ」とおっしゃって、その場をおさめられた。

Esamanさんに前から少し面識のあった私は、なぜあの時、彼は返答できなかったのかという疑問を今回、ようやく解くことができた。彼のあの時の困惑と悲しげな表情こそが、大多数のアイヌの方々の現実なのだ。

一体、わたしたちは、誇るべきあのアイヌ文化も伝承できずに、差別と偏見にあえぎながら日々暮らさなければならない圧倒的多数のアイヌの人々に思いを馳せるということが、今までにあっただろうか?
いや、この国の過去および現在の社会構造にすっかり埋没している私たちは、彼らの存在すら知らない。
”アイヌ”といって、私たちが思い起こすのはせいぜい、物産展で見る伝統工芸の数々、口で奏でる素朴なムックリ、或いは北海道の観光地で観た舞踊といったところだろうか。

わたしたちが彼らに強いてきた歴史によるその”苦しみ”や”痛み”には全く気付くことも触れることもせず、ただその”文化”だけは大切に保存、振興しようとするエスニック好きの日本人−−そんな私たちのおぞましい姿が、ここにも露呈している。そり故、長谷川修さんの、「皇居を強制移住させられたアイヌに開放せよ」というあの”怒り”を私たちに向けられているとも感ずることなく、”北方領土問題”は右翼の人たちの出番だとくらいにしか思っていないのだ。そして、そんな私たちの無思考性、無感覚さをこそ問われているのが、

今回の「考える集い」であったと思う。あの”児玉コレクション”に何の疑問も感じずに、感心しながら拝観し、期間中に無料で催された(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構)の企画(アイヌ文化フェスティバル)をおおいに楽しんでホールを埋め尽くした私たち一人ひとりが、己の胸に手をあてて、一体、自分たちは何をしているのかと問い掛けを始めることこそが、あの「集い」の主目的ではなかっただろうか。

そして、あの集会では、一言も触れられさえしなかった私の属する”真宗大谷派”の開教の歴史と責任に思いを至さずにはおれない。アジア各国への侵略政策、また、北海道へ沖縄への開拓等、およそこの日本国家の近代における差別と排除の歴史には、ことごとく関わって、自己保身してきた過去の歴史的事実が、少なくとも私たち”真宗大谷派”にはある。いのちの尊厳・平等を門徒にむかって説くのも大切だろうが、他から問われるまでもなく、自らを厳しく問いなおさずにはおられない。ただ今、この日本の、目を覆いたくなる絶望的現実に責任あり、と感じ関わり生きていくことにこそ”浄土真宗大谷派僧侶”としての私の名告りの意味があると思っている。今、ここから何が私にできるのか、心をこめて考えていきたい。

2001.1.25. 愛知県 北條 良至子


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(2000 9/9-10/9)馬場・児玉コレクションにみる北の民アイヌの世界
(2000 9/10)「考える集い」呼びかけ文
(2000 9/30)「アイヌ特別展を考える集い」のご案内
本集会に寄せられたアイヌからのメッセージ
協力団体・支援者よりのメッセージ
(2000 9/13)『馬場・児玉コレクションにみる北の民アイヌの世界』展開催に関する財団としての考え方について
(2001 9/15)「アイヌ特別展」を色々な立場で考えた結果の、要望と意見

「児玉コレクション」の収集者,児玉教授の「業績」に関連する新聞記事
衝撃の映像!これが児玉作左衛門教授だ!!
「アイノの人類学的調査の思ひ出」を読んで−アイヌ墓盗掘の先達・小金井良精の日誌−
new.gif(2002 8/2)第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告

new.gif(行方不明の盗掘品・北大にて発見さる!!)児玉教授の『業績』に関する新聞記事・雑誌記事


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